親の心子知らず

 僕はつくづく両親に恵まれなかった。父は常に弱気で金以外の事をしてくれなかったし、僕の育成方針とやらは母だけが舵を取っていた。

 「駄目よ、はじめ。そんな物ははじめの為にならないわ」

 母の口癖は今でも脳裏に染み着いている。こうしてファストフードを注文する間にも「健康に悪いわ」と声が聞こえる。中学高校の頃は財布すら持たせてもらえず、ただ流し見するしか無かった地元のチェーン店に僕は今日、初めて入った。

 実家に帰省したのはそんな母が恋しくなったからでは無く、両親が離婚するからだ。全く経験したことのない事態なので話だけは聞かないといけないと思った。最寄り駅から徒歩15分の道のりは4~5年の月日が経ち、所々新居に変わっている。

 「やあ・・・・・・お帰り、はじめ

 「いらっしゃいでいいよ、父さん」

 僕は思わず声に出していた。許されるなら僕はここに監視カメラを付けてすぐに帰りたい気分だった。

 「母さんは?」

 「隣の部屋にいるよ。すっかり様変わりしてしまったが、いつもの日課なんだ」

 僕の部屋になんかあるのだろうか?

 リビングを襖で仕切った奥がかつての僕の部屋だ。引っ越しの際は悉く物を置き去ったのでどうなっているかは分からない。そもそも未練が湧くような品物は揃っていないのだ。

 「母さん?」

 襖を開けると真っ先に天井に張ったツタが目に付いた。キャットウォークには猫はおらず代わりにツタが巻き付き、部屋の中は窓から差し込む光だけでは明度が足りていない。まるで部屋の中のジャングルだ。足を踏み出すごとに花壇を倒しそうになり、ざっと見てもその種類は20を下らない。幻想的と言えば聞こえは良いが、管理の行き届いた密度では無い。

 「あら、どなた?」

 母が水をやり、葉を揉みながら顔をあげた。離婚を考えている割にはその顔は明るい。僕の中で気兼ねがなくなる。

 「はじめだよ、弁護士だと思ったの?」

 「ああ、はじめちゃんね。どう?この観葉植物」

 「どうって・・・・・・多すぎでしょ。一つや二つならともかく」

 よく見るとカメムシやら何やらもいる。苦手じゃなくても自分の部屋が林のようになっていたら誰だって困惑するだろう。すると母はキョトンとした顔のまま植物の方に向き直った。

 「酷いこと言うわね。困っちゃうわ」

 サイレンのような金きり声が聞けると思ったのに、母は思い出の頃よりずっと静かになった。

 「猫を飼い始めたって言ってなかったっけ?」

 「捨てちゃったわ。あの子ったら散歩のたびに粗相しちゃうんだもの」

 僕は引き攣った眉で父さんの顔を見た。すっかり俯いた様子で返事が無い。この調子だと離婚を切り出したのは母親のようだ。

 「話す事なんて無いでしょ?どうしたのよ」

 「いや……二人が離婚するって聞いたから話を聞かなきゃと思っただけだよ」

 「あらそう。でも余計な心配は要らないわ。お父さんが出ていくだけですもの」

 とても話し合いを経たようには聞こえないが、父さんはどうせ抵抗しない。

 「母親になってからずっと恥ずかしくて堪らなかったわ。どうして皆私の期待に応えてくれないのかしら。父さんもはじめも」

 母さんはピシャリと襖を閉じた。遂に見つけたのかもしれない。自分がいつまでも世話できて自尊心を傷つけない……母親の欲望を奥底から満たしてくれる存在に。

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