第五話 君にいちころ
5-1
「––––やっぱり、若いころは優先順位が決めにくいから、病んじゃうだろうなと思うな」
「優先順位って?」
「だから、いまの自分にとって一番大切なものはなんなのか、を、自分で把握しているか否か」
「ああ、まあ、うん、そうだね。大切なものがたくさんあってパニクるってことだよね」
「そう。学校生活でも仕事でも、あるいは将来の夢でも、いま一番なにが大切か、ってことが決まってると、ブレないで済むよ」
「仕事だとどう考えればいいんだろ? おれやっぱ職場のババアが気に食わない」
「俺流で言うと、一生懸命にはなってもがむしゃらにはならない、とかかなあ」
「一生懸命とがむしゃらって違うの?」
「だからここは感覚的に自分で違いがわかってればいいってだけだよ。俺の中では一生懸命とがむしゃらは違う」
「おれはちょっとよくわかんない」
「じゃ、例えば––––未経験でド素人の新人ががむしゃらになってもしょうがないだろ、みたいな言い方だったら、わかる?」
「ああー。うん、なんとなくわかるかも」
「右も左もわからないわけだから、まあ空回りに終わるだろうな。まあ要は、自分に合った言い方とか、言い回しとかで、自分を納得させられればそれでいいのさ」
「自分を納得、かあ」
「そう。そのババアが気になるなら気になるで、そいつを攻略、つまりうまくやっていくことが優先順位の一番になるならそれもよし、そんなことより金を稼ぐってことが優先順位第一位ならそれもよし。とにかく一番がブレないことだ」
「ふんふん」
「それでがむしゃらになっちゃうと、そういうこととか、周囲が見えなくなっちゃうってことがあると思うんだよね」
「でもなんとなく、がむしゃらっていっても、それがそんなに悪いことだとは思わないけど」
「うん。優先順位がわからないならわからないでわからないなりにがむしゃらに突っ走るっていうのもありっちゃありだ。ただ、そのやり方がそれこそいまのお前に合っているかどうか、問題はそこだよね」
朝、学校。
教室に入った光は、そのときメンバーの中の亜弥しかそこにいなかったことをちょっと不思議に思った。
「おはよー石川」
スマホをいじっていた亜弥は声をかけられ後ろを振り向く。
「おはよ北原」
「ゲーム?」
「ううん、LINE。友達と」
「ふむふむ」と、光は自分の席に向かいながら、言った。「珍しいね。朝一人なんて」
「千歳は料理部でちょっとトラブったみたいで、翼は締切間際だから頑張ってるよ」
「トラブったってどうしたの?」
「なんか、部員同士のトラブルだって。千歳、そういうの解決しないと気が済まないから」
「ああ、おれも解決してもらえたしなあ」
「解決してもらえたの?」
と、亜弥は立ち上がり、光の方へと向かっていく。
光はちょっと驚く。
「うん。全面的にだいたい」
「だって、あんたのことが学校中にバレちゃったわけじゃない」
「それはそうなんだけど、別にいじめられてるわけでもないし。石川たちとも仲良くなれたし、それに会長と急接近できたし」にこにこしている。「解決してもらった」
「和洋ねえ」
と、そこで亜弥は近くの椅子を引っ張り出して、光の前に座る。
「あんた、和洋のどこがいいの?」
「え。それ石川の方がわかってるんじゃないの」
「いやだから、私たち中学のときちょびっと付き合ってただけなの。ほんとちょっとだけ」
「どっちが好きになったの?」
亜弥は口ごもる。
「石川の方かあ」
「それはともかく」と、亜弥は机をちょっと叩いた。「北原の恋のわけはなんなの、ってこと」
「え〜」光は照れて、嬉しそうに楽しそうに笑った。「それ興味ある?」
「興味っていうか、いつの間にかそういう話題になったから……」
亜弥はどこか困ったような顔をした。
しかし光はなんとなくわかる。和洋はともかく、亜弥の方は彼にまだなんとなく未練があるように光には思えた。和洋を好きになる人物がある意味で仲間のような気がしているのかもしれない、と思った。もちろん和洋をいいと言っている女子たちは山ほどいるが、亜弥たち進学組の女子は他のクラスの女子からあまりよく思われていないので和洋のことを語り合うことができない。だから自分の恋愛事情に興味を持っているんだろうな、と光は推測した。
「うーん」
「顔?」
「顔はもちろんイケメンとして」とにかく嬉しそうな光だった。「あのね、一年生のときにね」
「うんうん」
「ホームルームで書類書くことあったのね。なんの書類だったかは忘れたけど」
「うん」
「それで、ボールペンで書かなきゃいけなかったんだけど、そのときおれボールペン持ってなくて。というかそのときまでおれボールペンを持つって習慣がないやつだったのね」
「はいはい」
「で、困ってたら、会長がボールペン貸してくれたの」
「うんうん、それで?」
「おしまい」
「は?」
亜弥は呆気に取られた。
「それだけ?」
「それだけ〜」
「はあ〜」亜弥は目を丸くする。「あんた、チョロいなあ」
「むむ。チョロさには自信があるけど、でも、恋に落ちるきっかけなんてそんなものなんじゃないの。石川だって別に生命を助けられたとかそんなんじゃないわけでしょ」
亜弥は中学時代を想起する。––––確かに、別に大ごとがあって和洋に惚れたわけではない。わけではないが、しかし、と訝しがる。
「それにしても私はなんか、いつも懐いてるから、もっとすごい、感謝してもしきれないみたいな理由があるのかと思ったの」
「感謝はしてもしきれないよ」にんまりしながら亜弥の目をまっすぐ見る。「いつもありがとって思ってる」
あんまりまっすぐすぎる光の目にちょっとたじろぎ、亜弥は目線をやや下に落とす。
「まあ、好きになったからなにを見ても好きになるとかはあるけどさ」
「それはあるね。ああ、それはなんか、それとは真逆に、職場のババアはおれのことがなんだか嫌いって思ったからおれがなにをしてもどんどん嫌っていってるのかもしれない」
「仕事は大変? やっぱ学校の人間関係と仕事の人間関係のキツさって違うの?」
そこで話題は切り替わり、光のアルバイトや、亜弥の進路などの話をしていたら、おそらくはたまたま廊下で合流したのであろう千歳と乃梨子、隆太がやってきた。
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