5-2
昼休み。学食。
「みんな大変なことになってるね」と、会計の方を見ながら乃梨子は呟いた。「お昼休み中に間に合うかなあ」
「人生はなにがあるかわからないね〜」千歳はハンカチで包んだままの弁当箱を少し小突いた。「あたしはみんなに付き合うけど、乃梨子はどうする? 冷めちゃうよ?」
乃梨子は目の前のA定食を前に、ちょっと考え込んだ。
「いや、やっぱり待ってるよ」
「気にしないでいいのに」
「ううん。みんなで食べた方が美味しいもの」
会計で、とある生徒がコップの水を盛大にこぼし、とりあえず会計だけ先にしようと慌てていたら財布の中の小銭が全部床に散らばったのだ。それで生徒たちはみんな混雑の中立ち止まってしまい、とにかくその生徒が問題を解決するまで待つほかなかった。
「それにしてもブラック部活だ。お昼休み中に会議なんて」
和洋と隆太は急遽陸上部のミーティングがあり、いまこの場にいない。つまり手こずっているのは光と亜弥と翼だけだった。
千歳の呟きに乃梨子はうなずく。
「二人とも体育会系だから上下関係は絶対なのよね」
「ていうかあの二人がその上の者なんだからあの二人が止めればなんとかなったのよね」
「人生はなにがあるかわからない、でしょ?」乃梨子はくすくす笑う。「いまこの場のように」
「そうね。さーて光くん来るかな?」
「北原くんか……」
と、乃梨子はかつて千歳が話してくれた話題を思い出す。
「確か、一年生のとき、ホームルーム中にふと隣の北原くんを見たら、ノートで二コマ漫画描いてたんだったよね」
千歳はちょっとにやける。
「そうそう。覗き見しただけなんだけどそれがちょっと面白かったの」
「それで好きになったんだったよね」
「そうそう」千歳はその当時のことを思い出す。「懐かしいな〜」
「でもその二コマ漫画って深沢先生がメインで、千歳はモブキャラだったんだよね」
「そうそう。光くんあたしの横顔描いてて––––それがかなり、あたしのことを知ってる人ならあたしだって思うぐらいそっくりだった」
「写実ではなかったんでしょう?」
「でも、あたしがそこにいたのよね」
「それで好きになったんだったよね」
「そうそう」
直前とまるで同じやり取りをして、千歳はとにかく嬉しそうで楽しそうだった。
しかし乃梨子たちとしては怪訝な気持ちになる恋のきっかけだった。自分のことを自分だと認識できるように描いたということで光への好感度が上がった、というのはわからないでもないが、そこで恋愛感情まで芽生えるとはどうしても思えなかったのだ。確かにそれは光が千歳のことを観察していた結果なのだろうが、そもそもそれを言うなら仁のことだってよく観察していたわけだし、おそらく光は他の生徒たちのことも日常的に観察しているのだろう。光が自分のことだけを強く注目していてくれた、というわけではないような気がしていたし、なんといっても光の恋の相手は和洋なのだ。
「千歳、漫画なんて読まないじゃない? 別にそれ以降漫画を読むようになったとかでもないし、わたしたち、それでどうして恋に落ちたのかいまだによくわからないんだよね」
「落ちたものは仕方がない。乃梨子だって坂東くんの靴を見て、その靴どこどこのだよねって話しかけてから関係が始まったんでしょ」
乃梨子もちょっとにやける。
「それを言われればそうなんだけどね」
「恋に落ちるのに理由はいらないのよね。それを言うならこんなのは気になり始めたきっかけにすぎないよ。光くん、動きは遅めだけど作業とかきれいだし、一生懸命だし……とか思うと、いったん好きになった以上、好きになるのは止められないよ」
「でも、それならもっと話しかけてればよかったのに」
そこで千歳の表情がちょっと沈んでしまった。
「乃梨子の方がよっぽど積極的ってこと。あたしはシャイなのよ」
ふふ、と乃梨子は微笑む。
「それは知ってる」
放課後。正面玄関。
「あれ? カズくん帰るの?」
後ろを振り返ったら翼がちょっと呆れたような顔で和洋を見ていた。
「いやその、部活で」
「学級委員はどうなったのよ」
「いやあの、あの二人がいいよって言ってくれて」
「仕事は仕事でしょ〜」
「いや、ほんとに行ってらっしゃいって言ってくれて……今日はミーティングもあったし、どうしても参加したくて……」
「まあそれは嘘じゃないと思うけど」
と言って翼も下駄箱で靴を履き替えながら言った。
「こういうところがカズくんのダメなところなのよね。理由があるなら堂々としてればいいのに」
「ご、ごめん」
「男だろ。そんな弱気でどうする」
「女はいいのかよ」
「女は生きてるだけで偉いの」
「ええ〜」
なんとなく玄関で二人は立ったまま会話をする流れになった。
「せっかく千歳と一緒にいられるんだからもっと楽しめばいいのに。ジン先生にはなんだかんだ感謝なんじゃないの」
と言われ、和洋はちょっとにやける。
「いやでも、北原もいるし」
「それが? 別に光くんのことはさておき千歳との仲を楽しめばいいじゃん」
翼と光はとても仲がいいが、それでも光には思うところがあるようだった。これは千歳のことが大切だからというのはもちろんとして、彼女がBL愛好家であることも理由かもしれない、と和洋は考える。BLを読んだことのない和洋だが、やはりファンタジー世界の住人とリアルの世界の光ではまるで違うはずだ。それで翼はそのギャップに戸惑っている、などといった可能性を考えた。どこからどう考えても翼の身勝手だし、翼自身がそう思っていたからこそやや戸惑っている、といったように和洋には思えた。
「それはまあ、そうなんだけど」と、和洋はちょっと暗い顔になった。「大黒は北原のこと好きだろ。だからなんか俺の方が居づらいっていうか」
「それを言うならこのトライアングルはみんなお互い様でしょ〜。だからカズくんは弱いのよね。割り切れないっていうか振り切れないっていうか」
「め、面目ない」
「ほんと、状況が状況なら千歳、カズくんのことを好きになっててもおかしくなかったのにな」
「……」
なんとなくわからない話でもない。千歳はどうも“男性的な男性”というのにはあまり惹かれないようなのだ。実際、隆太に対して千歳は少し距離を置いているように和洋には映る。むろん二人の仲が悪いわけではないし、隆太は親友の乃梨子の彼氏なわけだから大切には思っているようなのだが、少し近寄りがたいと思っているのも事実なのではないかと思う。和洋にとって隆太は単純な友達で、陸上部の仲間なわけだから、それがいつもちょっとだけ気になっていた。
「千歳は母性愛の人なのよね」
「ぼ、母性愛?」
「そ。だから守ってあげたいって思える人を好きになるのよ。これは別に男女問わずね。その点、光くんなんてバッチリね。カズくんは弱々しい感じで、光くんは危うい感じっていうか」
「危ういって?」
ちょっとこれは無視してはならない発言なのではないだろうか、そう思って訊ねたが、翼はそれをあっさり受け流した。
「でもだからこそ、カズくんにもかなりチャンスがあるってことはお忘れなく」
「へ、へえ。そう、そうなのかな? 俺、チャンスあるかな?」と、自分の将来を思い和洋はにやにやと笑う。「頑張ればなんとかなるかな?」
「いや知らんけど」
「む、むう……」
「そもそもカズくんはなんで千歳に惚れたのよ」
流れとしてはそんなに突如変わった流れではないものの、そうストレートに訊かれると和洋も戸惑う。
「え、えーとそれはその」
「ま、なんとな〜くわかるけどね。千歳がかわいくてかっこいいからなんかのタイミングで好きになったんでしょ」
ここまで言い当てられると自分にできるのは補足程度しかない。そう思って和洋は説明した。
「先生の用事で荷物持って歩いてたら半分ちょうだいって言って半分以上持ってくれた」
「チョロい、チョロすぎる。ていうかそれ女が男を好きになる理由だよね」
「悪かったな。でも俺は、なんか、そういう女にはあんまり興味がないし……」
まずい、と気づいたのが運の尽き。
「亜弥は結局計算しすぎたのよね」
亜弥の話題になるのには決まっている。和洋はうなだれた。
「石川には悪いことしたけど、でも石川だってあんなにザ・女みたいにならないで普段通りにしてればよかったんだ」
「ザ・女、ねえ」
「だから、かわいこぶるまではいかなかったけど、もっと普通にしててほしかった。付き合う前の石川と別れてからの石川の方が俺は付き合いやすい。……まあ気持ちは冷めちゃったんだけど」
はあ、と、翼はため息を吐いた。
「好きな男の前じゃ、女はかわいくなりたいのよ」
「いやだからさ––––」
「ほんと女心がわかってないよね」
だって女じゃないもん、そんな建設的ではない返事をしそうになったところで、隆太が和洋を呼びに来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます