呻き声
台風の季節がやってきた。傘を持っていかれるような強風が吹き荒れて、帰宅途中は並み居る人の傘に当たらないようにするので精一杯。駅から徒歩15分かかる立地なもので、家に着くころには私はずぶ濡れになっていた。
「いや~これは凄いよ、参ったな」
エプロン姿だった妻が慌ててハンドタオルを持ってきてくれた。バッグもスーツも二人で協力して拭いていく。
「大丈夫だった?」
「雨もそうだけど風が強くて……帰りが遅れなくて良かったよ」
雨に濡れた事でジメジメとした肌を流そうとシャワーを浴びようかなと思った時だった。娘がリビングからこっちにやってきてジッと見つめてくる。
「パパ、台風凄かった?」
「ああ。そりゃ凄かったよ、飛んでっちゃう所だった」
娘の加奈は小学3年生だ。女の子は男の子と比べて精神的な成長が早いなんて聞いたことがあるが、確かにウチの愛娘はしっかりしている。
台風の感想だけ聞くと、加奈はなんだか落ち込んでリビングへと戻ってしまった。
その背中が遠くへ行ってから、妻は理由を教えてくれた。
「あの子、明日遠足なのよ」
「そうだったのか……しまったな」
その日の晩ご飯は少し静かで、台風が強くシャッターを揺らす音が余計にその静けさを強調していた。
やがて午後11時。ふと喉が渇いて目が覚めると、妻も加奈もすっかり寝息を立てていた。起こさないようにゆっくりと立ち上がって冷蔵庫のあるリビングに向かおうとすると、強風が揺らすシャッターの音の合間に、何やら音が聞こえてくる。
最初は冷蔵庫や食洗器が異常を知らせているのかとも思ったが、電気をつけてもランプが点滅している様子はない。近づくにつれ、それは呻き声のようなものだと思った。
背筋に冷たいものが走り、懐中電灯を片手に戸締まりを確認する。すっかり水を飲むつもりだった事を忘れて私が壁に沿うように辺りを歩いていると、その呻き声は殊更大きく聞こえてきた。
シャッターの奥、ガラス越しに耳を当てると確かに男のような声が聞こえてくる。
(ベランダの……奥?)
ベランダは小さく、妻の花壇が置いてある場所だ。後はせいぜい蛇口しか無い。私は靴を洗ったりするときに使う。
意を決してシャッターを開けると、そこには誰もいなかった。
右に左にと確認しても人は見当たらず、ますます困惑する私の額に何かがぴとっと触れた。「降ろしてくれ、降ろしてくれぇ」
突然聞こえた声に私は後ずさり、尻餅をついてしまった。視界の上の方で何かが大きく揺れ動いている。早くシャッターを閉めなければと思った矢先、強い向かい風が吹き付ける。
目の前に現れたのは、てるてる坊主だった。風の勢いが強すぎたのか首を縛っていた紐が解け、そのまま部屋の中へと落ちてピンポン玉が転がっていく。
妻か加奈か……いつの間にか作っていたのかもしれない。拾い上げるとてるてる坊主はいきなり罵声を浴びせてきた。
「お前の娘はどうなってるんだ畜生!人の首をベランダに吊るして飾るなど正気の沙汰じゃない!痛いし寒いし、アイツらは何様のつもりだ!」
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