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「だからさ、やっぱおれは思うわけ。桃太郎さんとかかぐや姫さまとか、どうしてお爺さんお婆さんが二人きりでずっと生活していたのだろうと」
「確かに昔の日本が舞台であることを考えると不自然ね」
「きっと、ああいうキャラは発達障害とか、とにかくコミュニケーション能力の弱い人たちだったんだよね。だから夫婦でひっそり暮らして、ほとんど他人と関わらないで農業とかしてたわけ」
「わかるわかる。そしてそれは現代社会じゃそうはいかない」
「そうそ。現代社会はコミュニケーション能力がデフォルトじゃないとおよそ生きていけない世の中で、もっと具体的に言えば働けない世の中だ。だからおれもいやいやながらもそのババアと闘いながらも共存しなければならない」
「お疲れ様〜」
「ありがと千歳ちゃん〜もやもやが少し吹っ飛んだよ〜」
「……」
教室。仕事をしながら二人の会話を聞いていた和洋は、直前の翼とのやり取りを思い出しなんだか気分が悪かった。
確かに、自分は光を拒絶できない。その理由は自分ではわかってる。だが、その理由だけではないのかもしれない。もしも自分がこの三角形からいなくなったら、その時点で自分と千歳との接点が途切れてしまう。もちろん小学校から一緒の翼や、元カノとはいえ中学のときから知っている亜弥の友達なわけだから全く関わりがなくなるわけではないだろう。しかし、こんな密接な付き合いにはもうならないはずだった。だから自分は光と一緒にいる、そうすれば千歳と一緒にいられるから––––ということを、光も、そしてあるいは千歳も同じ計算をしているのではないだろうか。
表面上は仲良くやれている。うまくやっていると思う。だが、実のところ“ドロドロ”しているのかもしれない。実際、自分自身が汚い心を持って光と付き合っている可能性があることを理解した。いままでだって気づいていたかもしれないのを気づかない振りをしていただけなのかもしれない。しかしそうなると、光の千歳への付き合い方がどうしても気になってしまう。
いや、自分自身がこんな付き合いをしているわけだから光を非難はできない。だが––––千歳は自分がずっと好きだった女の子なのだ。その子をいやな計算でもって付き合っているというのは、やはり気持ちのいいものではない。だが、それをいうなら当然自分だってそれと全く同じ気持ちで光と接しているのだ。このもやもやした気持ちをどう収めればいいのか、和洋にはよくわからなくなっていた。
「ところでバイトの時間は六時からだっけ?」
「うん、そう。六時から十時でーす」
「じゃ、学校終わってそのまま行くの?」
「そうなるね。エプロン着けるからこの制服が汚れることはない。ま詰め襟は脱ぐけど」
「それで朝は新聞配達でしょ。すごいね。睡眠時間はちゃんと取れてるの?」
「若者だもん〜。深〜い睡眠であっさりですよ」
「働くって大変だな〜あたしもいまから覚悟しておかないと」と、千歳は立ち上がった。「喉乾いちゃったから、自販機行ってくるね」
「行ってらっしゃーい」
「はーい」
といって千歳は教室から出ていった。
教室から出てしばらく歩き、やがて千歳は、はあ、と、ため息を吐いた。
光は、和洋のトイレには一緒に行きたがったが、自分の買い物には一緒に行きたがってくれない。
それを思うと胸が苦しい。
結局、自分の恋は消していくしかないのだろうな、と、千歳はいつもそう思う。なんといっても光はゲイなのだ。ゲイで、男の子が、同性が好きなのだ。自分はどうあっても光に選ばれることはない。それはよくわかっている。
しかしそれでも好きなのだ。あるいはもはやこの気持ちはこだわりに過ぎないのかもしれない。こんなに長い間好きだったのだからこのまま好きでいたい……そう思っているだけなのかもしれない。実際、友達として付き合い始めてとても楽しい日々である。それなら恋愛沙汰なんて感情的な問題を抱えるのはやめて、他の人を好きになる努力などはしないにしても、この気持ちは消滅させていった方が自分のためなんだろうと思う。友達にはなれたわけだから、このまま友達として付き合っていけばいいではないか。いつも千歳はそう思う。
好きは好きだし、恋は恋である。だが、好きで好きで堪らない、といった情熱はいまはもうない。
「やっぱり、諦めるべきなんだよな……」
「なにを?」
物思いに耽っている中突然話しかけられたので千歳は一瞬ファイティングポーズを取りそうになった。もう自販機前に着いていて、そこには隆太がいた。
「ああ、坂東くんか」
「お前、いま殴ろうとした?」
「いや錯覚だと思って」
「……そう思うよ。びっくりさせて悪かった」
隆太はコーラを開け、飲み始める。
「坂東くん、部活は? まだ五時前ですけど」
「ちょっと足捻っちゃって」
「大丈夫?」
「病院レベルじゃないと思うんだよな。でもとりあえず安静にしてようと思って、途中で抜けてきた」
「お大事に」
「ありがと。で、なにを諦めるって?」
突っ込まれる可能性はもちろんあったが、こう実際に突っ込まれるとたじろぐ。
「うん、ちょっとね」
「恋愛沙汰?」
千歳は目を丸くした。
「よくわかるね」
「あ、やっぱそうか」
しまった、と、千歳は思った。
「カマかけられた」
「まあまあ。それで––––恋愛沙汰っていうと、北原のことを諦めるとかそういうこと?」
「そ。なんといっても光くん、ゲイだし。あたし彼の恋愛対象じゃないもん」千歳は烏龍茶を買う。「普通に仲のいい友達になれて、なかなか毎日楽しいし、それならそっちの方がいいかなって。そう思った方がいいんだろうなって」
「うん。まあ、そうなるんだろうな。しかし、ゲイか……ゲイねえ……」
隆太のこのなんとも言えないといった表情のわけが千歳にはなんとなくわかる。
なんとなく思っていたのが、隆太は光のことが少し苦手なのだろうな、ということだった。もちろんいままでただのクラスメイトだった光が突然自分たちのグループに入って戸惑っているというのもあるだろう。乃梨子の説明によると隆太は多少人見知りの気があるそうだから尚更だ。そして、その理由の一つが、光が同性愛者であるということにあるのかもしれない、ということは千歳はなんとなく勘づいていた。
「ゲイっていっても、別に坂東くんを襲うとかじゃないし」そこまで言って、まずいことを言ってしまった、と千歳はため息を吐く。「またやっちゃった」
「なにが?」
「この言い方だと、“基本的にはゲイは男の人を襲うものだ”って言ってるみたいだもん」
「––––ああ。そうか。そうか」
と、一人何度もうなずく隆太が千歳には不思議だった。
「どうしたの?」
「いや。俺はなんていうか––––そういう風に思ってたんだろうな、ということを思ってたんだろうな、ということを思った」
「要領を得ないな。要するになにが言いたいの?」
「ゲイに変に絡まれたらどうしようみたいに思ってたけど、別にそもそもそんなことがデフォルトではないんだろうな、とは思う」
ああ、と、千歳はうなずく。
「そうだよ。光くんのプロフィールの一つがゲイであるってだけだと思うよ」
「そう、そうなんだよな。だけど俺は、やっぱり北原のことというか、ゲイが苦手というか––––いや」と、ここで隆太は少し考え込んで、やがて言った。「ゲイが苦手というか、リアルさが苦手っていうか」
「ん?」
「だから、あいついつも会長会長って萬屋に懐いてるだろ。リアル感すごくて、それがなんか苦手というかなんというか」
わからない話ではない、と思う。
ゲイそのものに特に思うところがなくても、例えばゲイのカップルを見てなんとも言えない気持ちになる、というのはわかる。以前光たちと新宿二丁目に出かけていった際、おそらく恋人同士である男二人組を何度か見かけ、自分の中で“なんとも言えない気持ち”が起こったことを思い出す。それが隆太の言うような“リアル感のすごさ”によるものであるなら、やはり自分はゲイに対して偏見があるのだろう、と、千歳は思う。あるいは––––そう自分たちとまるで同じこの“普通さ”が彼らに対してはリアリティを感じないことによるものかもしれない。
「お前は北原にすげー感情移入してるから北原の悩みとかがわかりやすいんだろうな」
「わかりやすいっていうか、わかりたいとは思うよ」
「でも、恋愛はやめといた方がいいと思うよ」コーラを全部飲み干し、その缶をゴミ箱に捨てる。「叶わない恋だもん」
叶わない恋。わかっている。だから、この気持ちにも、もうそろそろケリをつけなければならない、と思う。
千歳は烏龍茶を一気飲みし、ゴミ箱に見事にシュートした。
「ありがと坂東くん」
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