10-5
「あ、おれ、泣いてたね」
涙を袖で拭うと、どんどん涙が溢れてくる。
「あれ、どうしたんだろ」
「お前、どうしたんだ? 学校でなにかあったか?」
「いや、別に」
「別にじゃなくて––––」
君尋は必死だった。学校でなにかあった。それ以外になにがあるというのだろう。しかもいまはまだ昼間だ。学校をサボるような出来事があった、それは間違いなかった。
「どうした?」
君尋は光の両肩に手を置く。
「え、いや、その」
「話なら聞くから」
「えーとね、そのね……」
光は大きくため息を吐いた。
長いため息だった。
「おれ、なんで生まれてきちゃったのかなあ、みたいな?」
ただごとではない。
「話せ」
「いや、なんていうか……」
「お前の話なら俺が聞くよ。なんでも聞くから、だから、そんな顔でなんでもないだなんて言うな」
こんな風に言ってくれる人は、いままでいなかった。
この一年で、何人もと出会えた。
「……」
再び、ため息を吐いた。
やがて顔を下げたまま、ゆっくりと光は喋り始めた。
「おれがさ、ゲイであることの辛さ、とかさ、そういうのって、やっぱノンケの人にはわかんないのかなあ、みたいな」
「わからないと思うよ。ゲイでもわからないやつはわからないし、ノンケなら尚更」
「うん……そうだとは思う。ゲイ同士ならわかり合える、とか考える方がヤバいよね」
「最初っからわかり合えないって諦めた方がむしろわかり合えるってことはあると思うよ」
「うん……でもさ」
「?」
「なんでおれがこんなに頑張らなきゃいけないんだろう、みたいな……なにで悩んでいるのか、を、伝えるのに、どうしても言葉にうまくできなくて」
「お前はまだ子どもだし、大人だって自分の思ってることが言語化できないのは普通だよ」
「そうなんだよね……早く大人になりたいな」
早く大人になれ。
ずっと願っていたこと。
「とにかくなんか……辛いんだよね」
「辛いよな。わかるよ」
ふう、と、光はまたため息を吐く。
「会長と千歳ちゃんがさ」
「あの二人がどうかした?」
「うん……ちょっといろいろ」
なんとなく、君尋にも事情がわかってきた。
「辛いね」
「うん……まあね……でもさ」
「なんだ?」
「おれはさ、もうずっとさ、誰にも話聞いてもらえなくてさ。でも、君尋さんに話いっぱい聞いてもらえて、そしたらこの一年で会長だったり千歳ちゃんだったり、話を聞いてくれる人たちがいっぱいできて。友達ができてさ」
「お前の昔話聞いてる限りじゃ、お前の周りにはどうも共感性の低いやつらばっかりが集まってたみたいだし、大変だっただろうなと思うよ」
「うん。おれはなんか、なんていうのかな、渋谷のギャルみたいに、わかる〜そういうのマジウザいよね、みたいにずっと言ってほしかったんだ」
「わかるよその気持ち」
「うん……」
光は顔を上げた。
涙は流れ続けている。
君尋は光が痛々しかった。
この子は、昔の自分なのだから。
「おれさ、会長と千歳ちゃんとずっとこのままでいたかったんだよね。だからそのために使えるものはなんでも使った。利用できるものはなんでも利用してさ。でも、結局ダメだった」
利用。
そこに自分は含まれているのだろうか。
「結局、恋は理屈じゃないもんね」
「うん。ロジックじゃない」
「でもさ……おれの周りは、いまのおれの周りは、みんないい人たちばっかりだっていうのに、なのにどんどん悪い方に悪い方に進んでっちゃってるような気がしてさ」
「人生ってそういうもんかもしれないね。もしかしたら、ちっぽけな不満をそのままほったらかしにしておくと、いつか巨大な絶望になるのかもしれないよ」
「お母さんが死んでよかったみたいな」
だんだん君尋は––––鬱陶しくなってきた。
この子は––––自分の気持ちには気づいていないのかもしれない。ただ、親切な友達––––としか、自分のことを見ていない。
自分のことを見てくれない。
俺は光のことがこんなに好きなのに。
こんなに愛しているのに。
「嫌だって思う気持ちを感じたなら、それがお前の感じたものの全てだろ。それを無視してもしょうがない」
「うん……しょうがないよね」
君尋はいつか光を冷めた瞳で見下ろしていた。
「しょうがないな。結局、男と女だから」
「……」
君尋に、和洋と千歳の具体的なことはなにも言っていない。
それでも伝わっている。
「最初のころ言っただろ? どうせ無駄だから諦めろって」
「……」
「どうせお前の恋は叶わない。でも、会長くんの恋は叶う可能性がある。お前の恋の可能性はゼロだけど、会長くんのはそうじゃない。それがこういう結果になってもなにもおかしなことじゃない。千歳ちゃんはいい子だし、会長くんはいいやつだし。俺はなんか、最初からこんなことになるんじゃないかと思ってたよ」
「……」
「だから諦めろって言ったのに」
「うん……」
「––––でも、お前は会長くんのことが本気で好きなんだろ?」
初めて会ったとき、関わったときから好きだった。ずっとずっと好きだった。和洋を好きでいるのが楽しかった。好きな人がいるということ、それが和洋であるということが光には楽しかった。ただ見ていることしかできないけれど、それでも楽しかった。それがこの一年で仲のいい友達になれて自分はなんて恵まれているのだろうと思った。
本当に、楽しかったのだ。
「好きなもんは、しょうがねえよな。それで、お前がどれだけ傷ついたって、しょうがねえじゃん。お前は会長くんのことが好きなんだから。いっぱい好きな方がいっぱい傷つくんだよ。全部、しょうがねえよ」
「……」
「俺はずっと、光が会長くんの話を楽しそうに話してるのを聞いてて、ああ、こいつはいま本気で恋をしてるんだなって、俺も幸せな気持ちになれたよ。俺は知ってるよ。お前がどれだけまっすぐにまっすぐに彼のことを想っていたのか。こんなにまっすぐな気持ちで他人のことを想えるんだなって俺はすごい楽しかったよ。だからさ……しょうがなくても、しょうがねえじゃん」
光は大粒の涙を流した。
「うん……そうだよね」
「だから––––とにかく家に帰ろう。一緒にいてやるからさ」
「用事は?」
「パス」
「悪いやつ」
「いいんだ。お前が俺の優先順位第一位だから」
光は、にっこりと微笑んだ。
そして、伝える。
「ありがと」
二人が帰路に着く。
物陰で和洋はずっと二人の話を聞いていた。
「……」
俺は大切に思われていたんだな、と、思う。
それでも、どうしても選べない。
お前のことは好きだけど、そういう好きじゃない。
「……」
同性愛者の生き辛さは、結局、異性愛者の自分にはわからないのかもしれない。
君尋の悩みも––––隆道の悩みも。わかったつもりにはなれても、本当の意味で理解することはできないのかもしれない。いくら勉強しても、いくら本を読んでも、わからないものはどうしてもわからないのかもしれない。
それでも、光が辛さを感じている、ということはわかる。その辛さがどういう辛さなのかはわからなくても、光が辛いということはわかる。
「……」
あるいは、受け入れるのに理解はいらないのかもしれない。具体的なことの一つ一つを理解できなくても、受け入れることはできるかもしれない。辛さを辛さのまま、そのまま受け入れることなら、自分でもできるかもしれない。
その可能性が自分にはあるんだと、そう信じたい。
自分たちには、その可能性があるのだと。
やがて和洋もその場から離れた。明日、また学校で。そしたら全部話そう。大黒にもちゃんと話さなきゃ。
なぜなら、光は、友達なのだから––––。
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