磁石

 人は生まれながらにしてうなじのところに磁石を持つ。赤ん坊のころに超音波を首の後ろに当てて磁気を識別し、S極とN極のどちらかを判別するのだ。

 合縁奇縁を可視化する磁石は文明社会に深く根付き、男女の性別よりも重要視されている。学校のクラス分け、テレビのアンケート、企業の株主総会、どれもS極の人とN極の人が同じ数になるよう徹底しなければならない。同じ極同士では反発しあって話が纏まらず、違う極同士ではすぐ惹かれ合って慎重になれないからだ……。

 この日の保護者説明会はとにかく慎重に、しかし素早く話を纏める必要がある。

 彼の仕事はとにかく報告すること。過不足なく情報を伝える事だ。先生である彼を含め全員がサングラスにマスクという素性を隠す格好を強制させられている。少しでも『磁石』の特定を遅らせる為だが、無為に終わるだろう。

 「行進してしまった生徒は全部で34名で……」

 「これほどの事態に陥ったのは学校側の責任じゃないのか!」

 「先に学校に残っている生徒の名簿を渡すべきだろう!」

 「うちの子は何処にいってしまったの!」

 体育館に集まった100人近い保護者たちが言葉を封じてくる。平日の午後2時という時間にも関わらず父親も母親も一堂に会している。最近のリモートワークとかいう流行りのせいだ。N極とS極の配分など出来るはずが無い。今反発してきたのは彼と同じN極の人間なのだが、彼はその事を知らないし知った所で磁石には抗えない。

 「子供たちは隣町まで、ここから西の方角へ2km近く歩いているそうです」

 彼はとにかく声を張り上げる事に努める。前を向く気力も起きなかった。

 2キロメートル。保護者たちはゆっくり噛みしめると再び息を吹き返した。

 「死者が出たらどうする⁉」「そうだそうだ!」「早く謝罪しろ!」「引責辞任が筋じゃないのか!」今度はS極とN極の人間が手当たり次第に引っ付いた。こうなると人ではなく、猿の群れと変わらなくなる。N極のうなじが脳幹まで刺激したような怒りに苛まれる。

 「静かにしろ!」彼はマイクの頭を握りしめ、あえてハウリング……『キーン』という音を鳴らした。これには保護者たちも頭にきたようでゾンビ映画よろしく体育館の壇上に群れを成す。彼はそれを前にしても一歩も引かなかった。

 「いいから聞け!原因は体育教師が馬鹿な事をしたせいだ。レクリエーションだか何だか知らないがガキ共で『はないちもんめ』をやりやがって!お陰でどいつもこいつも引っ付いて収集が付かない!」

 「だから!私はそもそもこの学園は危機管理が甘いと言ったでしょう!」

 群れを成した保護者の中で、その女は甲高い声を張り上げる。

 「子供が同じ場所に集まったら碌な事にならない!公園は全部潰して!もっとパーテーションを増やしなさい!自由時間なんて与えずに部屋に閉じ込めなきゃいけないのよ!こんな場所に集めたこと自体が貴方たちの過失よ!」

 壇上から見たその景色は圧巻の一言だ。大きな磁石の中で磁気が曲がりくねる。原子レベルにまで分解された蛇が再び形を変えて集まる。女のヒステリックに反応してS極もN極も更に苛烈になる。胃の蠕動運動ぜんどううんどうのように。

 ここで、彼らがすっかり忘れていた事態が起こった。

 平日の昼間、授業自体は続いていて生徒もまだ多く学内に残ってはいたのだ。彼らにとっての非日常は学内全域をめぐる大きなデモ行進となってしまった。子供たちは大人が気に入らず、同じ極同士の反発があっても共通の敵さえあれば団結できる。特に引っ付くという事に関しては大人よりも高度なコミュニティを形成していた。

 「「「お前たちが外に出なければいい話だ!」」」

 体育館の入口に彼らは集い、若い子供たちの声は大きく張り上げられた。

 「「「僕たちはただ遊んでるだけだ!うるさいとか巻き込まれたくないとか言うならそっちが引っ込んでれば良い!」」」

 火蓋は切って落とされ、結局この日は死傷者16人という被害が出てしまった。

 自分の主張も覚束ない、すぐに敵だと断じようとする子供は磁石社会において依然危険な存在である。教員の指導資格は狭き門であり、複数人の長距離の外出に対する自粛要請は未だに続いたままだ。

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