7-4
隆道は、結局売り専で働くことになった。
そしてそのまま寮に住むことになった。成人済みだから家出と言えるかはわからないと本人は説明した。書き置きだけしてそのまま家を出たらしい。その原因も両親にカミングアウトをして、うまくいかなかった結果だそうだが、それにしても自分の明らかな家出よりは精神的に安定しているように君尋には思えた。おそらく、家族もシンプルにどうすればいいのかわからなかったのだろう。そして居た堪れなくなって家を出た。あるいは、君尋には、隆道が家族とものすごく仲が良いことによる結果なのだろう、と思えた。家族の話をあまりすることのない隆道だったが、おそらく、家族のことを悪く言いたくないのだろう、と、なんとなく感じた。
君尋としては、自分の好きな男がセックス産業に従事していることに、半分何も思わず半分気になった。何も思わない部分に関しては自分も援助交際で生活しているからお互い様だと思う一方で、君尋自身がゲイのライフスタイルにある種の諦観があるからだった。要するに、“ゲイなんて結局こんなもの”。気になる部分に関しては––––やはり恋心を抱いているからである。(ちなみに和洋に対する説明としては、隆道はただのアルバイトをしているとだけにとどめた。兄弟がセックス産業に従事していたということを伝えるのはプライバシーの侵害だと思った)
修平は相変わらず指導役の上司とうまくいっていないようだが、隆道のアドバイスである「相手が自分に片想いをしていて、それを暴かれないようにあえてつっけんどんになっている」説を採用しうまく活用しているようで、また、君尋のアドバイスである「口癖・すいませんを改める」ということもしているようだ。それで“うまく”いっているというのが具体的に解決したというわけではないことも二人にはわかっている。実際、相変わらずその上司の愚痴を言い続けている。君尋としてはうんざりだが、隆道としては日々興味深いといった様子でその度にアドバイスをしてみている。いいやつなんだな、と思う。
「ゲイとして思うのは、やっぱり、なんで隠さなきゃいけないんだろう、ってことかな」
ある日、隆道はアルフで二人にそう言った。もうこのトリオにはなかなかの絆が生まれていた。
「そりゃだって、わざわざ言うことじゃないだろ」
「でも、わざわざ隠すことなんだよな」
君尋は黙りこくってしまった。
「それはそうだけど、でも、嘘を吐いているわけじゃない。ただ、言ってないだけ」
「誰かが“津山さんって同性愛者なんですか?”と訊いたときの、君尋の反応が全てだと思うよ」
「じゃ、隆道は、そう訊かれたらどうする?」
「いい機会だと思ってカミングアウトしてみようと思う」
「机上の空論だと思うね。実際その場面になったら絶対に隠すと思うぜ」
「でも、気概としてはそのつもりでいたいと思うよ。俺はやっぱり同性愛者が生きやすい社会になるべきだと思う。そのために一人一人のカミングアウトは大切だと思ってる」
「改めて、なんでわざわざ自分が誰を好きかとか言わなきゃいけないわけ?」
「異性愛者はいちいちカミングアウトしなくても異性愛者だってわかってもらえるけど、同性愛者はいちいちカミングアウトしないとわかってもらえないもの」
「でも俺たちだって、第三者から見れば異性愛者に見られてるはずだぜ」
「異性愛規範が強い社会だからね」
二人の議論をそばで聞いていた修平はそこでちょっと参加した。
「でもさ、社会を変えるって言っても、そんなこと言われてもどうすりゃいいのさ。隆道は別に政治家になりたいわけじゃないんだろ」
「援護とかサポートとかできることはあると思う」
「援護、ねえ」君尋はビールを飲んだ。「意識が高くていいことだ」
「気概としては大切にしたいと思う。ところで修平、そのおっさんとはどうなってる?」
突然話題を変えたのは君尋との議論が“口論”になりつつあることを予感したからだった。それは君尋もわかる。君尋はつい隆道に対して攻撃的になってしまう。––––いや。ゲイとして生まれついたことを諦めてほしい、と、そう思っているのだった。
それにしても修平の相変わらずの愚痴に話題を変えることはないだろうと君尋はいまからうんざりしてしまった。修平は隆道に話を振られて一気に瞳をキラキラさせている。
「俺の近況報告としてはねえ、うまくはいっている」
「よかったな。じゃ、この話はこれで終わりだ」
「待て待て君尋。それにしても俺はなんだかもやっとしているのだ」
「あのさ、結局上司に相談してないんだろ」
「ビビっちゃって。それに、そこそこ自分の中で処理でき始めてるから、相談っていうテンションでもなくなってきてて」
「じゃ解決したってことだろ」
「でも、もにょるんだよ」
「そのおっさんと物理的に距離が取れない以上もやもやしっぱなしになるのは仕方がないだろ。運よくそのおっさんがその部署を離れるか退職するか、あるいはお前が辞めちゃうかじゃないと絶対に解決しない問題だって俺は思うね。そんなことにならないように相談を––––」
「相談するのもパワーいるもん……」
「俺らには相談できてるだろ」
「だって、友達だもん。話聞いてくれるのわかるし。実際、君尋、いまなんだかんだ話聞いてくれてるしさ。ねー隆道、俺のこのもやる気持ちはどうすれば抑えられるのかなー」
隆道に矛先を変えてくれて君尋はほっとする。隆道はいま君尋の言ったことが気になっているようだった。
「やっぱり、君尋の言うように、根本的な解決としては、完全に物理的距離を取るしかないんだろうな、とは思う」
「そりゃ無理ってことよ」
「じゃあ、気にするな、だろうかね」
「え〜。何も言ってないのと同じこと」
「まあね。気にしてる人に対して気にするなって言ってもね」
「そうそう」
「……他の人たちはいい人たちなんだよね。そのおっさんだけがネックと」
話を切り出した隆道に、修平は姿勢を正す。
「うん」
「物理的距離が取れない以上、心理的距離を取るしかない」
「それが、“気にするな”?」
「気にしないためにもいろいろ材料だったり武器だったりが必要だよ。魔法の力がね」
「魔法ねえ。それは具体的に」
「考え方を変えることだ」
修平はがっくりと肩を落とす。
「結局それしかないのかー」
「係長に相談しない、って選択肢を選んでいる以上仕方がない」
「まあ、それはそうなんだけどさ」
そこで隆道は一旦ハイボールを飲み、しばし熟考する。なんて言ってくれるだろう、と修平は期待する。その様子を黙って君尋は観察している。
「なんとなくなんだけど、そのおっさん、他の社員さんたちからもあんまり快く思われてないんじゃないかな、と俺は思うね」
ん? と、修平は首を傾げた。
「他の社員さんとはフレンドリーだよ。俺とか一部の社員さんに対しては雑だけど」
「だからそこだよ。この人、私には私たちにはフレンドリーなのに、あの人あの人たちにはどうしてそうじゃないんだろう、ってことは普通に見抜いてるはずだよ」
「あ〜ふむふむ」
「殊更にあの人あの人たち宮崎さんに問題があるようには思えない。じゃなんで差があるの? もしや個人的感情? 単純に好き嫌い? え、ここ会社だよ? いま学園祭? ––––みたいに思ってる可能性はゼロではない。というか、自分たちにはフレンドリーだけど他の人たちにはそうじゃない、っていうのはなんだかんだ気になっちゃうよ。自分にはフレンドリーだからなおさら。そして、仮にそう思ってたとしたら、そのおっさんは実は疎ましがられている」
「ほう」
「そもそもフレンドリーに接してきている以上フレンドリーに返さなきゃいけない、っていうのもあると思うんだよね。なぜなら別に友達じゃなくて、あくまで仕事なんだもん」
「そうだね」
「結局、他の先輩たちが尻拭いしてる形なわけだろ。そのおっさんが風邪とか忌引きとかで休むことがあったら周りをよく見てごらん。きっと皆さんのびのび働いてると思うよ」
「あ〜。それは想像つくかも……」
「そう思うと、修平の周りは味方だらけってこと。少なくとも俺が思うに、そのおっさんは自分で思ってるほど周囲から好意を持たれていない。それは正直、間違いないんじゃないかなと思うね。だからこそ、修平は一人じゃない。直接の仕事に関しての相談は係長とかにしかできないかもしれないけど、ちょっとした陰口パーティの機会があったらそのあんちゃんに言ってみてもいいかもね。○○さんのことがなんか気になるんすよね、みたいに。わかる〜、ってなるから」
やはり隆道は自分の思考を言語化するのが好きなようだった。なかなかハイテンションで、聞き取りやすいとはいえ少し早口になっている。だがだからこそ修平も君尋も耳を傾け集中するようになる。
修平はうなずいた。
「ありがと〜。今日のもやもやはちょっとすっきりした」
「それはどうも。あとは食って寝て、だ」
「うん。ありがと」
「……でも俺としては、修平の話を聞いてると、そのおっさんがかわいそうな気分になってくるっていうのも正直あったりして」
「え、なんで?」修平は目を丸くした。「どの辺にそのおっさんに同情の余地が?」
隆道は、うん、とうなずき、話し始めた。
「だって、気に入ってる社員にはそういう対応で、そうでもない社員にはそうでもない対応って、それはそのおっさん単純に疲れてるんだと思うよ」
「もうちょっと具体的に」
「みんなに平等に接する、って、なかなか余裕がないとできないもの」
修平はピンと来た。
「それはわかる」
「きっと疲れてるんだよ。余裕がない。だから大切な人を大切にすることしかできなくなってる。そのおっさんに余裕ができればきっと修平たちへの態度も緩和すると思う。まあそれに期待はできないけど、それでも“この人はかわいそうな人なんだ”と思えば少しは気が晴れるんじゃないかな。なんか乱暴な態度を取られたとき“あんたもいろいろあるんすね”みたいな。あとは、“この人は俺に惚れている”っていうのと組み合わせれば完璧だ」隆道はにやりと笑った。「遊んでみな、そのおっさんで」
その上司で遊ぶ、というのは画期的解決策だと修平は心の底から思った。
「やってみる!」
「OK。じゃあ、その成果はまた今度聞かせてもらうよ」
「おう!」
修平はにこにこしている。どうやらちょっとではなくだいぶすっきりしたようだった。隆道も話ができてすっきりしているようだ。
……おそらく、隆道がゲイであることを、隆道は家族にかなり丁寧に説明したはずだった。それでも通じなかった。だから––––隆道は“家出”という結果に至ったのだろう。
君尋はなんとなくそう思う。
隆道が切なかった。
……日に日に君尋の隆道への恋心は燃え上がっていた。
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