第7話雲水の本音
「師匠、お話しとは?」
家の中へ入り、土を固めた床へ直接腰を下ろした
一瞬、床からヒヤリとした感触が、彼から“興奮”という会話を妨げる感情を、一気に奪い去ってくれた。
が、しかし。
誰もいないとはいえ、矢張りまだ大声で会話の遣り取りをしようという気分にならない。
いつ何時大切な情報が漏れるかもしれないという不安が、彼の胸の内にあるようで、なかなかスムーズに会話を取ることが出来なかった。
そんな彼等が住む家は、木材で枠を作り、その中に泥を入れては突き固めを繰り返して作られた壁と、その上に同じように土を固めて乾かした煉瓦を置いただけの屋根で構成されているという、簡素な作りとなっている。
集落へ下りれば、こうした家が敷地内に10軒はある。
だが、ここは山の中故に、雲水達が住むここ家1軒しかなかった。
逆を言えば、そんな場所に家を建てたからこそ、誰にも言えない悩みや重要な情報を持つ者達が、こぞって訪問するのである。
故に、周りから見て一見寂れた雰囲気が漂っていたにしても、呂望(リョボウ)や雲水にとっては細やかながら幸せな日々を過ごせるという、とても大切な
その幸せな時が、雲水がこれからもたらす情報によっては、手放さないといけないと思うと、このまま口を開かなければいいと思う。
案の定、彼が予想した通りの言葉が、雲水の口から発せられる。
それは、暫く動きがなかった殷城の最新情報であった。
そしてその情報がこの
「
いつもは穏やかな口調で話す雲水も、今は厳しい表情を浮かべて彼を見ている。
「殷城で動きがあったようだ」
「動きですか?」
「殷城に囚われていた
「
確か、紂王と妲己が催した酒池肉林を嗜めて恨みを買い、7年もの間軟禁されていたと伺っております」
「そうだ。
殷城周辺を探っている友人からの情報だから、間違いはない」
“だから、安心しなさい”と、雲水に優しく諭された
しかし、まだ彼の心の中には心配なことがあり……
「師匠、
「ですが?」
雲水はおうむ返しに訊ね、
「話に依れば、
釈放された暁には、それらを駆使して、物事の有事の際に大いに役立ててもらいたいと私は考えている」
「
その秘術を
「ですが、私はあまり文字が読めないので、どのようにお手伝いをしたらよいのか……」
と、憂いを見せて本音をさらけ出した。
この当時、まだ文字があまり普及しておらず、今のように口から発した言葉を、紙類などに記して保存する事が不可能な時代である。
それに文字といっても、平仮名・片仮名・漢字というものではなく、甲骨文字と呼ばれる絵文字にも似た文字で、現在使用している文字が持つ意味とは異なることが多かった。
よって、主に使われているのは、
ただ、例外としてここにいる雲水や
それ故、
そして、それを目の前で困惑し、俯き加減の
「
それは、人一倍興味を持っているからこそ、出来る技なんだよ。
雲水は先程よりも穏やかになった瞳を、まだ迷っている
いつもならこの行動で、彼の心は晴れていくのだが、今回ばかりは余計な勘が働いたようで
「師匠、まさかこの私を
と、思うところを正直にぶつけた。
こうなったら、
長きに渡り、
雲水はそんな彼を宥めようと、一旦は口を開こうとして思い止まり、“ここは一つ話題を変えよう”と考え
「時に呂望」
と、不貞腐れている
その声がきっかけで、雲水をチラリと見る
彼がまだ拗ねていることなど、
呼ばれた
「集落へ出向いた時のお前の口調は、こんなに畏まる言い方ではないそうだな?」
「!?」
「もっとこう……
上から目線で言うらしいが?」
「し、師匠、何処かで見ていたのですか?」
ここでの生活は楽しい反面、師匠である彼には慣れない敬語を使わないといけない。
vその点、集落では誰も自分の本性等知らない-そこまで知らなくてもいい-からこそ、ついここでは使わない年寄りめいた口調を好んで使うのだ。
無論、師匠の前で使用するのは恥ずかしいという思いもあるが、あの口調が自分に安らぎを与えてくれるのだと自負している。
その思いは、
そして、肯定したという事は少なからず、“ここから独り立ちしてみなさい”という意見にも相当する。
彼の態度から、
「わしは……本当は行きとうない。
戦で次々と亡くなる人々を目の前にして、何も出来ぬわしに、
「確かに人が死んでいくのを見るのは辛いな。まして、同じ姿をした者が動物ではあまりない“憎悪”という感情の
しかし、そうは言っても彼には殷の王である
何故なら、呂望(リョボウ)の親類や仲間を死に追いやったのは、他ならぬ
実は、
落ち着いて判断出来るまでという考えが
だからこそ、まだ苦しんでいる人達に。
いや、たった一人の感情の赴くままに、人の命が消えていく事実を変える為に、今一度立ち上がってほしいのである。
(さて、憎悪といった感情が薄れている彼に、どう
そもそも、私よりも長い時間を一人で過ごさせるわけにはいかない)
意を決して、
「
でも、まずはお前が……お前の大切な人々が何故消えていかねばならなかった発端を、少しでいいから知ってほしい。
ここから旅立つか否かは、その後に考えよう」
「分かりました」
と、返事をして口を閉ざした。
その内容が、遠い未来で何の変哲もない、ただの
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