6-2

 光にはもちろん先に学校に行けと言ったが、おれのせいだから付き合うと特に申し訳なさそうではない態度で言ってきて、しかしここで諭している暇があるはずもないことから仕方がないので光を家に連れていき、すぐに戻るからと玄関前で光を待たせ、そして言葉通りすぐに学生服に着替えた和洋が現れたので光はさすが小説だと思うべきなのかそれとも和洋にとって服を着替えるということはそんなにも容易いことなのだろうかと疑問に思ったので、走りながら光は訊ねた。

「ほんとすぐに着替えたね」

「靴下とパンツは仕方がない」

「あらま」

「他のやつらには言うなよ」

「もし言ったら?」

「いや別にペナルティがあるわけじゃないけど……」

「じゃあまあ二人だけの秘密にしといてあげるよ」

「そうしてくれると嬉しい」

 そして二人は学校への道を走る。

 走りながら、和洋は昨夜のことを思い出す。酔いもとっくに覚めていたし、走ることでさらに記憶は鮮明に蘇ってきた。

 昨日は予備校があり、そしてそのまま帰路に着き、途中で光に会い、夏休みの宿題をしていないことを知り勉強に付き合い––––というところまで思い出し和洋は叫ぶ。

「お前、宿題はどこまで終わった!」

「だいぶ手伝ってくれたからね〜」と、光は微笑んだ。「一問目だけ解いて、あとどんどん進んでって〜みたいな、すごいやり方であらかた終わったよ。提出日は明日まででしょ」

「結構な量をやった気がするけど」

「だって夏休み、遊びまくったじゃ〜ん」

 夏休み。三人は度々どこかに遊びに出かけていた。千歳と光はともかく、和洋は進学希望なのでそんなに遊んでいる暇もないのだが、それでも楽しかった。念願の七人のグループで出かけるということもできた。高校最後の夏休み、ということを考えれば、なかなか充実した日々だったと言えるだろう。

「おれ、夏休みにこんなに遊ぶの小学校のとき以来だから、なんかすごいリア充になれた気がしたよ〜ほんとありがとうね」

 聞き逃せない。

「小学校のとき以来?」

「うん。中学のとき、ゲイだってバレて、あんまり」

 衝撃的発言だった。そういえば、光の過去をあまり聞いたことがない。母親の話を聞いていたからあまり追求しないようにしていたのだ。

「……いじめられたのか?」

「ううん。すごい気を遣ってもらった。でもなんか空回りでさ。配慮ってむずいよね〜ってただそれだけの話」

「……」

「ま、いろいろあったわけよおれにも。でもなんかあんまり昔の話はしたくないかも。ごめん」

 昨日見た夢。

「いや。お前は悪くない」

「それはそうだけど」

「お前は悪くない」

 和洋は繰り返す。

「お前は悪くない」

 光の方を見ずそう言う和洋に、光は微笑んだ。

「ありがと会長」


 そして電車に乗る。ラッシュの時間をとっくに過ぎていたので車内はまばらだった。つまり、もはや余裕はないということだった。和洋は腕時計を見て、ホームルームには遅刻するかもしれないがギリギリ始業式にさえ間に合えばと考えていた。もっと早く電車が走ってくれればいいのだが、本当にそんなことになっては困るので、ただ駅に到着するのを待つしかない状況で和洋は椅子に座ってやたらと窓の外を見たりキョロキョロしていた。

「あんまりキョロキョロ見ない方がいいと思うよ」

「それはわかってるけど」

「ほんと真面目くん。始業式になんか間に合わなくていいのに」

「俺は生徒会長だからな」

「ああ、そういえばそんな設定あったね。生徒会長らしい仕事の描写がないけど」

「いや、いい、俺は真面目だから始業式に出席したいんだ、ただそれだけのことだ」

「会長はメタネタ苦手だなあ」と、光は微笑む。「じゃあまあ別の話題に移ろう」

「そうしよう」

「会長はなんで石川と別れたの?」

「石川のキャラが苦手で……」

 うっかりしていたことに気づいた和洋だったが、もう遅い。光は興味津々の眼差しで和洋の言葉を待っていた。

「この話題じゃなきゃダメ?」

「そこまで話したなら諦めて」

「まあ隠してるわけじゃないけど……」と、和洋は、ふう、とため息をついた。「石川ってさ、割とサバサバしてるだろ」

「うん。サバサバ系女子だね。でもあたしサバサバしてるからとかいうネチネチ系じゃなくて言葉通りで」

「あいつ、ずっと俺のこと好きだったっていうの、知ってたんだよな」

「ああ、片想いがバレちゃってたんだ」

「それでなんか、逃げ道塞がれた感じで。もう付き合うしかないみたいな」

「わお。石川策士」

「でもそれは別によかったんだよな。俺は石川に特別な気があったわけじゃないけど、あいつがいいやつなのは知ってたし、別に付き合うなら付き合うでよかったんだ」

「会長は好きにならなかったの?」

「そのまま付き合ってたらそうなってたんだろうけど……」

「石川のサバサバ系キャラが、付き合ってみたらネチネチ系だったの?」

「いや、そうじゃない。付き合い始めてから、やたらと女の子アピールというか……かわいこぶるとまでは言わないけど、なんていうか」

「ハウトゥー本を読みましたみたいな」

「そう。そういう感じ。そういうなんか、女の子っぽい感じというか、ザ・女みたいな感じが、なんか、鬱陶しくなっちゃって。それでごめんなさいって言って」

「友達に戻ったわけだ」

「そう」

「ん〜。女の子っぽい感じが苦手っていうけど」そこで光は怪訝に思う。「千歳ちゃんだって女の子らしい感じするけど」

「それは思うよ」

「つまり、それぞれの女の子らしさが違う」

「なんていうか、石川、どっかに“連れてってほしい”とか、リード“してもらいたい”みたいな感じだったんだよ。あいつそんなキャラじゃなかったのに。それで、俺、そういう主体性のない感じの女は嫌なんだ」

「でもそうさせてるのは男に原因があるんだと思うよ〜。男性社会で生き抜くための女性の戦略かと」

 そんな光の指摘に和洋は目を丸くした。

「フェミニズムだよな」

「そうだね。LGBTと密接な関係にある」

「お前も、戦略を考えてるのか?」

 突然話題を変えた和洋にやや驚いたが、光も別に答えたくないわけではない。

「戦略っていうか、まあ、クローゼットでいることが戦略なわけですけど」

「バレたあとの、いまは?」

「それは考え中。よもや全校生徒にバレるとは思わなかったもん。おれのキャパを超えててこうすればいいからこうしようっていうのが模索中」

「そうか」

「カミングアウトすると選択肢が無数に増えちゃうからね。他の子もだから隠してるんだと思うけど」

「他の子?」

「学校の」

 ん? と、和洋は怪訝そうな顔をした。そんな様子に気づき、光は答える。

「おれ以外にもゲイの子いると思うよ。レズビアンとかも。もちろんジン先生以外にも先生の中でいるはず。少なくともパーセンテージの話でいけばこのたくさんの人々がいる学校の中でゲイがおれとジン先生だけなんてことはあり得ない」

「そういう風に思うやつがいるのか?」

「おれのことガン見してくる子がいるな〜っていうのは気づいてるけど。でも、その子のガン見の理由がわからない以上その子がなんでおれをガン見してくるのかわかんないからその子がゲイかどうかはわからない……」光は人差し指をピンと立てた。「したがって、おれには誰がゲイなのかわからない」

「そうか」

「言い換えれば、おれは坂東くんがゲイでも驚かない」

 だが和洋はちょっと驚く。

「坂東は土橋がいるだろ」

「カモフラージュの可能性は否定できない」

「それはそうだけど」

「まあ、会長の疑問の理由もわかるよ。要するに坂東くんがゲイっぽくないんでしょ」

「うん、まあ」

「こないださ、WBCあったじゃん」

 唐突に話題が変わったので和洋はちょっとたじろいだ。

「野球がどうかした?」

「ネット見てたら、選手の誰々が誰々と密に寄り添い合ってるみたいな画像がしょっちゅう出てくるの」

「ゲイ疑惑、とか?」

「ううん、ネットの、野球ファンの反応は『こいつら仲良すぎだろ』にとどまる。彼らの中で、この選手はゲイかもしれないなんて発想自体が浮かぶことを、彼ら自身がタブーにしている」

 少し話が難解になってきたので、和洋は真剣に光の言葉に耳を澄ませる。

「野球部のゲイなんてごろごろいるのにね。っていう事実すら彼らは“事実”と思わない、信じないわけだけど」

「それで?」

「だから、世界的スーパースターの誰々選手が実はゲイである……なんてことを彼らは考えたくないの。なぜならそしたら彼がスターじゃなくなるから。彼が“最悪”になるから。ヒーローがゲイだと彼らは困るわけだ。だから彼らの、要するに無意識がそういう発想を浮かばせないようにしている……」

 ふう、と、光はため息をついた。

「要するに、彼がゲイっぽくないから、いくら男とイチャイチャしててもゲイに見えないわけだ。でも、そもそもなんて概念自体があり得ないんだけど、彼らにとってのゲイのイメージと明らかに違うから、どうしてもそういう連想にならないわけだよね」

「ゲイっぽい……か」

「それは要するに、大雑把に言えば新宿二丁目的なゲイがゲイっぽいのゲイっぽさなわけ。この言い方ならなんとなくわかる?」

 オネエ。あるいはマッチョ。短髪。髭。

「なんとなく」

「––––でも、おれにもゲイに対する偏見はある。だからおれも、ガン見してくる子が“ゲイっぽく”ないから確信が持てない……坂東くんがゲイでも驚かないって言ったけど、おれ自身、坂東くんはゲイではないんだろうなとつい思ってしまう」

「でも、演技してるのかもしれないんだろ。可能性の話としては」

「だから、もし今後カミングアウトされたら驚かないけど、そうかもしれないとまでの想像はおれにも難しい。というのはどういうことかというと」

「うん」

「おれにもゲイに対する偏見があるということ。おれもゲイだけど」

『あいつが、ゲイであることのなにかで悩んでいたとき、それを千歳ちゃんの肌感覚で解決できるほど差別は甘くないし、この世界は甘くない』

 光の話している内容に、どう返答すればいいのかわからず、和洋はふと先日君尋が言っていたことを思い出す。

 これは自分の肌感覚では対応できない。

 光の話を聞けば聞くほど、同性愛の話が、それが“難しい話”であることが、和洋にはわかっていく。

 だが、一つだけわかることがある。それは光が悩んでいるということだ。

「俺はさ」

「ん?」

「悩んでるなら、悩まないようになれたらいいなって思うよ」

 昨日見た夢。

 そして、夢。

「そうだね。いつかそうなったらいいね」

 君尋と同じセリフを言っている。

 しかし和洋は思う。

 いつか、とは––––いつだ?

 しばしの沈黙のあと、電車は目的地へと辿り着いた。

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