3-4
やがて四人は電車に揺られていた。
「とほほですよほんとに」と、仁は嘆いた。「生徒と個人的に行動なんて、他の生徒や教員に見られたら」
「それは大丈夫」
自信満々に言う光を仁は訝しんだ。
「なぜ?」
「だってジン先生、白衣脱いで眼鏡かけてなかったら誰かわかんないもん」
実際その通りで、白衣を脱ぎ、近視ではあるがなにも見えないわけではない、特徴的な丸眼鏡を外せばちょっと誰だかわからなくはなっている。
「そんな工作が効くかねえ」
「効くと思うー。先生の印象って白衣と丸眼鏡しかないもん」
「そんなことはないだろう? このつぶらな瞳とか、黒曜石のような髪とか」
突っ込むのも面倒だったので、光は話題を変えた。
「いや別に、全校放送で『ジン先生も男の人が好きなんだって!』って言ってもいいならいいんだけどね」
仁は慌てた。
「教師を脅すなんて」
「まあまあ。それは冗談として。とにかくさっきも言ったけど、万が一他の人に見られたら俺の後見人に用事があるって言えばいいじゃん。たまたま千歳ちゃんと会長も一緒だったから四人で行動していたと言えば」
「ううむ……しかし、だからといって……」
聞けば仁も二丁目には行ったことがないという。和洋と千歳は意外だったが光はそれならなおさら行ってみるべきだよと言い、それならこれはどうしても連れていきたいといよいよやる気になっていったのだった。
そして結局、なんだかんだ仁は了承した。その様子で、やっぱりジン先生もゲイライフに興味があるんじゃないか、と、かつての自分を思い出しときめいていた。
光は言う。
「実際、おれのこと君尋さんと話そうと思ってたんじゃないの?」
その推理に、仁は、それはそうだ、とうなずきはした。
「全校放送でカミングアウト––––というか、ある種のアウティングだったからね。保護者の方と今後の学校生活について相談しようとは思っていたんだよ。それはそうだ」
「でしょ?」
「しかし、電話でと思っていたんだ。なにも職場にお伺いすることはないんじゃないかい。なんといってもゲイタウンだ。繁華街だ」
「それはま、これこれこうでこうなってああなって職場にお邪魔することになったって言えばいいじゃん」
「北原……その頭脳を勉強に活かしておくれ」
「勉強ねえ。できたら楽しいんだろうけどね」
二人の会話をそばで聞いていた千歳はこの冒険にちょっとわくわくしていて、和洋は、しかし本当に先生を連れて行っていいのだろうか、と不安だった。
「新宿二丁目なんて初めて」千歳は楽しげだった。「怖いところじゃないの? ていうか女も行っていいの?」
「それはもちろん、全然問題なしだよ。女の人いっぱいいるよ」
「レズビアンの人ってこと?」
「ううん。ストレートの女の人もいるよ。繁華街には違いないしねー」
「なるほど」
「……」
和洋は不安だったが、しかし、新宿二丁目に行く、ということにどこかときめきを感じているようだった。その“ときめき”がなんなのか、千歳はいよいよ疑問だった。
和洋は、ゲイではない。それはわかっている。それなのになぜそんなに興味を持っているのか––––いつか、それを聞けるタイミングがあったら、聞いてみよう、と、千歳はいまから決意していた。
その優しさが光のためになるのかどうか、見極めなければならない。
電車のアナウンスが聞こえた。
「あ、次だ」
さあ、いよいよ新宿二丁目だ––––と、光以外の全員が、それぞれ思うところがある中、電車はスピードを緩める。
そして二丁目の入り口に四人は立っている。
「やっぱり帰ろう」
そそくさと退散の準備を始めようとした仁を光は引き止めた。
「ここまで来といてそれはないっしょ」
「いやだって、やっぱり繁華街だよ。教師だよぼくは。生徒と繁華街だなんて」
「往生際悪いなあ。だからモテないんだ」
「べ、別にぼくはモテないわけではない。モテないから彼氏ができないわけではない」
「じゃ、なんでできないの?」
すると、仁はちょっと考え込み、やがて言葉を紡いだ。
「ぼくが、自分で思ってるほど相手を求めていないからだろうか」
「……?」
仁の説明が三人にはよくわからず、ちょっと頭に疑問符が浮かんだ。
「まあそれはともかく、行きましょう」
「ちょっと待ってくれ北原。ここまで来ておいて申し訳ないけど、それはやっぱり、困るよ。ぼく一人ならともかく、四人で入るなんて」
「仕方ないなあ。じゃあ、先に行ってくれる? 十分ぐらいしたらおれたちも行くから」
これはもう観念するしかないようだ、と、仁は諦めた。
「本当に、他の可能性はないのだろうか」
「いいから行っといで。今日は出会い目的じゃないからもし声かけられても連れがいるんでって言えばいいから」
そして、仁は二丁目に入っていった。
三人になり、和洋は問う。
「で、十分待つんだったな。その間俺たちはどこでなにをすればいいんだ」
「別になにも」
と、和洋の質問に答えるように光はどこからかカチンコを取り出し、鳴らした。
「はい十分経過」
「これが小説の便利なところよね」
「……」
そして、三人も中へと入っていく。
そこそこ歩いた先で、仁と再会した。
「どうだった? ナンパされた?」
「全然」ちょっと悔しそうに仁は言う。「このチャーミングなぼくが現れたというのに」
「まあゲイ受けは確かにしないけどねジン先生」
「それなら別にいいのだが」
なんだかさっきから仁の発言にはところどころ含むところがあるような気がして、三人は怪訝に思う。
そもそも、仁は本気で断るつもりがあるなら普通に断れたのだ。それなのに結局ここへとやってきている。それなのにスタート時点からぐちぐちと言っている。仁の真意がよくわからなかった。
「で––––ここまで来てしまったならば仕方がない」と、仁は首をすくめた。「その『ゼウス』というお店はどこにあるんだい」それが君尋の職場であるゲイバーの名前だった。
「もうちょっと歩くかな。でもすぐだよ」光が先頭に立って三人を案内した。「おれはしょっちゅう来るんだー。君尋さんももう来てると思うけど」
四人はしばらく無言だった。光以外の三人は物見遊山かのごとく辺りを見回している。男の人がいっぱいいるなあ、この人たちはみんなゲイなのだろうか、いや、ストレートの女性が来ているぐらいなのだからストレートの男性も来ているのだろう、しかし、やはりというか外見でゲイだと断定できそうな男性はほとんどいなかった。中には光の言う「ゲイ受けする」者たちもいたが、だからといってやはり外見では確定できる自信がない。それだけ、ここにいる男たちはテレビのオネエタレントたちとは違い“普通”の男たちばかりだった。もちろん見るからにオネエな男たちもちらほら見かける。しかし、それだって“ここ”でなければ“普通”に振る舞っているのだろう、なんとなくそう思った。
千歳は先日の乃梨子の疑問を思い出し、なんと答えたらいいのかわからなかった光にいまさらながら共感していた。確かにこれなら“自分は普通だ”と思うだろう––––と、思って。
「ゼウスっていうお店はゲイバーなのかい」仁は光に疑問をぶつけた。「飲食店、としか知らされていないから」
「ゲイバーだよ。落ち着いた大人のお店。君尋さんはゼウスのマスターなんだ」
「ママ、じゃないの?」
千歳の疑問に光は答える。
「ママと呼ばれるかマスターと呼ばれるかは店主の性格とかによるんだよね。まあ、君尋さんのことをママって呼ぶ人もいるみたいだけど。あ、あそこの二階だよん」
「ちょっと待ってくれ」
いま光は聞き捨てならない発言をした、と思い、仁は引き止める。
「なにー? いくらなんでも往生際が」
「さっき『しょっちゅう来る』と言っていたのに、ママって呼ぶ人も『いるみたい』とはどういうことだい。まさか現場にいたことはないのかい」
「そりゃそうだよ。二十歳未満お断りのお店だもん」
「お前さんはしょっちゅう行ってるんだろ?」
「お店の始まる前にね」
「さあ帰ろう」
くるっと仁はゼウスの入っている雑居ビルに背を向けた。
「え、なんで!? すげーマジモード感あるよ!」
仁は振り返った。その表情はいつものとぼけた様子とはまるで異なり真剣そのものだった。
「二十歳未満お断りで、もう店が開いているならお前さん方をお店の中に入れるわけにはいかない。教師としても大人としてもそれはできない」
あまりにも真剣な口調だったため、三人は圧倒された。
「さあ帰ろう。ぼくはいまからお前さん方を二丁目から連れ出すというミッションを持っている」仁ははっきりと言った。「帰るんだ。いいね?」
そんなにまっすぐに言われてしまうと、光としてもうなずくしかなかった。少しの間は圧倒されていたが、やがて渋々と、はい、と言った。
「わかりました」
「わかればいい。さあ行こう」
そして、なんのために電車に揺られたのかわからないまま、四人は来た道を戻っていった。
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