第3話
私は学生時代バンドをやっていた。
当時はバンドブームで、ギター教室がそこら中にあったり、先日亡くなったジェフ・ベックが来日したりと、外タレ中心のコピーバンドがそこら中にあふれ、石を投げればバンドマンに当たる! という状況だったように思う。
私が過ごした四国の田舎でも、頻繁にコンテストが開催され、我こそは! と腕に覚えがあるバンドが集まる様な時代だった。
一つだけ自慢をすると、当時の全国規模コンテスト、ヤマハポビュラーソングコンテストに参加し、なんと! 四国大会を駆け上がり、嬬恋村で開催された全国大会に出場したのである。エッヘン!
因みにこのコンテストは、1986年をもって終了となった事を、先程google先生に教えてもらい、少し寂しい気持ちになったところ。
私も兄から譲り受けたエレキギターを抱え、それこそ楽器を始めたばかりです! というメンバーを揃え、意気盛んに活動をしていたが、バンド結成の翌年、昔からギターをやってます。と言う後輩に押し出される様な形で、ギターポジションを失ったのは、今でも少し心の傷になってたり。
さて、ギターという職を失った私は、拾われるように他のバンドに移籍。そこで空いていたポジションはボーカル。それほど歌が上手いわけでもない私を誘ってくれた理由を聞いてみた。答えは、「他に誰も居なかったから。」見事な消去法に意気消沈。しかしながら、誰しも手に職は欲しいもの。二つ返事で参加させて貰った様に思う。まぁ、このバンド構成で、後々全国大会に行けたのだから、私の若い頃の勲章として、今では本当に良かった。と考えている。
バンド活動と言っても、やはり披露する場が無いと中々楽しくないものであり、交渉に交渉を重ねて、我々はあるクラブハウスで、毎週水曜日に演奏する事とあいなった。交渉と言っても殆ど土下座モードで、どちらかと言うと、場所をお借りしたい! という感じ。オーナーもとても良い人で、そこまで言うならやっても良いよ。と渋々了承。
と言っても、水曜日の夜なんて、誰も人来ないからね。とのコメント付き。
我々からすると、人が居ても居なくても良くて、バンド練習に必要なスタジオ代を払わなくて良いなら、それに越したことはないし、と言う下心。と言っても、やはりちゃんとしたライブハウスで演奏するからには、しっかりと練習もしたし、演奏出来る曲も日々増やしていっていたように思う。
また有難かったのは、演奏に対してちゃんとお礼をしてくれたこと。と言っても、現金ではなく、人数分のピザとコーラ。貧乏学生だった当時の私達にとって、これはとても有難かった。
そんな毎週水曜日の演奏を続けていたが、ヤマハコンテストの噂を聞きつけたのか、徐々に演奏を聞きに来てくれる人が増えてきて、皆の就職を機に活動を停止する直前には、それ程の大きなライブハウスではなかったものの、ほぼほぼ満席になるようになっていたのが凄く良い思い出。
但し、会場か熱気に溢れ皆が立ち上がり叫びまくる! と言うのではなく、とてもお上品? なライブだった。歌い終われば拍手。つまんないコメントをしてまた歌い、また拍手。というふんわりとした時間が心地よかった。時間的には大体一時間半程度。ボーカルの私が悪ノリして、つまんない話をダラダラと続けると二時間近くとなり、そうなると遠くから眺めているオーナーの顔が段々と厳しくなっていくので、頃合を見測るのがとても大変だったように思う。
あれからもう四十年。オーナーの息子が継いでいて、帰るとたまに顔を出していたけれど、残念ながらコロナで閉店。凄く良い店だったのに残念に思う。コロナ明けに皆を集めて演奏しようか? と聞いたところ、「じじい達は要らん。」との事。ここでも年寄りには厳しいか。
まぁ一時間半も演奏する体力もないけどね。
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