3-3
「––––しかし、なにも二人がいる前で言わなくてもよかったじゃないか」
仁も椅子に座り、四人で会話をすることにした。
光は答える。
「この二人なら信頼できるし、おれ一人で抱えるのも大変だろうなって」
「ううむ……そこがカミングアウトの辛いところだな。誰にも言わないで〜っということで言わば第二の当事者が生まれてしまうという……」
「悪かったなとは思うけど、まあかわいいおれに免じて」
「むう。まあ、いまや過ぎ去った過去だからな。いいとしよう」
千歳と和洋からすれば、光に対して思ったように仁が今日のこの日に変身してしまったような感触をどうしても抱いてしまう。しかし、仁はもともとゲイで、それが明らかになったのが今日のこの日であるというだけ––––ということを光のカミングアウトから理解はしていた。しかし、光とは違い、高校生になってからずっと長い付き合いだった仁が、と思うと、どうしてもなかなか理解が及ばない、というのが正直な感想であった。
「ゲイの人って、思ったよりいっぱいいるのかな?」
千歳の疑問に仁は答える。
「だいたい三パーセントから十三パーセントなんていうけれど」
「だいぶ幅がありますね」と、和洋。
「まあ調査方法が明らかになってないケースが多いからね」
「ていうかその三パーセントだの十三パーセントだのってLGBTその他全部合わせてでしょ」
という光の指摘に、仁は、ああ、と頷いた。
「そういえばそうだった」
「その中でゲイの人たちって限定するとそのパーセンテージはもっと低くなるんじゃないの。おれ前々から思ってたけど、なんだかんだおれたちって極めて珍しい存在なんだろうなって思うよ」
「それにそもそもゲイの定義自体実は結構あやふやだしね」
そうね、と頷く光とは違い、和洋はやや首を傾げた。
「あやふや?」
「うん。結局、自分のことをゲイだと認識している人、ということでしかわからないから。客観的になにをもってしてその人がゲイであるか、というのは実は結構難しい問題だ」
「まあそれはともかく、彼氏いないのー?」と光は話を遮った。「議論はいやかも」
うん、と、仁はうなずいた。それは和洋もわかっていて、最近になって千歳も“自分のことを議論される”ということの嫌悪感を理解し始めていたのでうなずく。
「彼氏は、いません」
仁の回答に、光は、え〜、と反応。
「先輩の意見を聞きたかったのに」
「ていうかできたことありません」
「えっ」
「彼氏がいたらいいなーとは思ってはいたんだけど、結局誰とも付き合えずこんな年齢になってしまった」
「先生いくつだっけ?」
「永遠の十八歳じゃよ」
「見た目は確かに若いけどそろそろもたないかもよ」
「もつんじゃない、もたせるんだよ」
「いいね。おれも頑張んなきゃ」
「友達とかは?」
千歳の質問にも答える。
「友達は二人」
「二人?」光はびっくりした。「そんだけ?」
「大人としては、三、四ヶ月に一回会って、飲んで食って、またね〜という感じになるかも」
「大人の友達付き合いってそんなもん?」
「お前さん方は毎日のように毎週のように遊ぶかもだけど、大人の友情はそんなに物理的距離が近くないもんかも。ぼくの場合、ノンケの友達もそうだしのう」
「ふーん。でもなんか逆に言えばそういうの親友って感じしていいかも」
「親友ね! それはいい響きだ。メモメモ」
と、仁はメモを取るジェスチャーをした。
「でもアウティングではないかもだけど、先生だっておれがゲイだって実は知ってたんでしょ。ずっと前から」
「うーん……それはまあ、たぶんそうなんだろうな、とは思ってはいたんだけどね」
和洋と千歳は意外そうな顔をして、二人が同時に抱いた疑問を千歳が訊いた。
「どうして?」
「うん。北原の後見人の方が新宿二丁目にお勤めなのはわかっていたからね。津山さんに特に問題はないし、未成年後見人については裁判所が決定したことだから別にそれは拒絶の理由にはならないとして––––ぼくとしては他の先生方に、後見人の方がゲイだからって北原もゲイだとは限りませんよ、ゲイタウンで働いているからといってゲイだとは限りませんよ、とさらりとは言っておいたけど、さて彼らがどこまで理解できたかはわからない」
「そんだけ配慮してくれれば充分っす」
「まあ北原もな、成績はともかく素行不良なわけじゃないし。そこが大きいのかもしれない」
「––––でも、俺や大黒だったら、“そこが大きい”というのは、ちょっと理由にはならないんじゃないでしょうか」
和洋の疑問を千歳は訝しんだ。
「もうちょっと具体的に」
「だから––––ストレートの人だったら、いまの話、話にもならないんだろうなって」
「うんうん。萬屋はお優しい子だ。お前さんの同情は嬉しいよ」
「同情というか」
「しかしね、世の中結構大変だから。世界は複雑で繊細で難解だから。だから、いろいろなことを考えなきゃいけない。だから––––ここをこうすれば問題解決、なんてほど世界は甘くないし、世界は想像より遥かにリアルにできているものだよ」
「それはわかりますけど、でもなんか」
「まあそれはもちろん受け止めるが、この話はもう続かない」
「うん。おれもあんまり突っ込まれたくないかも」
まさに当事者の二人に遮られると、和洋も黙り込むしかない。
光は仁と向き合った。
「じゃ、先生は出会いの方はからっきし?」
「うん。そうだね。でもまあ、ぼくはなんか、そこまでゲイワールドに興味がない感じで。クローゼットで生きることに特にトラブルはないというかなんというかかんというか」
「クローゼットってなに?」と、千歳。
「ゲイであることを隠している状態のこと」と、光は答えた。「カミングアウト、っていうのは、そのクローゼットから出ていく、っていう意味だよ」
「へえ〜。あたしてっきり秘密を告白するって意味だと思ってた」
「言葉は生き物だからそれはそれでいいんだとぼくは思うよ」と、仁は千歳に声をかけた。「とにかく、原義はそういうこと」
「隠すっていうのは––––隠さなきゃいけないから、だよね?」
千歳の質問に、光と仁はちょっと考えた。
仁は答える。
「カミングアウトすると、“普通”じゃなくなるんだよね」
「あたしたち別にジン先生と普通に話してる気がするけど」
「でも、見る目が変わるだろう? 印象というか感想というか。少なくとも、これからお前さん方はぼくがゲイであるということを隠さなければならない。隠してもらわなければならない。そういう会話の操作をして、そういう負担がかかること。だから、“普通”じゃなくなるんだね」
仁の説明はわかりやすかった。だが和洋はまだ問いかける。
「でも、俺たち、別に攻撃をしてやろうとか、そんな風には思いません」
「個人としてはそういう人の方が多いんだと思うよ。なんとなくね。たぶん、アメリカとかより日本の方がそのまま受け入れてくれる人の方が多いと思う」できるだけわかりやすく説明しなければ、と仁は努力しているようだった。「ただ、カミングアウトには勇気と覚悟がいるんだ。アメリカだろうが日本だろうが、中には攻撃的な人もいるというのは事実だから。この人にはカミングアウトして大丈夫だった、でも次の人も平気かどうかわからない、でも打ち明けてみよう––––なんてことを繰り返すのははっきり言って面倒なんだ。そして、個人の問題と社会の問題は違う」
三人は、“大人”の説明を聞き続ける。
「個人として受け入れることができても、社会としてはそうじゃないことの方が多い。個人が集まって社会になるんじゃなくて、社会には社会の論理があるんだ。お前さん方だって疑問に思うことがあるだろ? なぜわざわざ体育館に集まって校長先生の話を聞かなければならないのか。そんなの放送室で校長先生が一人で話せばいいんじゃないか、なんてことを思ったことはないかい? 違うんだよ。集団には集団の論理があるんだ。だからぼくたちはいちいち体育館に集合しなければならない––––みたいな」
そこで仁は頭を掻いた。
「ぼくとしたことが、マジモードになってしまった」
「いいじゃん。大人な感じでちょっと印象変わったかも」
「そんなにいつも子どもな感じがした?」
「うん。永遠の十八歳なんでしょ」
「そうだよ。ぼくは永遠の若さを得た」
結局、仁はいくつなんだろう、と三人は思うが、それよりも思うことがある。
いまの仁の説明はとてもわかりやすかった。教師の仁に体育館の例え話をされたことが大きい。社会には社会の論理がある––––だから、ゲイはカミングアウトができない。それなら、社会の方を変えれば、どうにかなるんじゃないか、と思った。しかしまだ高校生の三人はどうしても“よくわかる社会の変え方”を求めてしまう。しかし仁が言ったように、世界は複雑にできていて、世界は甘くなく、世界はリアルにできている––––ここをどうにかすれば問題解決、とはならない。
社会を変えるためには、より良い社会を作っていくためにはどうすればいいんだろう、と、三人は同じことを考えていた。
「まあ、そんなこんなのパンナコッタで、ぼくがゲイであることは内緒ね。約束だよん」
といって立ち上がろうとした仁を、光は引き留めた。
「待って待って」
「どうしたんだい北原。まだぼくといたいのかい? お前さんの気持ちは嬉しいがぼくは仕事があるんだよ」
「その仕事、今日中に終わらせなきゃダメな仕事?」
ん? と、仁は不思議がった。
「いや、そういうわけではないけれども」
「じゃ––––おれとちょっと出かけない?」
「へ?」
「新宿二丁目」
三人は光に注目した。
光はにやりと笑った。
「タダで約束守ってもらおうなんて、先生、甘いね」
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