7-2

「なんだか静かだね」

 勉強中。光の部屋では千歳のスマホからサブスクの演歌が流れている。だが、確かに静かだった。

「そうだね」と、光は応える。「気分の問題なんだろうね」

「そうだと思う。萬屋くんと君尋さんが深い話をしてるから」

 しばしの沈黙。

 光が思いついたように言った。

「……会長がおれに優しいのは、なんか理由があるんだろうな〜と思ってはいたんだけどね」

「あたしも気になってた。坂東くんとか、他の男子は光くんとちょっと距離感あるんじゃないの、って思うようになってたから」

 千歳の言葉に光は気持ちが沈む。確かにこれまで周囲に埋没するように学校生活を過ごしていた光だから、特別仲のいい友達がいたわけではない。しかし、誰とも関係を持たず過ごしていたわけでもない。最低限の付き合いはしてきた。しかし、放送室事件以来、いくらかの男子たちが光と以前とは異なる距離感で接していることに光はもちろん気づいていた。

「うん……坂東くんはいいやつなんだけどね」

「坂東くんはいいやつだけどね」

「いや、別におれに距離置くようになった人たちだって悪いやつだからってわけではない」

「あたし最近、LGBTの本をよく読むようになって」

 光は目を丸くした。

「そうなんだ」

「最初しばらくは、こんな言い方だと押し付けがましいかもしれないけど、光くんの役に立ちたいって思ってたからなんだけど、読めば読むほど、差別なんてなんであるんだろう、っていう風に思うようになって。なんていうか自分の生き方のために読むようになってるのね」

「いい傾向だと思う」

 本当に心の底からそう思う。

「結局のところ、どうして同性愛の人たちは差別されるのかしら」

 根元的な疑問だった。それは光も君尋や、二丁目の友達たち仲間たちと日常的に話していることだった。

 光は答える。

「聖書に、同性愛者は殺せってはっきり書いてあるんだって」

「でも」と、千歳は前のめりになる。「あたし聖書って読んだことないけど、きっと同性愛以外にもあれしちゃダメこれもしちゃダメっていっぱいあるんじゃないの」

 聖書がオナニーを禁じていることを光は思った。

「守れるものだけを守ってる……ってことだろうね」

「そんな。それじゃまるで聖書を利用してるみたいじゃない」

「みたい、じゃなくて、実際にそうなんじゃないかとおれは思う」

 千歳は光の目をまっすぐ見る。光もそれに応え、千歳と向き合う。

「おれはさ、演歌って興味なかったんだけど、千歳ちゃんがよく歌ってるのを聴いてて、悪くないなって思うようになったのね」

 突然話題が変わったのは、演歌の話から同性愛の話に持っていくためだろうと千歳は思った。

「演歌はいいよね」

「でも、演歌で歌われるラブストーリーは百億パーセント“男女の”恋物語なんだよね」

「それは……」

「それは、リアルじゃない、とかじゃなくて––––現実じゃないんだよね。現実を描いていない」

 演歌が大好きな千歳でもうなずくしかなかった。

「同性愛者は現実にいるもんね」

「しかしだからといって同性愛をテーマにした演歌を作ろうとか歌おうとかってなったらきっと世間から叩かれるのであろう」

「……」

「異性愛規範ってわかる?」

 千歳はうなずく。

「本で読んだよ」

「異性愛者の生き方、在り方をベースに社会が作られているわけ。だから、同性愛者の存在は単純に“困る”わけだよね」

「困るって……」

「聖書に書かれてるから––––っていうのも、結局のところちょうどよく言い訳が用意されてるからで、同性愛者の存在を無視した方が異性愛者にとって生きやすい世の中になるのはそれはそうなんだと思うんだ。だって、どうしたって男と女からじゃないと子どもは生まれないから、同性愛者がいたら人類が滅びてしまう」

「でも、実際滅びてないでしょ?」

「危機感はある方が便利だし、楽」

「そんな」

「おれとしては、別にある日突然全人類が同性愛者になったところで、それならそれで新しい世界が作られるだけで別に人類滅亡なんてことにはならないんじゃないかと思うんだよね〜」

「すごい突拍子もない話だよね」

「だって、どうせ人類滅亡なんて突拍子もない話をするなら突拍子もないように考えた方が楽しいじゃない」

 光はちょっと笑う。どこか哀しげな微笑みだった。

「よく、同性愛のことをなにも知らない人たちが、江戸時代までは日本は同性愛に寛容だったとかのたまうけど」

「男色はイコール同性愛じゃないんだよね」

「そうそう。もちろん江戸時代以前だっておれみたいな同性愛者はいたはずなんだけど、それに関してはほとんど資料が残ってないんだって。友達が言ってた」

「うんうん」

「––––考えなきゃいけないのは、“いま”のことだよね。いま、なぜ同性愛者は差別されるのか」

「でもあたし思うんだけど、なんだかそんなに差別的な人が世の中にたくさんいるようにはちょっと思えないの。ううん、光くんや君尋さんが大変なのはわかるの。同性婚がなかったりするわけだから差別があるのもわかるの。でも、それにしてもそんなに攻撃的な人たちでいっぱいの国かな日本、って思うの。石を投げられたりするわけじゃなし」

 うん、と、光はうなずいた。

「正しい感想だと思うよ。おれだって、別にいままで生きてて攻撃とか、殊更に差別的な目に遭ったことがあるわけではない」

「つまり––––っていうことは」

 再び、光はうなずく。

「ジン先生の言ってたこと覚えてる?」

「なに?」

「個人が集まって集団になるんじゃなくて、集団には集団の論理がある。社会には社会の論理があるって」

「覚えてるよ。たぶんアメリカとかより日本の方が個人としては寛容な人は多いと思うって話だったね」

「だから、差別は個人の問題じゃなくて社会の問題であるということ」

 うん、と、千歳はうなずく。

「いまの社会は同性愛者にとって生き辛い社会であるってことだね」

「別に、おれがゲイで、たまたまいま同性愛の話をしてるだけで、マイノリティは全体的に生き辛い世の中だと思うよ。フィクションの物語として黒人の人魚姫がいたっていいはずなのにそれはダメだという」

「なんでなんだろう」

「それは結局、多様性が面倒臭いものだからだと思うよ」

 千歳はきょとんとした。

「面倒臭いかな? みんなが生きやすいのはいいことだと思うけど」

「いまの世の中は“一人一人がかけがえのない存在である”ということになっているから、平成のころや昭和の昔のようにお座なりにしてもいい人間とか、適当に扱ってもいい人間っていうのがいないってことになってるから。一人一人を大切にしなきゃいけないわけだからそりゃあ窮屈な世の中になると思うよ」

「窮屈って……それじゃ、同性愛の人たちや、他の人たちはどうなるの」

「女の人とかね」

 ん、と、千歳は口ごもったが、すぐに気づいた。

「……そうね。あたしも女として生きてて、殊更に差別的攻撃的な目に遭ったことがあるわけじゃないけど」

ということはつまり」

 千歳はうなずく。

「ちょいちょい気になるところはある」

「だから、その“ちょいちょい気になるところ”をほったらかしにしておくと––––殺人が起こるんだろうね。レイプとか」

 千歳は、身を震わせた。

「だから、そんなことにならないようにフェミニストの人たちが頑張ってるわけだ」

 光の言葉に、ちょっと考え込んだが、すぐに千歳は言う。

「正直、あんまり恩恵を受けてる気がしないけど、気づいてないところで恩恵を受けてるんだろうね。ううん、たぶん社会ってそういうものなんだよね」

「でも、“女のくせに生意気だ”ってがいる。だからなかなか男と女は平等にならない」

「マジムカつく」

「でも、それだけではない」

 光は千歳の目をまっすぐ見る。千歳は決してその視線を逸らさない。

「おれたちは“男女が平等な世の中”を知らない。“同性愛者が普通に生活している世の中”を知らない。あるいは“障害があってもなくても穏やかに生きていける世の中”を知らない」

「うん。そうだと思う」

「そしてそれがどんな世の中なのかを知ったとき––––きっと人間って、“自分がいままでどれだけ間違ったことをしていたか”を思い知るんだ。それが怖くて––––だから人は人を差別する。だから“このまま”の社会を続ける。それも“いい人”が、人を殺す––––」

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