地縛霊

 古びたアパートの二階へ続く階段になんとも長ったらしい行列が出来ていて、安川はその中でかなり待ちぼうけていた。周りから好奇の視線を向けられるが、安川も睨み返したい気持ちを堪えている。こんな家賃4~5万程度の・・・・・・駐車場も無ければドアもベニヤ板一枚に木枠だけのボロアパートで10~20代の若者が列を成す事がおかしい。おそらく彼がたった一人の60代であることが浮いているのだろうが、場所にそぐわないのは彼らの方だ。

 二階部分に入れるのは一組までのようで、何者かが噂の203号室から笑顔で戻っていく。その先客と入れ替わるように別の二人組がスマホを持って入っていく。

 防音性が皆無だからか、単にあの男の声がデカいからか、耳を澄まさなくても少し聞こえてきた。

 「すげぇ、めっちゃ雰囲気ある。今日は噂の幽霊物件に来てます」

 203号室は半年前に入居者が自殺して以来、怪奇現象のスポットとして人気を博していた。写真を撮れば誰かが写り、動画を撮れば物がひとりでに動く。しかもアトラクションの如くいくつかバリエーションがある。室内に入った若者が楽しそうに続け、カメラ係が興奮して身を乗り出す。

 「ここは半年前に一人の男が自殺したみたいで、その怨念が地縛霊になって怪奇現象を起こすらしいですよ。ポルターガイストってやつ」

 ゴム手袋をはめてマスクを付け、色んな所に触っていく。「うえ、ベタつく」などと言いながら机に置かれたものを映す。

 「これから行こう。この机にある睡眠薬、入居者だった斉藤が使った奴でホラ、まだちょっと残ってる」

 カメラ係の前でちょっと振ってみせた後に、机の端っこに置いた。少しするとそれが机の上をススーッと動いて元の位置へと戻っていった。

 「見ろよ、すげえ。やっぱ本物だよ!」

 彼らは次に水道の蛇口を捻った。そこには洗いかけの皿や水垢のコップが置いてあっていかにも汚く、その中へ着々と注がれていく水。

 しかし、キュッという音とともに蛇口がしまり水がとまる。これにもまた二人は喜んだ。次に一発芸を幽霊にやらせようと企み、飲み終わった缶コーヒーをぽいと転がした。わずかに飲み口にたまった中身がシミを描きながらゆっくりと止まるが、それは壁にぶつかって止まったように見えた。

 「う~ん、じゃあこうすりゃどうだ」

 男は部屋の隅に積まれた本や雑誌に手をかけて思い切り引き倒した。雑誌の山がバラバラになり、その裏が露わになる。元々安いアパートであるために隙間があって、何かストレスがあって殴ったような痕跡からそれが垣間見えていた。

 「うわ、やべ。中から虫出てきたらどうしよ。地縛霊さん隠しといて」

 どうしようかなどと言いながら、カメラ係は少し遠巻きにその壁の穴を映す。そして決定的な瞬間が訪れた。散らばった本が一つずつ戻っていく。二人はこの日一番の嬉しい悲鳴を上げた。

 「み、みんな!これ嘘じゃないからな!ヤラセじゃないから!」

 この部屋に訪れる時は10分までと決められているので、二人は最後に映像がちゃんと撮れている事を確認してから203号室を出て行った。

 

 それからしばらくして安川の番になり、スマホを構えたりもせず中へと入っていく。部屋の中はところどころ酷い臭いだが、彼らは他の人の為に気を利かせてかわりばんこで窓をあけて換気をしているらしい。

 他の若者には聞こえないように静かに声を出した。

 「斉藤。俺だ、安川だ。何処にいる?」

 その言葉に少し気配が揺れる感覚がした。安川の視界にはほんの少し、透明な人型の影が分かる。それは見えるという確信めいた物ではなく、ただそこに在ると感覚で察する程度のもの。夜道を歩くとき不意に感じる寒気のような何かだ。

 「・・・・・・大家さん」

 斉藤の言葉も聞こえるが、年齢のせいか否か発音がボヤケて聞こえる。

 「お前が地縛霊になって家賃を払わなくなっても、あいつらに10分500円を請求したらそれ以上の収益が出たよ。お前のお陰だな」

 台詞とは裏腹に安川はため息をついた。うんざりしていると言わんばかりに。

 「・・・・・・お前本当に地縛霊になったのか?」

 「それだけじゃないです。飯を食べたりできないんだ。あと物を動かす事は出来るのに、指が無い感覚です。持つことは出来るけど握ることが出来ないんです」

 大家の安川にとっても斉藤のイメージは終始、臆病な人間だった。そもそも自分のアパートで過剰接種で自殺した人間の事など考えたくなかったが、いつのまにかその部屋が幽霊屋敷と言われ始めたので確かめるしかなくなり、何故か安川だけが斉藤と意志疎通ができるらしい。

 「怖いですよ、怖い」

 「だろうな。幽霊の気持ちなんて分からない」

 「違いますよ。どうして僕をおもちゃにするんだ。生きているにしろ死んでいるにしろ、誰も彼も皆やることは同じだ。大家さんだってなんで今頃話しかけてくるんですか」

 それは怒りよりも寂しさ、悲しみの滲む声だった。

 「僕は幽霊なんですか?そもそも本当に睡眠薬で自殺したんですか?どうして皆僕を見て笑うんですか?分からない・・・・・・」

 斉藤はおそらく頭を抱えているのだろう。始末の悪いことに彼は生前の羞恥心も一緒に遺ってしまっている。物を散らかされ、好き放題撮られても彼は声を上げられないし部屋の掃除もうまく出来ないようだ。

 「俺だってお前のことは元々怖かった。お前が鍵をしめて自殺したから俺は大家として鍵を開けなきゃいけなかった。掃除だってしたんだ」

 「・・・・・・・・・」

 「だがどういう訳か今は少しお前の事が分かったようだ。だからちょっと喋れるしちょっと見えるんだろう。あの時知らなかった事も加わり十分な量になったんだな」

 今の時代、斉藤の経歴は少し調べれば大量に情報がでる。テレビの取材は高校時代のクラスメイトにまで飛び火し、バイトを掛け持ちしていた事や虐められていた事、大人になっても独身だった事まで明らかにだ。安川は取材を受ける側だったが、どれも初耳の事で昔よりずっと詳しくなった。

 「逆に最初から分かってりゃ怖くない。あいつらが好き勝手してるのもお前を分かってるからだ。斉藤博次、享年38歳の男性、高卒のフリーターだって」

 「何を勝手な!」

 斉藤は叫ぶ。多分この言葉は周りの野次馬たちには聞こえていないだろう。でなければ彼らは幽霊の声を聞くために押し掛けてくるはずだ。

 きっと、彼らとは「分かった」の重みが違うのかもしれないと思う。

 「老朽化で取り壊すってなった時は問答無用で壊すからな」

 安川は捨て台詞を吐いて203号室を出た。彼にとってはむしろ、誰かがタバコの吸い殻など面倒な物を置き去りにしていないか見るのが主であり、斉藤の機嫌などどうでも良いのだ。

 安川が一階の自室に戻っても相変わらずのボロアパートでは防音性が皆無。二ヶ月もすれば少しは慣れて本が読めるようになったが、相変わらず耳栓は欠かせない。

 分からない物は何だって怖い。たとえ両親から子供への無償の愛にしたって、子供からすれば確証の持てない怖い物だろう。そういう意味では幽霊よりも未練が場所となって明白な地縛霊の方が怖くないのかもしれない。

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