第2話 生還者

1945年。8月13日。午後1時13分16秒。

 大日本帝国 東北地方上空

 「くそっ……!! 踏ん張れぇぇぇ!!!!!!!! 死んじまう!」

 白煙を上げながら一機の米軍機が、日本の東北地方の山林に墜落した。高射砲を受けたような損傷はない。離陸するときも念入りに点検をしたのにこの日ばかりは運がなかった……。

 若き彼の名はイイザキ。日系アメリカ人としてこの戦いに身を投じて数々の戦勝を上げてきた彼も、ここにきて走馬灯に似た幻想を見ている。隣人の白人に、アジア人だとのけ者にされて同じようにのけ者にされた黒人と友達になったこと。数年後、その彼が戦地へ向かったこと。そして――。

「……母さん!」

 イイザキが見た光景は木々の間から差し込むまばゆいばかりの逆光の中に浮かぶ女性のシルエットだった。


 一機の米軍機が山林に墜落した知らせは、近隣の村々に瞬く間に広まった。

 その知らせの末端は、人々を人間から般若へと変容させるに十分な内容だった。鬼畜米英。この言葉の意味は当時の人間ならいやというほど知っていた。

 主要軍需施設があるわけもないこの松崎村にもその一報は入れられ、もうじき集団で山中に分け入ろうかと準備をしている人間が大半だった。

「あんたも、父ちゃんなくなったときなんて言ってたの?」豊崎茂子はきつい目つきをした同じ隣組でも発言力のある口うるさい人物である。

 隣組の仕事を終え、木造平屋の囲炉裏の前で何やら煮炊きるもんぺ姿の小柄な女性はその声を半ば無視している。

「確かにそりゃ、向こうで死んだって聞いた日にははらわたが煮えくり返ったけどさ。何もそんな弱った人間をいじめたところでなにも晴れるものはないでしょ? 竹槍で刺し殺せば戦争は終わるの?」

 西日が炊場に差し込んで、木造の平屋の内装をあらわにしていた。藁や木でできた日用雑貨はもちろんのこと中にはこんなものまである。

「そういうことを言っているのでない。気持ちの問題を言っているのだ。この非常時に妙な作り話を考える暇があるなら、少しでも竹槍の練習をするなりしたらどうなんだ? それでもあんたは国民か!?」

 煙で燻されて黒くなった引き戸のすぐそばには小さな座卓があり、周囲には丸められた紙が散乱している。

「ち、違うのそれは……」目を少し話した瞬間、煮炊きしていた鍋があふれてしまう。

 慌てて鍋をどかし、ふたを開けて確認するとどうやら中身は無事らしくほっと溜息をつく。

 不思議そうな顔つきで様子をうかがう茂子に彼女は満面の笑みで答えた。

「あ、これ江戸時代に作られてたって陣中食で芋がらを使うんですよ! 次に書く小説の資料に使おうかと……」言いながら彼女は自分が言わんとしている事実に青ざめていく。

「冬月咲! さっとさと竹槍もって準備をしなさい! みんなを待たせる気ですか!? この非国民が!」


 山崎村山中。

 住民からの襲撃に炎1つあげることができないイイザキは、搭乗機を捨て去り、暗闇を慎重に歩いていた。コックピットが地面にめり込み、墜落したはずみで外に投げ出されなかったかと思うと悪寒がする。

 幸い月明かりでそこまで視界に困ることはない。唯一困りごとがあるとすれば、コンバットレーションが搭乗機に押しつぶされて亡くなってしまったことくらいだ。

「今のところはな……。どうやって母国に帰ろうものか」イイザキもそれは認める。

 ナイフを片手に姿勢を低く歩く。戦地ではその動作を忘れて死んでいった仲間も見てきた。自分はああなりたくないとイイザキは思う。

 目的地はないが、蒸すような気温に大量の汗が体中から抜けていく。川の流れる音がイイザキには神のお告げにも聞こえていた。

 暗闇をしばらく進むと、大きな岩があり、そのすぐ隣を小川が流れていた。よく見ると、小魚が寝ているらしい。

「ディナーは焼き魚にできるかな?」

 イイザキは月明かりにナイフを輝かせる。

 木陰に隠れて小さく火を燃やす。そうすれば煙は気を伝い上っていくので目立つことはない。

 原因不明の墜落からすでに数時間、原因を探ろうと思考を重ねるも特に原因は思い当たらない。まさかこんな時にも自分に流れる半分の黄色人種の血が関わっているとは思いたくもない。望んで半分そうしているわけではない。生まれた結果そうだっただけなのだから。

 焚火の炎と、鈴虫の音色、川のせせらぎが尖っていた精神をなだめていくのをイイザキは感じていた。

 まさか自分を呪ってきた人種の土地にこうしてついてしまうとは……。月が映る水面にイイザキの嘲笑にも似た薄い笑みが浮かぶ、同時にイイザキは気づく。何やら光るものが水底にあるのが。そしてそれがはるか暗闇の木々の向こうから続くのが……。

「……金、なのか!?」

 次の瞬間、殺気のような気配を感じたイイザキは、光る砂粒を放り投げて飛びのいた。

 金色の光が続く木々の間から、獣の咆哮のような叫びが聞こえてくる。だがしかしそれは、耳元で放たれたように生々しく、戦地を巡ってきたイイザキが珍しく冷や汗をかくほどだった。

 落ち着いていた精神が、秒針を刻むように尖っていく。

「なんだ! 敵か?」

 すでに放り投げていたナイフを再び握る手にも力が入る。

「いたぞ! 鬼畜米英! 覚悟ぉ!!」

 背後から聞きなれない日本語が聞こえ、とっさに後方を確認すると松明を掲げた群衆が川の浅瀬をこちらに向かって走ってくるのが分かった。

 「なんだかわかんねぇけど忙しくなってきたなぁ!」

振りかざされる松明をナイフで防ぎ、腹に膝を入れてやる。苦悶に膝をつくアジア人から松明を奪い取ると、イイザキは何かのショーの用に派手にたち振る舞う。

一対多数の圧倒的不利な中、イイザキは持ち前の戦闘経験と血の気の多さで圧倒していく。

「どうした!? 噂じゃ現地住民も戦闘訓練してるらしいじゃねぇか! こんなもんか!

あ!? 」

聞きなれない英語で怒鳴り散らすイイザキに、村人達は牽制した。が、それに調子づいたイイザキは川原につまづき、尻餅をついた。

「……ヤベ」

瞬く間に竹槍で武装した村人に囲まれてしまったのである。

絶体絶命のピンチかと思われた瞬間、例の咆哮が先程よりはっきりと耳に届いた。

周囲の注意がそちらに向いた瞬間を、イイザキは逃さなかった。

人と人との間に、迷うことなく体を投げる。

ちょうど土手の丸みに体が上下逆さまになるような体勢で「それ」を見た。

件の木々が生い茂る方角から、黄金の風が流れたかと思えば、先程まで激しい近接戦闘を繰り広げていた村人達が、一瞬にして金の固まりになってしまった。

「ど、どうなってんだ……」

にわかに自分の目が信じられないイイザキの真上に、ちょうど今到着したアジア人が一人。

「あれ? みんなは……?」

冬月咲もまた、自身の目を疑いたくなるような光景に目を丸くした。


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