第6話静かな日々

舞台は変わり、ここは殷の町中に程近い山の中。


この山には広い土地があり、そこには土の壁で出来た掘っ立て小屋が、一軒建っている。


この家には見た目30代の男性と、今でいう中学3年ぐらいの男児が住んでいた。


否、本当の年齢は男性がゆうに200才を越え、男児は70才前後はいっている。


つまり、彼等は揃って世間一般でいう“仙人”の類いであった。


兎角、“仙人”と聞くと誰しもが人間にはない能力を使い、一般の民に恩恵を与える者としての認識が高いようだが……


それは強ち間違いではない。


補足するならば、“仙人”は二つの種類に分けられた。


一つは先程も述べた通り、特殊能力を持っている者。


もう一つは、情報や知恵などを駆使して、悩める人々の為に手を差し伸べる者である。


前者はその力や体力などにより、人間が暮らす下界には住めず、仙人専用の世界-仙界に身を置いていた。


片や後者は、一時期仙界へ行って仙人のノウハウを学びはするものの、ある時を境に下界へ降り、民に寄り添って暮らす方法を選択する者である。


仙界から下山する理由は各々ある為、一概には言えず、また仙界に残る理由にも多々あった。


例えば、仙界を選んだ理由として良く聞く“下界の空気は汚れていて、居心地が悪い”だとか、“体を維持する為の食べ物は、霞だけで十分補える!”といった類いである。


逆にそんな超人がいたら、力のない民達は彼等をどう扱えばいいのかと思案し、手に余ってしまうだろう。


まして、万が一彼等が戦争なるものを起こしてしまえば、町ごと無くなるなど容易に想像出来る。


だからこそ、自らを“仙人”と名乗り、わざわざ強大な力が及ばぬよう、気が遠くなるような高い場所に集まり、その場所を“仙界”と名付けて住んでいるのである。


因みにここに住む二人は、民と仲良く寄り添って暮らすことを選んだ。


何故なら、その方が彼等にとって平和で静かな時間トキを過ごせるという直感があったからである。


そして、まだ言えない理由も……


さて、2人がこの深い森で暮らしていく為に選んだ仕事とは、悩みを持つ人々の相談に乗るという仕事モノだった。


自分達-主に男性だけだが-が、仙界で得た知識を、彼等が持つ悩みに会わせて提供し、解決に導くのである。


その代償として、あらゆる情報や食糧を手に入れるという、言わば対等な立場を築くことにより、生計を立てているのだ。


そんなわけで、今日も悩める人々がここ雲水亭に足を運ぶことになっているのだが……


何故かのんびりと焚き火をする少年。


真っ赤な炎が、お粥が入っている青銅器で出来た小さな鍋の底を、“美味しく煮えるように”と願いを込めて温めている。


グツグツと火が通っている音に、何処か楽しそうに耳を傾ける少年。


自然の音と人間-あるいは仙人-が発見した科学的な音楽が、彼に安らぎを与えていると言っても過言ではなかった。


この少年こそ、後に周の軍師となる呂望(リョボウ)である。


彼はここよりも遠く離れた場所で各地を転々とする遊牧民の子供であったが、幼い頃敵対する殷人に集落ごと襲われそうになったところを、今の男性に救われたのだった。


気持ちが落ち着いた頃、呂望リョボウは自ら自分は遊牧民きょう族の長の子供だと、男性に伝えた事がきっかけで、後の世に知れ渡ったと、推測される。


そして彼が12才の時、その男性と仙界へ昇ったのもまた事実だが、そこはまた逸話と少し違う物語が隠させていたようだ。


その話はいずれするとして。


やがて、お粥が炊けたのを合図に

「師匠、食事の用意が出来ましたよ」

と、呂望は家の中で仕事の準備をしているであろう師匠を、大きな声で呼んだ。


しかし師匠と呼ばれた男性は一向に出てくる様子がなく、帰ってきたのは呂望のコダマだけである。


そのせいで少々苛々した彼は、今度は先程よりもっと声を張り上げた。

「どうした、呂望リョボウ?」

「どうしたじゃないです!」

“お粥が出来ましたよ”と、改めてそう言った呂望は、ようやく声が聞けたことに胸を撫で下ろす。


“ああ、もうそんな時間か”と、今気が付いたという態度で入口付近から姿を現した男性。


呂望リョボウに“師匠”と呼ばれたこの男性の名前は雲水といって、黒髪が長いせいか遠目から見ると清楚な女性に見えるが、歴とした男性仙人であった。


「こんな時間じゃありませんよ、師匠。

仙人とはいえ、最低1日1回は食事をしないと」

“それにもうお昼です”と、呆れた口調で言葉を付け足しながら、呂望リョボウは熱々に煮えたお粥を土の器に盛っていく。


盛るといっても、“こんもり"ではなく、皿の半分程の量であった。


おかずといえば、摘んできた野草を炒めただけの、味気ないシンプルなものである。


それでも口に入るのだから、有り難く頂かないとバチが当たるであろう。


器の中は、春を思わせるような黄色くて可愛い粟粥アワガユが入っている。


呂望リョボウは、雲水が焚き火を囲むように、向かい側に腰を下ろす姿を確認して、温かい粥を差し出し

「ほら、師匠。

今日も3組のお客様が訪ねてくる約束があるのでしょう?」

と、早く食べるよう急かした。


「ああ、そうだった」


“有難う”と、まだ眠たそうな声でそう言いながら、器を受けとる雲水。


このゆっくりとした動作が、他人の目には“落ち着いている”という印象を与えているのだろう。


(確かに、こんな態度を取られれば、頑なな性格の持ち主でも心を開くに違いない)


呂望(リョウボ)はお粥を冷ましている雲水を見て、ふとそんなことを思う。


「どうした、呂望リョボウ?」

“そんなに見つめて”と、口に運ぶ手を休めて、不思議そうに訊ねる雲水。


その問いかけに呂望リョボウは、食事もせずに彼をみていた事に気付かされ……


恥ずかしくなった彼は、答える代わりに粥を口の中へ掻き入れた。


「アツ!」

「まだ熱いから、ゆっくり食べなさい」

「あ、あい……」


軽い火傷を負った舌を出して冷ます呂望リョボウに、雲水は思わず苦笑いを浮かべる。


やがて、食事が済んだ器を呂望リョボウに手渡した雲水は、急に真剣な顔になり

「呂望、話があるんだが……」

と、口火を切った。


「お客様が参ります故、話は後で」

「いや……今話しておきたいんだ」

「今、ですか?」


いつになく真剣に語ろうとする雲水の態度に、呂望リョボウは瞬時に事の重大さを感じ取る。


彼はそっと瞳を瞑り、気持ちを落ち着かせてから

「師匠、話とは一体何でしょうか?」

と、厳しい眼差しを向ける雲水に、そう訊ねた。


「ここでは何だから、家の中で話をしよう」


雲水はゆっくりと腰を上げながら、器を持ったままの呂望リョボウにそう告げる。


戸口から吸い込まれるように姿を消した雲水を、訝し気な眼差しで追う呂望リョボウ


「師匠が真剣な表情になる時は、あの情報が手に入った時だけ……」


“もしかして!?”と、雲水の口から出てくる言葉に期待を寄せた呂望リョボウは、器を地面に置いて、急いで入っていった。


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