2. 生クリームと撹拌
「今日はもう帰るね」
そう口にしていつものように彼の部屋を後にする。本当はもう少しいたいけれど、わかっている。彼のスマートフォンの画面には明日の朝行くねという文字。このまま朝までは過ごせない。彼は私のことを見ることもなく、うんと答えて今しがた通知を奏でたスマートフォンを触っていた。
外に出ると、まだ肌寒さの残る春の夜が私を迎える。さっきまで暖かかった私の身体はすぐに外気に包まれる。さっきまでの熱が夢だったかのようにあっという間に冷め切ってしまった。今にも開花しそうな桜のつぼみを眺めながら、流れる川の音を聞きながら、自分の惨めさに今にも瞳が溺れてしまいそうで。ここで零してしまえば私は本当に惨めな女になってしまう、そう思って唇をぎゅっと噛んだ。
もうすぐ家に着く、そのタイミングであかりの灯ったコンビニが目に入った。どうしたってお腹が空くのが人間のおかしなところだ。
唐揚げもいいし、肉まんも捨てがたいなあ…、そんなことを考えていると「いらっしゃいませ」という声が横を通りすぎた。甘く、深い、そんな声が。コンビニ店員から発せられるとは思えないその声に思わず顔をあげると、目元まである長い前髪にマスクをした男の姿がそこにはあった。かっこいい人がいるかもと期待してしまった自分がおかしくて、さっきまでの感傷的な気持ちがどこかへ行ってしまった。きっと疲れていて頭が働かないからこんなことを考えてしまうんだ、と半ば強引な理由で唐揚げと肉まんの両方を購入した。
「唐揚げ今揚げたて用意できるんで少々お時間いただけますか?」温かいものが用意できるならそちらの方がいい、そう考え、待つことにした。とはいえ、誰もいない深夜のコンビニでは何をしていいかわからない。気まずそうにしていると、先のコンビニ店員が話し始めた。
「こんな時間にお買い物なんて、お仕事とかですか?」
「あ、いえ。友人と話し込んでしまって…」
当然の質問だ。20代女性がこんな時間にコンビニなんて普通はありえない。そもそもこんな時間に出歩く女性は少ない。お肌のためにも寝るべきだ。
「そうなんですね。ご自宅までここから遠くないですか?」
「大丈夫です、すぐなので。」
「僕、もう上がりなんで送りますよ。」
「え…」
初対面のコンビニ店員に家まで送ってもらうほど落ちぶれてはいない。確かに少し声はいいな、とは思ったが、距離の詰め方がおかしくないか…?
変な人だな、と名札を見る。佐藤大。佐藤…
「あ。」
「気づきました?」
「なんでここに?」
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