第136話 星空の下で
結局一睡もしないまま、朝陽に照らされながらアルトは食堂へと移動する。
大きなアクビが出てしまうのも仕方がないが、今からまさに激務が始まるわけであり、両頬を掌でパチンと叩いて気合いを入れた。
「おっはよう、アルト君!」
朝にも関わらず元気よく挨拶するのはエミリーで、彼女はバイト時に着用するエプロンを纏ってスタンバイしていた。その太陽にも負けない明るい笑顔さえあれば、きっとこの臨時飲食コーナーの看板娘になれるだろう。
「おはよう、エミリー。今日はよろしくね」
「任せて。魔法は苦手だけど、接客は得意だから」
魔法学校の生徒なのに魔法が苦手というのはいかがなものかと思うが、ともかく現状で彼女ほど戦力になる人材はいない。
「アルト君はお疲れのようですなぁ。やっぱり生徒会の仕事で忙しかったんだ?」
「ま、まあね。特に俺は会長補佐だし」
「ふーん……ずっとリンザローテ会長と一緒だったんだ?」
と疑うような視線を突き刺すエミリー。
自分以外の女と、しかもリンザローテと長時間一緒にいたという事実は受け入れがたいものがあり、むーっと少し機嫌が悪くなる。
「い、いやそんなに一緒にいたわけでは……」
「にしてはオカシイですなぁ? アルト君からリンザローテ会長と同じニオイがしますがな!」
「え、そうかしら…?」
「しますー! ニオイが移る程密着したりしちゃったってコト!?」
女のカンは鋭いというが、まさにエミリーの言うように密着していたのだからアルトは反応に困ってしまった。
あの後、リンザローテは首筋への口づけで飽き足らず、お姫様抱っこなど物理的接触が伴う要望をいくつも出してきたのだ。そのせいでリンザローテの甘く優しい香りがアルトにも移ってしまったのだろう。
「シュナイド君、朝から何事なのかしら?」
エミリーの追及の中、怪訝そうな顔で現れたのはナリアだ。
「聞いてよ、ナリアちゃん! アルト君ったらリンザローテ会長と淫行疑惑があってね!」
「ンなッ! どういうコトかしら、シュナイド君ッ!?」
これは面倒な事態になったぞと、アルトは睡眠不足のせいでボーっとする頭で必死に言い訳を考えるが、全く何も思い浮かばない。
結局、会場オープンの合図が鳴るまで二人に追い回されるハメになり、ラグレシア戦よりも疲弊してゲッソリとしながら仕事に取り掛かるのであった。
「お疲れ様でしたわね、アルトさん。休憩をする暇もなく一日中接客をなさっていらっしゃったなんて、本当に大変でしたわね」
夜、二日目の学校祭が無事に終わった後の見回りの時間である。
アルトはリンザローテと共に月明かりに照らされた学校敷地内を歩き、異常が無いか確認しているのだ。
丁度昨日の今頃は大騒動の真っ只中で、虫の鳴く音色など聞こえない阿鼻叫喚の図そのものであった。さすがに同じような事態はもう起こらないだろうが、念のための仕事だ。
「まあ接客は大丈夫だったんですけど……実は……」
エミリーやナリアに問い詰められた件について話すアルト。
朝だけでなく、その後も隙あらば追及を受けることになってしまったのだが、正直に伝えれば余計に顰蹙を買いそうだったので誤魔化し続けたのだ。
それによって更に疑惑が深まりジト目で見られたものの、思考力の落ちていたアルトにはどうしようもなかったのである。
「あら、正直に話せばよかったではありませんか。わたくしのカラダに唇を這わせてたっぷりと味わったと」
「そ、それは誇張し過ぎでしょう!? ちょっとしたキスであって……」
「しかもキスだけでなく、わたくしを抱いたともお伝えいただいて結構ですわよ」
「お姫様抱っこであって、そんな言い方したらもっと誤解されちゃいますよ!!」
「ふふ、慌てるアルトさんを見るのが好きで、ついイジ悪をしてしまいましたわ。ごめんなさいね」
リンザローテはいたずらっぽく笑いつつ、あたふたとするアルトの肩に手をポンと置く。
好きな異性をからかいたくなるお年頃であるし、戦いの時のカッコいいアルトと違う可愛らしい一面を見たかったからこそ、ワザとツッコミを入れられるような言い方をしたのである。
「あ、そういえば、教頭先生がアルトさんを褒めていらっしゃいましたわ。わたくしが不在でも率先して頑張っていて、もう立派な生徒会メンバーだと」
「俺も生徒会に入って半年になりますし、そろそろ皆さんに貢献できる人材にならないとと思っていたので良かったです。今は会長職補佐ですが、いずれリンザ先輩が卒業された後でもキチンと仕事をこなせるよう努力していく所存ですよ」
「そう、ですわね……わたくしがいなくなっても……」
魔法高等学校は三年制であるが、一年後輩のアルトとは長くても二年間しか一緒にいられないのだ。まだ来年もあるけれど、そう遠くはない未来にアルトより先に巣立つ時期が来る。
その事実に、急にリンザローテは寂しさに襲われた。
「…アルトさん、少し休憩しませんか? わたくし良いスポットを知ってますの」
アルトからの返答も聞かず、リンザローテは彼の手を握って巡回予定ルートを外れて歩き出す。有限であるこの時間を少しでも有意義に過ごすべく、二人だけの空間へと導こうとしているようだ。
そうしてアルトが連れてこられたのは運動グラウンドであった。ここでは体育の授業が行われる他、魔法練習にも利用されるなど生徒には身近な場所であり、学校祭期間中は競技系のクラブが出し物をしていた。
しかし、夜ということもあって今は誰もおらずシンと静まり返っている。
「グラウンドの外周部は丘のようになっていますでしょう? わたくしはたまに、その斜面に座りながら夜空を眺めてリラックスしていますのよ」
グラウンドは少し窪んだ盆地のようになっていて、周囲を丘に囲われている。
これは、グラウンドから魔法が飛び出しにくいよう設計した結果であった。もし魔法が暴走して想定したより射程が長くなってしまっても、丘の斜面に激突して外部に被害が及ばないよう配慮しているのだ。
リンザローテは、その斜面に腰を下ろす。といっても直接雑草の上に座るのではなく、生地の厚い大き目のハンカチを敷いてであった。
「アルトさんもこのハンカチをお使いになって」
「二枚も持っていらっしゃるんですね。でも、せっかくですけど勿体ないですし俺は大丈夫ですよ。この執事服は安物ですが汚れが付きにくい素材ですし」
と言って、アルトは大胆にも雑草の上に仰向けに寝転がる。自然豊かな地で育ったこともあってか、特に抵抗は無いらしい。
「こうしていると、故郷にいた頃を思い出しますよ。あそこには娯楽なんてありませんし、暇な時は今みたいに夜空を眺めたりしたものです」
アルトの視界に広がるのは満点の星空だ。一等星だけではなく沢山の星々が煌めき、その中では大きな月すらも目立つ存在ではない。
この光景を目にして故郷を思い出したアルトも、少しセンチメンタルになっていた。ドワスガルに来てからというもの、スローライフそのものであったボラティフ地方での生活と違って時間に追われ、ゆっくりと星空を観察する機会などめっきり減ってしまったからだ。
「たまにはいいもんだな……」
そう呟くアルトは急激な眠気に襲われる。昨日から一睡もしておらず、戦いによる疲労も取れていないのだから仕方がないだろう。
夜風の心地よさと、リンザローテが隣にいる安心に包まれながら、アルトは一瞬にして眠りの世界に落ちていくのであった。
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