6-5
「さて。というわけで俺はこれから保護者としてお前に説教しなければならない」
ソファに正座して、君尋と光が向き合っている。
「はぁい」
「お酒は二十歳になってから、っていつも言ってるだろ」
「自分だって飲んでたくせに」
「それはそれこれはこれ」
「ダブルスタンダードだあ」
「いや、ケースバイケースだ」
「それにしてもテキーラなんてちょ〜っぴりの量だったのによく気づいたね」
「違和感は大切」
「違いない」
はは、と笑い合う。笑い合ってはいるが、君尋の眼差しは真剣だった。だから、改めて向き合う。
「会長くんはお酒に弱かったわけだろ。万が一のことがあったらどうしてたんだ」
「ごめんなさい」これは素直に謝るべきことだった。「テキーラとはいえまさかあんなちょっぴりで酔っ払うとは思わなくて」
「別に俺だって鬼じゃないからこれを誰々に報告しようとは思わない。普通に内緒話にはできる」
「ありがてえ」
「でも、やっぱりそれとこれは話が別だ。俺はお前の後見人で、保護者なんだから」
光はしゅんとなる。そうなのだ。君尋は血の繋がりがあるわけでも昔からの仲というわけでもない。ちょっとしたきっかけから仲良くなって、そしていまに至るのだ。光はいよいよ反省の念が湧いてきた。
「ごめんなさい」
君尋は必死だった。自分は光の保護者として光を“ちゃんと”見ていなければならない。そのため熱心だったし、だからこそこの関係が二年以上続いていると言える。
「ごめん」
ひたすら平謝りの光に、今度は君尋が申し訳ない気持ちになってしまった。しかし確かに自分も十代から酒を飲んではいたが、これはダブルスタンダードではなくケースバイケースの話である。なぜなら、君尋はもうとっくに大人になっていて、光はまだまだ子どもなのだから。
君尋は頭を下げる光を見つめる。そして、ふう、とため息をついて、光の頭を優しく撫でた。
「早く大人になれ。二十歳過ぎたら飲もう。な」
「うん」
「会長くんも俺が鍛えてやる」
光は、ふふ、と微笑んだ。
「そのころまで付き合いがあればだけど」
「そうだね。卒業したらもうそれっきりかもしれない」
「LINEは繋がってるけど……」
「それだけでは繋がっているとは言えない」
「そうなんだよねえ」
「ま、楽にしな。お説教は終わりだから」
と、君尋は姿勢を直し、ソファに深く座り込んだ。
「うん」と、光も座り込む。「ありがと」
「いやいや」
光はなんとなく、ぼんやりと考える。
「……そうか。会長と会えなくなるなら、千歳ちゃんと会うのも難しくなるのかな」
「難しいっていうか」ちょっと渋い表情になる。「必要がなくなるんじゃないの」
「う〜ん。千歳ちゃんはいい子だから、友達としてはずっと付き合っていきたいんだけど」
「会長くん次第?」
「いや、会長のせいにしたくない。おれの問題だから」
「そうだな。お前に誰か彼氏ができて、千歳ちゃんがお前のことを忘れたら、ちゃんと友達になれるのかもしれないな」
「うん。そうだと思う。でも」
そこで光は、はあーっ、と、大きくため息をついた。
「おれは、会長と付き合いたいよ」
「わかるよその気持ち」
その気持ちは痛いほどわかる。
「でもそうもいかない。おれには可能性がない」
時計の針の音が聞こえる。
光は続けた。
「別に女の子になりたいって思ったことはないけど––––」
「そうだね。もしお前が女だったら、少なくとも可能性はあったね」
「百万分の一でも、可能性があるなら一生懸命頑張れるのに」
「そうだね。俺たちの場合、ノンケに恋した場合、“積極的に一生懸命頑張って”も無意味だからな」
「忘れた方がいいんだよね」
「それは千歳ちゃんにとっても同じだろ? 千歳ちゃんの恋がうまくいく可能性はない」
「おれがノンケになる可能性はあるし、会長がゲイになる可能性もあることはあるけど」
「トンネル効果って知ってる?」
「なにそれ」
「物理の話なんだけどね。俺も難しい話はよくわからないけど、一秒間に一回壁にぶつかってれば何百億年の間には壁をすり抜けられるんだってさ」
「そんなの、事実上の不可能だよ」
「そういうことだね」
「キツいなあ……」光は髪をぐしゃぐしゃと掻いた。「せめて可能性が欲しいよ。百万分の一でいいんだ。おれと会長が付き合える可能性が欲しいんだ」
かつての自分とまるで同じ悩みを抱いている。君尋は光の気持ちが、痛いほどわかっていた。
「俺も昔、好きな人がいたんだ」
「昔話?」
「そ。部活の先輩だった」
「弓道部だっけ」
「そ。かっこかわいい感じっていうのかね。ひたむきな感じで––––そうだな、矢を射っている真剣な横顔がよかった。仲良くなれたし、しょっちゅう遊びにでかけた。でももちろん、告白なんてしなかったよ」
「だろうね」
「俺には、いまのお前みたいに当時ゲイの友達がいなかったから、自分が世界でたった一人の同性愛者だっていう気分になってた」
「相当深刻だね」
「もちろん、気分の話だけどね。テレビとかネットとかでそんなバカなことがあるはずがないことわかってはいた。でも、身近にいなければ“いる”ということにはならない。いや、もちろん身近にはいるんだけど、俺が秘密にしているのと同じ理屈で向こうも秘密にしているわけだから、たとえすれ違っても気づかないわけで。わかるだろ」
「うん」
「……でも、その先輩の話を、こともあろうに親に相談しちまったんだよ」
話がどんどん深刻になっていた。思わず光は声を上げる。
「ええっ」
「当然、親はびっくりするわな」苦笑。「……うちの親は、母親が小学校の非常勤で、父親が大学の講師だったんだ」
「それは聞いたことある」
「うん。それで––––母親は、というか、まあ大雑把に言えば女は多かれ少なかれ腐女子の要素があるのかもしれない、テレビに出てくるオネエタレントだったり、ゲイを扱ったドラマなんかを興味深く観てたんだ。それで、小学校でも独自にLGBTの授業をしていたらしい。誰が誰を好きでもそれは素敵なことなんだよ、みたいな感じだろうね」
「いいお母さん」
「父親も、そうだな、リベラルな考え方の人間で……同性愛関連のニュースを観ながら、日本もいずれいい方向にいくといいんだけど、みたいなことをよく呟く人だった」
「へえ。理解のあるお父さん」
「でも、息子がゲイだってなると話は別」
「……」
「“いるのはいいけど身近にはいてほしくない”……ってこと。詰問が始まったよ。その人に告白はしたのかとか、誰にもバレていないだろうなとか。俺は嘘を吐きながらできるだけ両親が安心するような説明を心がけた。でも理解はできなかったみたいだ。俺は翌日、精神科に連れていかれ、先生が同性愛は治療の対象ではないということを言って、母親は新興宗教に入るし、父親はリベラルとは打って変わって保守的な考えの本を読むようになった。同性愛を“矯正”するためにはどうすればいいのか、とかね」
「……」
「そんな家庭だから、俺の弟はグレちゃって暴走族だよ。かわいいやつだったんだけど。要するに、家庭崩壊ってやつ。だから俺は家出して二丁目に辿り着き––––で、いい人たちに恵まれた結果いまここにいる」
「君尋さんが悪いわけじゃない」
光の言葉に、ふう、とため息をついた。
「……家族としては、そりゃあ大切に育ててきた息子が、男の人が好きですなんて言ったらそりゃあびっくりするだろうなと思うよ。いくらリベラルな考え方をしていても、家族がそうだってなるとそりゃあ話は別さ。でも」再び、苦笑。「俺が悪いわけじゃないけど、俺の家庭が崩壊したのは俺が原因なのは違いない」
「でも、君尋さんは悪くない」
「そうだね。だから……これは単なる、昔話。おっと、話がだいぶ逸れたな」
と、そこで君尋は光の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「俺が言いたいのは––––光。お前はかつての俺と違って独りぼっちじゃないってことだよ。独りじゃないから、自分の悩み事もなんとか言葉にできるようになっててさ。……お前と会長くんがうまくいく可能性は残念ながらないけど、でも、お前は独りじゃない」光の目を見つめる。「独りじゃないから、大丈夫だよ。みんな、いるから––––」
君尋は光に微笑みかける。光もにっこりと笑う。その瞳は少し潤んでいた。
「ありがとう」
へへ、と、君尋は笑う。
––––あるいは、俺ならこの子を幸せにできる。俺には、可能性がある。早く伝えたい。お前が好きだと言いたい。でも、いまはまだそのときではない。“そのとき”が来たとき、光がそばにいるかはわからないけれど、それでもいまはまだそのときではない。なぜなら自分は大人で、相手は子どもなのだから。
互いに仕事にはまだ余裕がある。二人はのんびりと二人の世界に落ち着いていた。
そのとき、ドアベルが鳴った。
「あれ、誰だろ」
「セールスかなんかかね」
と、君尋はインターホンの画面を見る。
「あれ、会長くんと千歳ちゃんだ」
「え、ほんと?」光は起き上がった。「なんだろ」
とことこと玄関へ向かい、ドアを開ける。二人がそこにいた。
「どうしたの?」
「忘れ物」と、和洋はぐったりしていた。「家の鍵を忘れた」
「ええっ。そりゃヤバいね。え、ご家族の方々は」
「出かけてる」
「わー絶体絶命。千歳ちゃんはどうして?」
「図書室で一緒だったの。だから、どうせだからってついてきちゃった」
「わわわ。でも嬉しい。とにかく入って入って! 君尋さんもいるよ!」
「お邪魔しまーす」
といって二人は室内に入っていく。君尋も二人を出迎えた。
「こんにちは」
「こんにちは!」
「こんにちは」
「会長くん、昨日はすまなかった」と、君尋は頭を下げた。「俺の責任です」
「え、いえ、そんな。そんな大変なことじゃないです。酒飲みの友達なんて普通にいるし」
「え、そんな友達がいるの?」
和洋と光の昨夜の事情はもう聞いていた。和洋は答える。
「十代で飲まないやつの方が珍しいんだろ。おれは飲んだことないけど」
「あたしもないけど、じゃ亜弥たちはどうなのかなあ」
君尋は再び頭を下げた。
「とにかく、それはそれ、これはこれだから。ほんとにすまなかった」
「ごめんね会長」と、光も頭を下げる。「おれ、ちょっとハイテンションすぎた」
「いや、いいよいいよ。二日酔いになってるわけじゃないし、いいんだ。それより」と、和洋は話題を変えた。「お前、宿題はどうなってる?」
「え。昨日やったっきり手をつけてないけど」
「そんなことだろうと思ったよ。よかったら俺、このまま付き合うけど。大黒も付き合ってくれるってさ」
「え、マジ〜?」
「うん! あたしでよければ」
「いやあ〜、二人についてもらえば百人力っすよ。ほんとありがと! おれ頑張る!」
三人の和気藹々と話す様子が君尋には微笑ましかった。だが、その視線は主に和洋に向けられている。なにかを考えている。そのとき、和洋がそれに気づき、君尋を見る。
「なにか?」
「いや」
君尋は口元を指で押さえる。
その様子に和洋はもとより光も千歳も気づいた。
「君尋さん、どうしたの?」
君尋は、これは、いまがそのときなのだろう、と、ぼんやりと思い、そして口を開く。
「……会長くん。前々から聞こう聞こうとは思っていて––––それは二年前、光から君の話を初めて聞いたときからなんだけど––––」
「……はい。なんでしょう?」
やがて––––ゆっくりと君尋は、口を開いた。
「
一瞬、和洋の時間が停止した。
そして次の瞬間、君尋に駆け寄った。
「兄貴のこと知ってるんですか!?」
「やっぱり。珍しい苗字だから、関係者だとは思ったんだ」
「兄貴がいまどこにいるか知ってますか! いや、兄貴は家出してからどう過ごしてたのか––––っていうか津山さんは兄貴とどういう関係……もしかして」
和洋は目を見開いていた。
頭の中に浮かんだ疑問を、そのままゆっくり言葉にした。
「彼氏……とか」
君尋はどこか憐れむような瞳で和洋を見下ろしていた。和洋は真剣で、必死だった。それだけこの少年にとって兄の存在は大切なものだったのだろう、そう感じていた。
「……彼氏?」
光は、和洋がなにを言っているのかよくわからない。だが––––和洋の優しさの理由に気づき始めていた。そしてそのとき千歳も、どうして和洋がこんなにも光に感情移入しているのか、直感的になんとなく理解し始めていたのだった。
EPISODE:6
What is Tenderness?
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