第3話 命拾い

1945年 8月15日 11時58分 12秒

松崎村 第12師団駐屯地前


「最後に言い残した事はないか? 米兵」

松崎村の中心部に生える大きな杉木の前で、イイザキはその生涯を終えようとしていた。抵抗する気力が削がれる程度には何度も殴打されていた。手足が縄で拘束されていてはまともにたつことさえ出来ずに、ただ頭を垂れて死を待つばかりだ。

北半球に属するこの国といえ、炎天下にさらされては思考も追い付かない。

どれだけわめいても自分が米兵に変わりはなかった。ただ、自分を取り囲むアジア人達の狂気の為に自分は死ぬ……。

軍服を着た男が、刀を振りかぶる。

イイザキは、深く息をした。


1945年 8月13日 19時47分 36秒

小金井川支流


 目の前で人が黄金に変わり果ててしまった。その事実に二人は恐怖し、逃げ出した。走って走って、それでも走り、疲れ切って身を寄せるように近くの川のほとりで休憩をしていた。

 土手を背後に月が上っている。月明かりはあるけれど、土手に遮られて二人が隠れる場所は影になる。

「ねぇ、見た!? 人が金に……一瞬にして……。信じられない」

 咲は動揺のあまり早口になり、イイザキが敵兵であることもすっかり忘れている。

 イイザキはというと、確かに驚きはあったが咲が敵国の一般市民であるという認識だけは持てていた。だから一定の距離を取っていたし、殺意こそは持っていないが後ろにした手にはいつでも自前のナイフを出せるよう準備はしていた。

「人が金になるって、どういうことなんだろ!? も、もしかして、し、ししししし……死んじゃった!?」口元に手を当てたまましゃべる咲の声は震えてしまっていた。そして、知人の死を痛感した瞬間咲の目からは透明な水が一滴流れていた。

 イイザキはその音もない絶望は何度も見てきているはずだった。それが戦争なのだと言い聞かせてきたはずだった。イイザキが変わってしまったわけじゃない。イイザキが置かれたこの状況が特殊すぎるのだ。

 俺には何もできないが……。イイザキはナイフを握ろうとしていた手をひっこめた。そして、自分でも理由がわからないまま彼女に寄り添うように隣に座った。

 懐から一枚の写真を取り出す。もう何日も見ていない家族との写真だ。ずいぶん昔の写真で、ボロボロだがまだ子供だったイイザキを挟むように両親が笑みを浮かべている。

「見ろ」イイザキは流暢な英語で話しかける。咲に英語がわかるとは思えないが、この程度の単語なら状況とジェスチャーがあればどうにか伝わるだろう。

「これ、あなたの両親?」

「あぁ。もうずいぶん昔の写真だ」

伝わる筈もない会話だが、咲には伝わったらしく次第に落ち着きを取り戻していく。

内地と言えど戦時中、常に「死」を意識してきた。

「ごめん……。あなたも外国から遥々やってきて大変だもんね。私が泣いてたらあなたは余計に悲しいよね。うん。たとえ金になったって死んでしまったかどうかは別よ。そもそもこの現象自体が特殊すぎるのよ」

敵兵に「大変」とは妙なヤツだ。イイザキは少しだけ広角を上げた。

さて、これからどうしたものかとイイザキが思考を巡らせると同時に。

「良し!」何かを決意し、勢いよく立ち上がった咲はイイザキの後方へ向かう。そして。

「悪いけどお縄についてもらうわよ。みんなの分も、御国のために頑張らなくちゃ」

イイザキは背中に刃の気配を感じ、下手に動くことが出来ない。

「鉄製じゃないからってあまり舐めない方が良いわよ。竹槍、見るのは始めて?」

「……まさかほんとに殺さないよな?」イイザキの言葉は咲には届かない。


 1985年8月13日 10時12分 松崎村 冬月家


 イイザキは冬月咲の手によってどういうわけか生かされていた。彼女自身に人を殺すようなまねもできるとは思えないが、捕虜を生かす事情もよくわからない。

 長屋の梁に後ろ手に縛られたイイザキは、用を足すとき以外はそこから動くことも許されない。もっとも、ここをうまう具合に脱出できたとしてそこから先母国に帰る手立てが今のところないわけだが……。

「はい、朝ごはん。都会じゃこんなもの食べられないだから。あなたに付き合ってもらうのはそれからでも遅くないわ」

  差し出されたのは漬物と炊き立ての白米だった。

 冬月家に連れてこられたイイザキはてっきり拷問を受けて尋問されるものかと思っていた。ところが咲が最初に取った行動は、風呂に入れることだった。

 夜が明ければきっと……と絶望していたイイザキだったが翌日もこの様相なので戸惑っていた。

「あ、そっか。手、縛ってたら食べられないか……。逃げない? 約束できる? わかる? や・く・そ・く?」咲は小指を立ててイイザキの目の前に差し出す。イイザキの母もイイザキが幼少のころやって見せたことがあるので、イイザキにもその意味がよくわかる。だが、彼は頑なに知らないふりを続けた。イイザキにとって日本の文化を知っているということは、自分がいまだにアメリカ人として認められていないということに直結するのだ。

 イイザキは眉間にしわを寄せて、いかにも知らないというようなそぶりを見せる。「まぁ、外人だしそうだよね」咲はしゃがみこんでイイザキに白米を食べさせてやることにする。箸でつまみ上げて、そのまま口に持っていく。

 イイザキは日系人でありながら日本の食に関してはあまり知らない。湯気がたつ白米。以前何かの本で見たことはあるが、実物を見るのは初めてだった。差し出された白米に興味が湧き、恐る恐る一口食べてみる。

「どう? これでも水加減とか気を使ったんだから。しかし、困ったわね……言葉が通じないとなると小説のネタを聞き出すことができないじゃない」

小説? イイザキは白米を咀嚼しながら頭に思い浮かべる。世界が崩壊へと歩を進めようとする中、咲が人目を忍んで筆を取る姿を。

「……世の中、大変じゃない? 小説書いてるときだけ生きてるって安心出来るの」

咲は机から書きためた小説を愛おしそうに胸にとめる。

「って通じないか」

「おい咲聞いたか!? 隣組の連中消息不明らしいぞ!? あいつら確かに下らない軍国主義で偉ぶっていけすかない連中だったけど、いなくなればなるでなんだか……って誰だそいつは?」

ノックもなしに小柄で線の細い男が平屋にずかずかと入ってきた。

 兄の冬月三郎である。

「兄さん! ちょっと静かに」

「なんだなんだ? 誰かと思えばこいつぁ米兵じゃないか。今から突き出しに行くんだろ?」

「……いずれよ。今こうして磔にして尋問してるとこよ」

「飯を食わせてか?」

年老いた駱駝のような線の細い男がそういった瞬間、二人の間に沈黙が落ちる。

「気持ちはわかるが咲、こんなとこ憲兵に見つかってみろ! 灸を据えられるだけじゃすまないぞ」

「兄さんはかわいそうとはおもわないの!?  同じ人間なんだよ!? 」

「それはそうだが……。でもな、こんなどこの馬の骨かもわからんやつ家にいれといて、しかもこんな状態で一体なんの意味がある? こいつだってこんな小屋んなかで一生過ごすくらいなら、いっそ……って思ってるかもしれないぞ 」

「生きてるってことにも意味はあります」

「……僕は知らないからな?」

 三郎はそのまま部屋をぐるりと一周して、茶箪笥の一番下の段をあさりだす。

「兄さん、ちょッ! やめてよ!」さすがの咲も血相を変えて走っていく。それには深いわけがあった。

「またお金が足りないからって家の財産を売ろうっていうの!?」

「いいだろ別に? このご時世金があったからって飯がなければ何もならない。幸い、うちの畑じゃ野菜は売るほどできる。それを町中の連中に売りさばけばいくらでも設けられるさ」

 口角を上げて喜ぶ三郎の手には小刀の日本刀のちょうど真ん中の長さにあたる護身用の武器、脇差が。

「名前はよく知らないが結構な美品じゃないか」

 そのわき差しは確かによく磨かれていて、差し込む日差しが何倍にもなって帰ってくる。そして何より、

「でもなんだか妙な波目があるな……」

 普通の日本刀ではあまり見ることのできない、特徴的な波目模様が刃を沿うように施されていた。まるで何かを切ることをためらうような波目は、日差しを当てると七色に輝いた。

「まぁ、何かの骨董品だろ」咲の制止を振り切り、そのまま外へと持ち出していく三郎に食いつくように先がつかみかかる。

「その米兵のことは黙っててやる。ただ、僕には関係ないということにしておいてくれよ。せっかく醤油まで飲み干して永らえたこの命、30そこいらの年で終わらせるわけにいかないからね」

「兄さん!」

 咲の腕を振り払い、ついに引き戸に手をかけた三郎はなんの迷いも見せることなくそのまま外へ足を踏み出す。

 三郎はこの脇差を質屋に入れて換金し、残りの余生を山奥で一人で遊んで暮らすつもりなのだ。美しい白木の鞘だった。もう一度その妖しい刃を目にしようと恐る恐る引き抜く。

 この脇差には何か人を引き付ける何かがある。日差しを受けたその刃に、三郎のにやけた顔が映る。目は薬物中毒者のように爛々としているのがわかる。だが一方で、三郎はあることに気が付いた。

 自分の顔の後ろに、また別の人間が映っていた。


 憲兵だ。


 心の中でその言葉を意識した瞬間、三郎は思わず体が硬直してしまった。


「話は聞いたぞ。米兵をだせ」


1945年8月15日 11時50分


 容赦ない日差しの中、イイザキは木造平屋の第12師団駐屯地から蹴りだされるように出てきた。

 外には騒ぎを聞きつけた松崎村の住人が殺気だった様相で駐屯地前を占拠していた。

 憲兵に見つかったあの日、イイザキは抵抗をするまもなく連行されてしまった。度重なる拷問に頭から出血し、意識も朦朧としてしまっていた。

 指すような日差しの中、血走った目で敵兵を見つめる住民は異常だった。

 サーベルを脇に携えた少尉が、引きずるようにイイザキを村人の前にさらす。

「見ろ! これが憎きアメ公だ! 日頃の恨みを一人ずつ晴らすがいい!」

 相次ぐ空襲で国民の士気は低下している。ここで米兵を生贄に差し出すことで、恨みをさらにもう一段上に燃え上がらせることで士気高揚を図るのが軍部の目的だ。

 群衆が列をなしてイイザキの顔面や腹を容赦なく殴りつける。そのたびにイイザキは苦痛のうめきを上げて村人たちをにらみつける。

「おい咲。どうするんだよ? お前ほんとに殴れるのか? 今度こそまずいぞ」

「そんなこと言ったってできるわけないじゃない……。あんなにボロボロなのよ?!」

 一人二人と親族の恨みをその拳に滲ませて、渾身の力でイイザキを殴りつけていく。

「俺の子を返せ!」

「これは俺の父ちゃんの分! そしてこれはばあちゃんの分だ!」

「鬼畜米兵覚悟!!」

「……あ~あ。こりゃ見てられん」抵抗のできない一人の人間を集団で襲う凄惨なリンチにさすがの三郎も直視ができない。咲に関してはもうすでに顔から血の気が抜けている。

 なぜならもう自分の番になっていたからだ。

「次! ほう、これは米兵を匿っていたという非国民じゃないか……」

「そんな……匿っていたなんて……」

「ならばそれを証明して見せろ。おい」少尉が近くの村人に顎をしゃくると、その村人はこともあろうか咲の手に持参していた竹槍を握らせた。

 握ったまま立ち尽くす咲を、瀕死のイイザキは獣の視線で睨んでいた。

 殺れるものなら殺ってみろ。イイザキの目はそう語っていた。

「どうした? やれないのか? ……腰抜けが!」

 少佐が自らのサーベルを引き抜き、貼り付けにされたイイザキに構える。

 イイザキは今度こそ最後だと思った。身動きは取れない、反撃する体力もない、その上相手はサーベルまで持っている。俺は死ぬのか……ならばせめて悪あがきでもしよう。どうせここにはアメリカ人は居ないのだから。

 つぶってい両目をカッと開き、イイザキは叫んだ。

「金がある! こんな村にはもったいないくらいの大きな金だ! そこの女と一緒に見た! 今俺をここで殺すとそいつが見つからなくなる! それでもいいのか!?」

 それは誰が聞いても明瞭な日本語だった。

 米兵が日本語を話せることに、全員が凍り付いた。もちろん少尉も例外ではない。

 そして咲は内心喜んだ。これでこの米兵は死ぬことはない。ネタもきっと聞き出せる。そしてその直後この米兵を死ぬほど恨んだ。やってくれたなこの野郎……と。

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