第六話 百万分の一でいい
6-1
「––––あれ、兄ちゃんどこ行くの? こんな時間に」
「––––ああ、カズか。おはよう」
「おはよう。どこ行くの? 旅行?」
「カズはゲームだったな。そっか、すっかり忘れてた」
「兄ちゃん、どこ行くの?」
「ああ、うん。ちょっと友達と出かけるんだ」
「まだ真夜中だよ。三時だよ」
「そういう約束だからな」
「ふうん。じゃあ、いってらっしゃい」
「ああ。いってきます。それから、カズ」
「なに?」
「お前は、楽にいられるといいんだけど」
「ん?」
「なんでもない。頑張りすぎないように頑張れ」
「うん。え、なに?」
「なんでもないよ。じゃ、遅刻しちまう。いってきます」
「いってらっしゃい」
カーテンから微かに差す朝日に、まどろみの中、和洋は目覚めた。
「なんであのときの夢……」
しかし、確かに考えてみれば、その夢を見るぐらいの日常をいま送ってはいる。
「兄貴……」
と、眼鏡を探そうと顔を横に向けたら、そこに上半身が裸の光がいた。
瞬間、和洋は強大な大声で叫びを上げた。もしもこれが漫画なら建物が揺れていたことだろう。
「なっ、なんだっ!?」と、光はあっという間に目を覚まし、頭を起こした。「アースクエイク? サンダー? ファイヤー? ……えっと……アンクル?」
和洋は光と向き合った。見ると、自分も裸ではないか。そしてここはベッドの上。
「おい! なんでお前が俺の部屋にいるんだよ!?」
そう叫ばれた光だが、ちょっと不満げに答える。
「俺の部屋〜? ここは、おれの部屋だよ」
「おれの部屋……」
と、部屋を見渡す。漫画やアニメ、ゲームの並んだ棚。
確かにここはいつか訪れた光の部屋である。
「そういうわけだから、おれもうちょい寝るね」
と、再び眠りの国へと旅立とうとした光に和洋は間髪入れず説明を求める。
「なんで俺がお前の部屋にいるんだよ!? そしてなんで俺たちは裸でいるんだよ!? って」そこで和洋はタオルケットを払うと、ズボンは穿いている。当然、ボクサーブリーフもそのままだ。和洋はホッとした。「とにかくなんでこうなってるんだ!? え!?」
「昨日、会長と会って、そのままうちに来たんじゃん」
光の回答にどこかピンとこない和洋。光は続ける。
「で、勉強して、寝たの」
「なんで俺は脱いでるんだ! お前も!」
「会長のコーラにテキーラちょっと混ぜたの。そしたら会長、服脱いでそのまま寝ちゃったからベッドに運んだの。なかなか重かったけどなかなか楽しかったよ」
「なんでテキーラ!?」
「君尋さんの貰い物」
「いやそうじゃなくて、なんでコーラにテキーラを混ぜた!?」
「えー。だって」と、光は首もとで斜めに両手を合わせた。「酔った勢いで間違えないかなって」
「!」
「間違えなかったから残念だけど」
さらにホッとする。
「もういい? じゃあもうちょっと寝よう」
といって光は満足したであろうと言いたげに再びタオルケットを被る。
和洋は頭を抱える。
ちょっと待て。昨日、北原に出会って、ってどういうことだ。昨日は予備校に行って––––いや帰りにたまたま北原と会って、せっかくだから勉強教えてってことになって、そのまま……いや、そこから記憶が途切れている。全てはテキーラのせいだ。なんでこんなことになったんだ。俺たちは一晩上半身裸でベッドで過ごしたのか。いやいや、別にセックスをしたわけではないし、陸上部の雑魚寝でこのようなシチュエーションになることはかつてから度々あった。だからそれだけのことだ。いや、そんなことは問題ではない、やつらはストレートで、しかし北原はゲイで––––いやいやいやいや、それは偏見だ。しかし……。
嫌な気分になっている。
さっきまで見ていた夢。
そこで和洋は冷静になった。
落ち着け。陸上部のやつらはストレート。北原はゲイ。でもだからといってどうということはない。ただそれだけのことだ。だから、北原を問い詰めるとしたらテキーラの件で……いやそれは問い詰めた。これ以上はしつこい。だから、これはこれで、友達と酒を飲んで酔って寝た、というだけのことで……。
そう、そういうことで、ただそれだけのことである。
と落ち着きを取り戻し、ふと横を見ると、光はいつの間にかベッドから出て制服に着替え終えていた。
「おい」
「なんか、あれだね。おれだけ服着てて、会長が裸って、なんかエロい感じ」
「あの」
「でもそんな感動をするのはあとでいいや。やや時間がないかも」
「だから」
光は、にんまりと笑った。
「今日、始業式だよ? 違ったっけ?」
和洋は飛び起きた。
「違ってない! 今日は始業式だ!」
そう、今日は夏休み明け初日の始業式だった。
というわけで場面は変わり、三年五組の教室にて、亜弥たちはホームルームまで暇潰しの雑談をしていた。
「あの三人、来ないわねえ」
「もう来ると思うけど」と、乃梨子。「さすがに始業式に遅刻はないでしょう。っていうか、萬屋くんたち、遅刻したことないじゃない」
「千歳も時間前行動なんだもんな〜。あたし申し訳ないとは思ってるのよ」
「翼の遅刻癖はどうすれば治るのかしら」
「乃梨子乃梨子。それ違う。およそ日本人は遅刻に厳しすぎるのよ。もっと寛容な心でもって遅刻を受け入れてあげなきゃいけないよ」
「もう一人遅刻癖のある友達がいればよかったね。北原くんも時間前行動の人だったし」
「うう……光くん、遅刻しそうなイメージなんだけどなあ……」
「変な三角関係だよな」と、そこで隆太が話に参加した。「萬屋は大黒が好きで、大黒は北原が好きで、北原は、萬屋が好き」
「ていうか三人ともいきなり相手に告っちゃったね〜」翼はけらけらと笑う。「特に関係性の構築もしてないくせに、幼子たちよのう」
「だから結局、この関係性に慣れちゃったんでしょ。バレちゃってる片想いって相手は罪悪感で優しいし」
亜弥の指摘に隆太は首を傾げる。
「俺はそういう経験ないからわからん。石川はあるの? ごめん」
「ちょっと待って、なんで即座に謝るの?」
「要するに、萬屋が罪悪感で優しかったんだろ」
「だから和洋と付き合ってたのなんてちょっとした出来事で……」
「あの頃あんたの好き好きオーラすごかったもんね。カズくんも結局なし崩しに付き合った感じで、でも二人が別れた理由、あれ正直亜弥にも結構原因あると思うよ〜。なんか付き合う前から逃げ道塞いじゃった感じしたもん」
「ちょっと待って、そんな詳しく説明することないでしょ」
「え、そうだったの? わたしてっきり亜弥が偽りの仮面を被っていたのが萬屋くんのお気に召さなかったから振られたんだと思った」
「あんた結構毒吐くね〜乃梨子。偽りの仮面だって。亜弥だって可憐な少女なのにね」
「可憐ではない」と、亜弥は即答して、そして、頭を掻く。「結局、演技してたから無理だったんだろうな。私がああいうキャラじゃなかったのは明らかだったわけだし。それはもうとっくにバレてたとかじゃなくてわかられてたわけで……」
そこで亜弥は翼たち三人が全員自分に注目しているのに気づく。
「この話はこれで終わり」
「え、もう? もっと亜弥の語りを聞きたいんだけどな〜」
「乃梨子と坂東くんの話でも聞いてればいいでしょ。私、別に慰めてもらいたいわけじゃないもん」
「またまた」
「乃梨子たちはキャラ作ってないよね」翼を無視して亜弥は二人に質問した。「ありのままで」
と、そこで乃梨子と隆太は顔を見合わせ、互いに、う〜ん、と、唸った。
「それはいまでこそで」
「だよな。やっぱ最初のころはお互い、猫被るじゃないけど」
「そうだよね。いまと全然違うとは思わないけど、付き合い当初はありのままじゃなかったと思う」
亜弥も翼も興味を持った。
「いつからありのままになったの?」
「ありのままというか……付き合ってく中で、自然と、いつの間にか、で」
「うん。別に、これが本当の俺だ、みたいになったわけじゃなくて」
「それはあれよ」と、翼が割り込む。「付き合うまでの関係性の構築と、付き合ってからの関係性の構築がうまくいったわけよ」
「そうだね。うまくいってるんだと思う」
「だな」
「だから、亜弥の敗因は、付き合ってからの関係性の構築がうまくいかなかったからなのよ」
「だからなんで私の話題に持ってくのよ……あーもう、あの三人早く来ないかな〜」
時計を見ると別にまだ余裕はある。相変わらず自分の過去の恋バナに興味を示す面々に、亜弥は、はあ、と、ため息をついた。
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