9-2
「で、カズくんと千歳に勉強見てもらうことにしたの?」
翌日の昼休み。いつものメンバーと教室で昼食中に、光たちの近況報告を聞いた翼はそう言った。
「うん。申し訳ないとは思いながら」
「ま、いいんじゃない? カズくんは志望校変えたし、千歳は暇だし」
「暇だと思わないで」
「え、忙しいの?」
千歳は翼を無視した。
「でも自分の勉強にもなるし楽しいよ。人に勉強教えるのって面白いよ」
「まああんたの成績なら余裕か」
「亜弥とあたし、同レベルぐらいでしょ?」
「そ。だからあんたも合格確定」
「試験って運もあるから、そんなに簡単な話じゃないだろ」と、こちらは勉強に苦戦中の隆太がそう呟いた。「模試で一位でも落ちるってことあるんだから」
「そういう他人の経験のことを歴史と言い、そこから賢者は学ぶのじゃ」
と、光の発言に、なるほど、と、隆太はうなずいた。
「じゃ、北原は他人の経験から学べなかったわけだな」
「うう……坂東くん、そんな……」
「高校の留年の確率って相当低いみたいだから、学ぶ余地ないんじゃないかな」
と、乃梨子はなんとなく光に助け舟を出した。
「ありがと〜土橋さん」
「うん。だから北原くんは留年したら愚者の例ってことになるから、まだどっちでもないよ」
「ぐさり、と胸に突き刺さる……」
光の嘆きに亜弥は笑った。
「乃梨子はほんとキツいんだから」
「そうかな」
「ま、北原の場合、去年までは言っても成績そんなに悪くなかったんだよね」と、亜弥は光に投げかけた。「中の中ぐらいで。この一年で徐々に右肩下がり」
「やっぱり恋に現を抜かすとこうなるのね」と、翼はうんうんとうなずく。「要するにカズくんが悪い、と」
「なんで俺が悪いんだよ」
「あなたが魅力的だから」
「わけがわからないよ」
と、そこで光はゴンドラの唄を口ずさんだ。
「生命短し恋せよ乙女……」
「誰が乙女だって?」
「あ、あら、そんな風に見えません?」
ぎろりと自分を見る和洋がちょっと嬉しい。
和洋とはこの一年で本当に仲良くなれたなあ、と、光はここのところいつも幸せいっぱいだった。
おかげで成績はどんどん悪くなっていっているのだが、どうせ自分は就職するんだし学校の成績なんてどうでもいいと思っていた。ところがその矢先にこの事態で、昨日一晩寝たことでようやく緊張感が生まれてきていた。
「でもさおれ思うんだけど、恋せよって日本語おかしいと思うんだよね」
「わかる!」と、翼は同意した。「恋って命令されてするもんじゃないよね〜」
「そうそ。やっぱ恋は落ちるものだよね」
「恋愛すると生きていく上で全体的にメリットがある、ってことかしら」乃梨子は隆太を見る。「別にメリットがあって隆太と一緒にいるわけじゃないけど」
「メリットなしでいられる関係っていいよね。おれもそういうお付き合いがしたいや」
と、光はうんうんとうなずく。
「––––でも、メリット自体は大切だし、だからこそ問題だとも、おれは思うのだ」
そこで光がいつものように自分の意見を言い始めたので、みんなで集中する。この一年を通してわかったのは光の視点はいつも新鮮で画期的であり、そこは亜弥たちとしては一目置くところではあった。
「というと?」と、翼。「もうちょっと具体的に」
「だからさ、世の中大切なものっていろいろあるじゃない。正義とか真実とかさ。他人を尊重するとか常識を守るとか」
「あるね」
「結局、そういうものが大切なのは、そういうものを大切にした方がおれたちにメリットがあるからなわけよ」
「メリットがないと大切にしないってこと?」
「例えば贈り物を贈るときとかに“つまらないものですが”って言って渡すじゃん。あれ、おれとしては理解できないんだよね。なぜつまらないものを渡す? と」
「それが日本人の謙遜の文化ってことだろう?」
隆太の指摘に光はうん、とうなずく。
「守るべき世界を守りたい人にとって、おれみたいなのはデメリットなわけだよね」
「視野が広いのはいいことじゃねえの?」
「一概には言えない。それまでそれでうまくいってたのに、おれみたいにガチャガチャ言うやつのせいで“ぼくらの輪”に波紋が走っちゃったなら、それはある種の世界の終わり」
「別に世界が終わるわけじゃねえだろ」
「世界が終わるかもしれないってなったら、坂東くんならどうする?」
「終わらせないようにしよう、と思うと思う」
「だよね。そして、だからこそそこで争いが起こる……これまでの世界を守りたい者たちと、これからの世界を作りたい者たちの……」
ふう、と、光はため息をついた。
「おれはさながら、その争いを止めにきた天使のような存在……」
「誰が天使だって?」
と、突っ込む和洋に光は満面の笑みを浮かべた。
「おれ、いい天使になりそうだって思うでしょ」
「なんだいい天使って」
「約束の時は近い」
「お前、マジで緊張感ないな」
「そんなことないよ〜。おれ留年なんて絶対やだもん、絶対みんなと卒業したいもん」
「約束の時……」と、そこで隆太は時計を見て、あ、と、声を上げた。「おい萬屋。今日、陸上部の」
「あ」
「どしたの?」
「そうだった、部活のやつらと約束あったんだった。すっかり忘れてた」
「部活なんてとっくに引退したんじゃないの?」と、乃梨子は怪訝そうな顔をした。
「うん。でも、引き継ぎの残りがあって」
と、隆太と和洋は立ち上がった。
「俺たち行くわ」と、隆太。「すっかり忘れてたな」
「そうだな。それじゃまた後で」
「お疲れっす〜」
翼の言葉を背に、和洋と隆太は小走りで去っていった。
「じゃ、おれもちょっとお花を摘みに」と、光も立ち上がる。「行ってきまーす」
「はーい」
これもまた翼の言葉を背に、光はてくてくと教室から出ていった。
というわけで女子四人になった。
「光くん、ほんとに大丈夫かな? 留年とかマジ寂しいんだけど」
「ま、あたしの腕の見せ所」
「なんか楽しそうねあんた」
亜弥の言葉に千歳はうなずく。
「なんだかんだ好きな人と一緒にいられるからね〜」
「ちょっと待って、まだ好きなの?」
と、翼はずっこけそうになった。
「好きだよ。それが?」
「あたしてっきり千歳は光くんのこと好きでいるのやめたのかと思ってた」
「なんで?」
「いや、なんとなくなんだけどね。ここのところ情熱感じないし」
確かに情熱は薄れているような気が、千歳は自分でもしていた。
「いや別に––––」
君尋にキスされそうになったときのことを思い出す。もちろん君尋は振りをしただけなのだが、千歳としてはやはり男性とここまで顔を近づけたことがないのでびっくりした。しかし、真にびっくりしたのはその後の自分の思考であり、感想だった。
自分は光とキスがしたいと思ったことがない。
むろん恋愛の形は人それぞれだし、性的なものを含まなければ恋愛ではないなどとは千歳は思っていない。しかし、どうしても気になってしまう。自分は果たして光のことが本当に好きなのだろうかと疑問に思う。それでも好きなものは好きだし、好きなままではいる。それでも、自分の正直な感想を目の当たりにすると、果たして自分は光とどのように接していきたいと思っていたのか、それがまるでわからなくなっていた。
いや、それを言うなら、光と握手をしたいとも思っていない。とにかくフィジカルな接触というものを含まない恋愛を自分がしていることに、千歳はいよいよ気づいたのだ。
もちろんそんなことを他の人たちに相談などはしない。ただ、束の間、そんな風に物思いに耽る千歳のことがみんなは心配だった。そしてそれが千歳の光への感情に、何らかの変化が生じている証だと、みんなにはわかった。
「北原くんとなにかあったの?」
「ううん、なにもないよ。いつも通りだよ」
「そう。……う〜ん……」
と、口元に指を当てて乃梨子は考えこんだ。
「どうしたの?」
「わたし、前々から、なんとなく思ってたことがあって……で、それがいま、ちょっと言語化できたんだけど……」
どこか言いにくそうな様子の乃梨子が千歳は気になる。
「なに、光くんのこと?」
「うん、そう。なんていうか––––」
と、そこで乃梨子は、はっきりと言った。
「千歳にとって北原くんは、“推し”なんじゃないのかな? って」
停止する千歳。
そして、亜弥と翼は、あ〜! と、大いに納得したようだった。
「わかるわかる。なんか、わかるよ乃梨子。亜弥もわかるよね?」
「うん。私もなんとなく思ってたことだけど合点がいった」
「なに、なになに? なんなのみんな?」
「言葉通りよ」と、亜弥は千歳と向き直った。「あんたの好きは、推しを好きでいる好きっていうのだとすればすごい納得いくのよ」
「え? え?」
千歳はきょとんとして、三人を見渡す。
「好きは好きなんだと思うの」
乃梨子の言葉に千歳は同意する。
「うん。光くんのこと好きだよ」
「それ、恋愛の好きっていうより、なんか、芸能人が好き、って感じに見えるの」
「うんうん、乃梨子さすが。よく言語化できたね!」
「やっぱりあんたは只者じゃないわ」
「え? え?」
三人が納得しきりの中、千歳の戸惑いはいまやピークに達していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます