第13話畑から

 呂望リョボウ大誠タイセイと密会、それを経て、姫昌キショウとの面会・入城してから、早いもので2年が過ぎた。


 水面下で企てた“殷討伐計画”も、姫昌キショウとその息子達を中心に着々と進行いている。


 勿論、この情報を世間に流した時の反応も考えながら、議論を進ませないといけない為、彼等は日々頭を悩ませていた。


 世間では、こうした議論コトをしているなんて、何処吹く風と言わんばかりに、汗水垂らして何1つ変わらない毎日を過ごしている。


 そんな生活に思いを馳せながら、自室にある大きな窓から外を眺めていた呂望リョボウがポツリ

「暇よのう……」

と、溜め息混じりに呟いた。


 彼の瞳に映る風景といえば、広大な畑だけ。


 そこは西岐サイキに住む民の中でも、西岐サイキ城に仕える者達のお腹を満たす為に、造園された畑である。


 他に何かあるとすれば、右側に青々とした針のような葉が繁った、大木が1本あるくらいだ。


 呂望リョボウは何処か殺風景にも見え、しかし心が癒されるこの風景が好きで、暇な時はこうして机に肘を突きながら眺めている。


 そんな彼の姿を傍らで何気なく見つめていた、風の精-風伯カハク

「暇が1番ですよ」

と、少し甲高い声で優しく語りかけるかのような口調で同意した。


「あの雲1つない大空を見て下さい。

心が洗われる程、澄んでいるじゃないですか」

「雲は幾つか所々に浮いておるが?」

「そんな細かい箇所など、見なくてもいいのです。

度戦イクサが起きれば、空を見る余裕なんてありませんよ」

「まぁ、そうだが」


 呂望リョボウは、風伯カハクに説得される形で返事をするものの、声がする方へは瞳を向けずにいる。


 何故なら、風伯カハクはいつも一ヶ所に留まらずに、あちらこちらを飛び回っていることが多いからだ。


“ふうっ“と自分の気持ちを落ち着かせる為に吐いた息で、彼が何処かへ飛ばされていないか心配になるが、それはその時に謝ればいいだろうと、呂望リョボウは内心でそう結論づける。


 風伯カハクの言う通り、戦がない事が一番いいし、それにより軍隊が暇になるのなら、元々平和主義の呂望リョボウにとって、何ら文句はなかった。


 しかし、そうなったらそうなったで、やることがないわけではない。


 寧ろその逆で、戦の準備等を更に強化するといったことをしなければならなかった。


 そして、戦に参加しない女性や子供が出きる仕事も考えないと、西岐サイキ自ら壊れかねない。


 農業の仕方コトはわしが知る限りの内容を教えたし、神界へ送る“封神の義”関係の書類は、昨日珍しく終わらせたし……」


“本当にすることがない……”と、小さく唸りながら、一人愚痴を零す呂望リョボウ


“封神の義”関係の資料は、毎月一回桃源郷で行われる定例会義の前までに、前もって別の者達が纏めた資料と、それに対する疑問点や意見書を作成し、持参若しくは送付することになっていた。


 その資料を元に、集まった者同士で今後の方向性を明確にする為、議論を行うのである。


 更に呂望リョボウの場合、“封神の義”の神官を務めていることもあり、神様の弟子希望者の選出と、神様直々に指名された者達への面会等も担っていた。


 そのせいで、仕事も倍以上の量なのである。


 それ故、下界で担う西岐サイキの軍師の仕事も、呂望リョボウからしてみればキチンとで来ているのか、且つ続けられるのかどうか、心の中で常に自分に問いかけていた。


 その悩みをどうにかしなくてはと考えを巡らせる呂望リョボウ

呂望リョボウ様、心配事が一つ」

と、風伯カハクが肩に乗った拍子に、何気ない口調で彼の名を呼んだ。


”ちょん"という小さな感触に気付いて、呂望リョボウは顔を歪ませ、左肩に瞳を向ける。


「何だ、風伯カハク


呂望リョボウは、不機嫌なままでそう返事をした。


そして、風伯カハクを見ることなく

「軍師の仕事の事であろう?」

と、溜め息混じりに言い当て……


それと同時に、風伯カハクもこの場で同じ悩みを持っていたことに、何処か安心を覚えた。


「はい」

“良くお分かりで”と言いたそうな瞳で返事をした風伯カハクは、窓から垣間見える空へと、彼を避けるように視線を写しながら、口を開く。


西岐サイキには元々いた民や地方から逃れてきた異民族がいて、各々好きな事をして暮らしています。

それは、西岐サイキのトップ達が影で並みならぬ尽力で支えているからこそ出来ることです。

そして近々、貧困などから逃れようとして、殷を脱出する民も増えているそうです。

このままでは、いずれ西岐サイキの土地も難民達で溢れ返って、住む場所がなくなるかもしれません」

「その危機を見据えたうえで、姫昌キショウ様はそんな民達に救いの手を差し伸べておるのだ。

今は案ずるより見守っていようではないか」

「……そうですね」


 風伯カハク呂望リョボウ言葉に感動し、深く頷いた。


 この西岐サイキには、姫昌キショウの父の代から貧困や病、豪族達の支配や虐待から、命からがら逃げてきた者達を、何も言わずに受け入れてきた国である。


 それ故に民の信頼がとても厚く、皆彼やその仲間の為なら協力を惜しまないという意見さえ出てくる程だ。


 そんな、これからもっと巨大な国へと成長するであろう西岐サイキに、軍師として招かれたのである。


 しかし、時間が経ってみるにつれ、当時の状況を考えたうえで、姫昌キショウ達の申し出を受けたほうが良かったのではないかと、呂望リョボウは忙しい日々の中でそう思うようになっていった。


 自分が抱える仕事量の中で、軍師の仕事もこなせるのかと疑問に思ったのもこの頃である。


「どうしたものかのう……」


 呂望リョボウの口から出たのは、風伯カハクが待ち望んでいた解決策ではなく、溜め息と困惑した言葉だった。


 しかし、それが出たところで状況が変わるわけでもなく……


 まして、城やこの土地に愛着を持って住んでいる全ての民達が納得いく答えなど浮かぶはずもなかった。


 その時である。


 呂望リョボウから見て、丁度右奥の方にある広い畑から、とても楽しそうな声が、耳に入ってくる。


 それは種蒔きから収穫までの辛い作業も、何処か遠くへ吹き飛んでしまうような笑い声だ。


 その人物のケタケタと笑う声に、ふと気付いたことがある。


 その声色は、呂望ジブンと良く似ており、爽やかな人物像を思い描かせた。


 何気無く遠目から見た顔立ちや髪型等も、誰かに似ているような気がする。


 少し間を置いた彼の頭に閃いた人物。


 それは自分に似ているかもしれないということである。


 何せ、ここからそれなりに離れているのだ。


 明るい声の彼が何処まで似ているかまでは、ここからでは当然ながら確認は出来ない。


しかしながら、あの明るい声を聞き続けていると心を惹かれ、《リョボウ》呂望はますます彼に会ってみたくなった。


呂望リョボウ様、何を?」


 いつの間にか、外へ出ようとしている呂望リョボウに、訝し気に思った風伯カハクが、慌てて声をかける。


「あ、ああ……」


 呂望リョボウは急な声かけに反応できず、曖昧な言葉ヘンジを発し

「あの少年に会いたくなった」

と、気持ちを伝えながら歩き出した。


「おぬしはここで待っておれ」

「いいえ、私も」

「万が一、あの者におぬしの姿が見えてしまったら、驚いてしまうであろう?」


“物事には順番があるのだ”と、呂望リョボウはぐうの音も出ない風伯カハク優しくそう伝え、再び引戸に手を掛ける。


 カラカラと扉を開く音が風伯カハクの耳に届いた時には、呂望リョボウの姿は既にそこにはなかった。










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