4-6

「ごめんね光くん。変なとこ見せちゃって」

 歩きながら千歳は少し頭を下げる。光はあたふたした。

「告白の現場なんか見ちゃって、こっちこそごめんね」

「ううん。それは大丈夫。割と昔からこんな感じだったから」

 はて、と思い、光は聞いてみた。

「それ突っ込んでみてもいい?」

「うん。あたし、なんかドMの男に好かれやすいのよね。で、そういう男って大抵一対一とかじゃなくて他に誰か連れがいる中であたしに告ってくるのよ。そういうのに慣れてて」

「へえ〜。確かに千歳ちゃん力強いもんね」

「そして殴ってくださいみたいな男を好きになるはずもなく」

 ふと思いつき光は言ってみた。

「そういや会長もMっぽいよね」

「あの人見るからにMでしょ」

 くすっと二人で笑い合う。

「……でも、小学生のころ、一人だけ一対一で告白してきてくれた子がいたんだ」

「へえ。勇気あるね」

「そうだね。格闘技を教えてくれって言いに来たの」

「あ、わかるかも」

「でもそれは、嘘ではないけれど真意としては口実で、あたしと一緒にいたかった、ということで」

「かわいい子ども時代だ」

「あたしはその子のことがちょっと好きだったのよね」

 突然の告白に光は少し目を丸くした。

「千歳ちゃんが?」

 うん、と、千歳はうなずく。

「あんまり必死だったから稽古してあげてたのね。そしたらすごい一生懸命頑張ってたの。当時はあたしも朝走ってたりしてたんだけど、その子も一緒になって。毎日毎日ちゃんと練習してて、めげない子だった。すごい頑張ってたの。それで、ちょっといいな、って思うようになった」

「ふーん。いい話。それでその子は?」

「引っ越しちゃったんだ。で、そのとき––––実は好きでした、って言ってくれたの」

「わあ〜ほんと素敵なお話」

「だから、なんか、そういう男の子にハマっちゃう感じで」ちょっと遠くを見るような目をした。できるだけ光の方を見ないようにしよう、そう思いながら。「ドラマとか観ててそういうキャラの方に感情移入しちゃうっていう」

「いい思い出だったんだね」

「そうだね」

 しばし二人は無言になった。

 この沈黙はなんだろう、と、千歳は訝しんだ。すると光はやがて言い始めた。

「おれもいつか女の子好きになったりするのかなー」

 ん? と思い、千歳は問う。

「男の子が好きなんでしょ?」

「うん。でも、セクシュアリティはある日突然変化することがあるから。実際、おれだって小学生のときまで女の子が好きだったし」

 セクシュアリティ。性的指向。どの性別に恋愛感情を抱くか。

「おれやっぱ、ゲイとして生きてて、なんとなく生き辛いなーって思うこと多々あるから、女の子好きに変わったら、そういうのはちょっと楽になったりするのかなって」

「……」

「ま、異性愛者には異性愛者の苦悩があるんだろうなとは思うけどね」やがて駅に到着した。「というわけでまた明日お会いいたしましょう」

 千歳は、思う。

 心の中でガッツポーズを取った。

「うん、また明日。お仕事頑張ってね」

「ありがと! じゃあね〜」

 やがて光は消えていく。

 一人残され、千歳は、思う。

 一生懸命頑張れば、夢は叶うのかもしれない。

 自分の可能性は、ゼロなわけではない。

 それなら––––頑張ってみよう。

 千歳は、そう思った。


「––––ただいまー」

 夜。自宅マンションに着き、光は君尋に声をかけた。

「お帰り」ソファに座ってハイボールを飲みながら君尋は光の方を見る。「なんだ、今日はせっかくゼウス定休日だったのに」

「ごめんね。今日は君尋さんと一緒にいる予定だったのに」

「まあいい。定休日は毎週あるからね」

 よっこらしょ、と、光は君尋の隣に座る。

「学級委員になったんだって?」LINEは送っておいた。「びっくりしたよ。青春じゃないか」

「今日ずっと仕事してた」

「いいね。ちゃんと高校生だ」

 じゃあおれも、と言って光はハイボールに手をやった。それを君尋は制止する。

「ダメ」

「ケチ〜」

「俺はお前の保護者だからな。お酒は二十歳になってから」

「え〜。いいじゃんちょっとだけ〜」

「ダメなものはダメ。ま、これが子どものかわいそうなところだとは思うよ」と、君尋は一気に飲む。「酒で気を紛らわすことができないんだから。仕事はどうだった?」

 光の愚痴を聞くことが君尋の習慣になっていた。光はいつものように話を始める。

「マジ働くの怠い」

「お疲れ。それ、昔の俺の怠さとは少し違うんだろうな」

「と、おっしゃいますと」

「一般的には幼・小・中・高・大、とかいってそのまま就職するだろ。だから働くこそのもののルーティーン自体はもう出来上がっている。お前もそうだろ」

「まあ、そうね。それは別に問題ない」

「俺は高校生のとき家出して、いまでいうパパ活で五年ぐらい過ごしてたから、ゼウスに勤めることになってからは大変だったよ。ルーティーンが途切れちゃってたから」

「具体的には?」

「だから、起きて、仕事の準備をして、出かけて、職場に到着し、働き、そして家に帰る––––という動きがなかなか定着しなくてな。まあそれは仕方がない。自己責任だ。で、だから結局、そういうのはやれるようになるまでやるしかない。これはもう職場の人間関係がどうとかいう話以前の問題だ」

 なるほど、と光は思った。確かに、当時の君尋と比べれば自分は日々のルーティーンがある中で仕事をしている。おそらくいまの自分の人間関係の辛さと、当時の君尋の人間関係の辛さとでは意味が違うのだろう。確かに自分は愚痴を言いながらも二年近く病欠等以外ではほとんど休むことなく働けている。

 君尋は続けた。

「高校のとき勤めてた焼肉屋じゃこういう悩みはなかったもん。同じように人間関係の悩みはあったものの。だからま、お前はよくやってるよ。今日もお疲れ様」

「ありがと」

 光はにやりと笑った。

「でもパパ活のおかげでかなり儲けたからそれはそれでいいんじゃないの」

「まあな。まめに貯金しててよかったよ。なんといっても高身長のタチで、俺イケメンだもん。引く手数多だったよ」

「ナルシスト!」

「客観的評価を下してるだけさ」

「あーあ。おれ早く二十歳になりたいなー」

「俺は十八歳になりたいよ」

「おっさんだもんね」

「うるせえ。二十八はおっさんじゃないぞ」と、再び君尋はコップにウイスキーを入れる。「で、光の活動はどうなの」

「なんの活動?」

「会長くんと、千歳ちゃんと、この奇妙な三人組はどうなのってこと」炭酸水を注ぐ。「いい加減、諦めたら? 

 光は胸が痛くなった。

「千歳ちゃんには申し訳ないと思うよ」

「そうだな。自分の恋のために、自分を好きでいてくれる子の気持ちを弄んでるんだもんな」

「何も言えねえ」

「千歳ちゃんには可能性ないのにな」

 光は、うなずく。

「おれがこれからノンケになる可能性そのものはあるけれど」

「そうだな。そうなるかならないかわからない可能性だな。そんな可能性に千歳ちゃんを賭けさせてでもいるんだろ?」

「よくわかるね」

「マジ最低」

 偽悪的な表情をする。光は苦笑した。

「わかってるよ」

「でも、好きなもんはしょうがねえか」

「……うん」

「でも、いつか限界が来る」

 ハイボールを飲みながら、君尋は光の頭をぐしゃぐしゃに掻く。

「ま、俺のパパ活よりは最低じゃないから安心しな〜」

「それ比較対象がな〜」

 そして夜が更けていく。

 明日は新聞配達の仕事がある。皿洗いのバイトの翌日の場合、光の仕事は店主が気を遣ってくれて四時からの配達だけだ。いまから寝れば短時間の睡眠でも光の体力なら何の問題もなく翌日を迎えられる。そう、何の問題もなく翌日を迎えられる。

 和洋とも、千歳とも、また明日、会える。

 夜が更けていく。

 もう眠らなければならない。

 これが自分の日常。

 この日々を守らなければならない。

 それがどんなに、最低なものであっても。


 EPISODE:4

 D

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