8-6

「今日はありがとうございました」

 公園のベンチ近くで、千歳は君尋に頭を下げた。

「いやいや。俺も楽しかったよ」

「それならよかったんですけど。君尋さんはなにか買ったんですか?」

「いや。今日は下見に来ただけ。買うものはもう決まってるから」

「そうなんですね」

 ふと、君尋は考えた。

「––––人気も少ないし、そろそろあの二人に登場してもらった方がいいと思うんだがね」

「それはあたしもそう思ってました。いまちょっと呼んでこようかな」

「––––ちょっとからかってみようか?」

「え?」

 と、君尋は、千歳の髪の毛に触れるか触れないかの距離に手をやって、千歳の顔に自分の顔を近づける––––。


「ちょーっと待ったあ!!」

 と、いよいよ和洋は堪えきれなくなって千歳たちの前に現れた。

 瞬間、君尋は千歳から離れる。

「なーんちゃって」

 千歳は、こんなに顔を至近距離まで近づけた男性がいままでいたことがなかったので、ドキドキしている。

「え。あ」と、困惑しきりの和洋。

「君尋さーん。あんた最低だねー」と言いながら光も登場した。「最低だよ。最も低い」

「俺がクズなのは知ってるだろ」

「ここまでクズだとは思わなかった」

「いや、お前たちがいつ登場してくれるのかわからなかったから。声をかけてもよかったんだけどそれじゃちょっとつまらないなって」

「だからってキスしようとするなんて」

 事の重大さに気づき、君尋は慌てふためいた。

「いや、悪かったよ。俺、まさかそこまで光が怒るとは思わなくて。ごめん」と、君尋は頭を下げる。「千歳ちゃん、ごめんね。冗談がすぎた」

「……」

「千歳ちゃん?」

「え。あ。はい」

「ほんとにごめんね。びっくりしたでしょ」

 びっくりした。

 しかし、別にこれで君尋に対しての恋心が生まれたわけではない。

 だが––––あることに気づいた。それは、このときになってようやく気づいたことだった。

 ––––

「いえ、ちょっとびっくりしましたけど、それだけで。光くんも、そんなに怒らないで」

「まあ千歳ちゃんがそう言うならいいけど……」

 君尋はもはやひたすら謝るしかなかった。

「ごめんよ、悪かったよ。本当にごめん。ごめんなさい」

「じゃ、あとで全員に夕ご飯奢って」

「さっきあんなに食べてただろ?」

「あ、やっぱバレてた? おれたちの尾行」

「千歳ちゃんは最初っから気づいてたよ」

「さすが格闘少女。気を感じたんだ」

「気というか、バレバレだったよ光くん。ていうか萬屋くんの尾行が下手すぎる」

「だってさ会長」

「––––」

「呆けている」

 そこで和洋は気を取り直した。

「あ、いや。いや」

「会長くんにも謝った方がいいのかな?」

「一応」

 光に促され、君尋は和洋にも頭を下げた。

「ごめんね会長くん」

「え、いや。あ。はい。別に。––––でも」と、ずっと疑問に思っていたことを和洋は口にした。「今日一日、二人でなにしてたんですか?」

 君尋と千歳は顔を見合わせた。

「どうする?」

「うーん」

「ちょっと早いけど」

「うーん……じゃ、まあ、前夜祭ということにします」

「なるほどね。よかったらまた付き合うよ」

「ありがとうございます。嬉しい」

「?」和洋の頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。「前夜祭?」

 と、千歳はカバンの中から小さな包みを取り出し、光に差し出した。

「光くん、お誕生日おめでとう」

 光は満面の笑みを浮かべた。

「ありがと〜! おれ、すげー嬉しい〜!!」

「家に帰ってから開けてね」

「日本人的だ」

「日本人だもーん」

「––––え?」

 和洋の困惑が止まらない。

 光は満面の笑みを浮かべたまま和洋に言った。

「来週、おれの誕生日なんだよ〜。たぶん二人はおれのプレゼント買ってたんだろうな〜って思ってた」

「え。あ。誕生日? 北原の?」

「うん。そう。それで、会長はなにくれるの?」

「えー……」

 全てのピースが嵌ったわけだから、和洋の謎は解き明かされたわけである。そして、そういうことだったのかと認識し始めると、だんだん頭がすっきりしてきた。

 そして、ちょっと悩んだ。

「誕生日プレゼントか」

「なんかちょうだい」

「自分で言うか」

「おめでたい日だもーん」

「それじゃ誕生日当日に渡すよ」

「いやいや今日おれを散々付き合わせた感謝の気持ちをいま込めてよ」

「……って言っても、いまおれ、お前にあげられるものなんかないぞ。さっきの食事に代えるのもなんだし、金をやるのも味気ないし」

「うーん」

 と、光は口元に指をやり、少し考えた。

 やがて、微笑みながら言った。

「じゃ、握手して」

 和洋は怪訝そうな顔をした。

「握手?」

「今日のところはそれをプレゼントということにしてあげよう」

「いや別に、握手ぐらいなら別に––––」

 光は右手を差し出した。

 これのどこがプレゼントなのだろうと和洋は訝しんだが、今日のところはこれでいいというのであれば、と思い、和洋も右手を差し出す。

 そして二人は握手した。

 しばしの沈黙。

 微笑みながらもどこか真剣な表情の光。

 ちょっと長い握手だった。

「?」

 だんだん夕方になっていく。だんだん今日の日が終わろうとしている。

 もうこれ以上は大丈夫……そう思い、しばらくして光は和洋から手を離す。

「ありがと」

「?」

「助かったよ」

「?」

 和洋は光がなにを考えているのかわからない。この握手が光にとってどういう意味を持っているのか全くわからない。

 だが千歳と、そして君尋にはわかっていた。この握手の意味、光が和洋に握手を求めた意味が、二人には、痛いぐらいにわかっていた。

 ––––これが光の精一杯なのだ、と。


 EPISODE:8

 It’s the same as a kiss for me to shake hands with you

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