第3話 無表情仮面の下で
次の日も、その次の日もライアンとリリアンはお茶会を開いた。
ライアンは、驚いたことに、王都中のゴシップを知っていて、次から次に教えてくれた。
どこそこの貴族は実は浮気をしているだとか、
あそこの貴族の子供は実は違う父親の子供かもしれないだとかなんていう刺激的な話や
馬車から子供を助けた勇敢な青年の物語まで色んなことを知っていた。
「ねぇねぇライアンはどうしてそんなに噂話を知ってるの?」
「はっ!このライアンを含めて妖精というやつは人間様の世界が好きなのです。憧れのようなものだと思います」
「ふぅん…妖精さんが人間に憧れるだなんて変なの」
「そんなことはありません!我らか細い妖精は広大な世界を作る人間様に憧れておるのです」
「そんなものなのね」
「はい!それでは陽が落ちてまいりましたので今日はこれで失礼します。また明日参ります」
もうそんな時間か、と窓の外へと目をやった。
まだまだ来るはずのないヘロンの馬車を探しているリリアンの紺碧の瞳にはやはり陰が落ちていた。
ライアンはそんなリリアンを見つめたあと、静かに壁の間へと姿を消した。
———その次の日は、朝起きて、旦那様への挨拶をして、お昼ご飯をいただいて、おやつの時間も過ぎてもライアンが現れなかった。
昨日、必ず来ると約束したネズミのライアンがいつまでも来ないことを不満に思いながら、
リリアンは暇を持て余しミックスナッツをチーズに刺して謎のオブジェを作っていた。
———夕方になって部屋にオレンジ色の光が差し込み始めてようやくライアンは現れた。
「遅かったじゃない!すごくすごくすごく心配したのよ!」
「も、申し訳ありません!このライアン!出来る限り全力疾走で参ったのですが夕方になってしまいました…」
そう言ってようやく現れたライアンはなんだか薄汚れていて、
白っぽい灰色の毛並みが黒と茶色を混ぜたような色になっていた。
「もうっ! ……ライアンあなた、なんだか汚れてない?大丈夫?」
懐から美しい白いハンカチを取り出してライアンの顔をごしごしとハンカチで拭いた。
「や、やや…こ、これは畏れ多い…! ときにですね!今日はこのライアンの友人めらを紹介したいのですが、よろしいでしょうか?」
「お友達?あなたの?それってそれって妖精さん?どんな子かな?」
ワクワクしてライアンに尋ねてみると、どこから入ってきたのか手のひらサイズの緑色の小人と羽根が生えた毛玉みたいなのがテーブルに上がってきた。
———小人の方は全身が緑色で、黄色いギョロッとした目がついた顔で身体には茶色いぼろ切れが巻かれていた。
もう一つの毛玉には、赤い毛玉を中心にして鳥のような羽根が生えており、よくみると毛玉の部分に小さな目と黄色いクチバシ…それから細い脚が生えていた。
「これはこれは奥様…。それがしがただいまご紹介に預かりました小人と申すものであります。この度は奥様へのお目通り叶いましたること祝着至極に存じます。それにしても人間様にこの小人の言葉を披露することになる日が来ようとは全く以って青天霹靂…」
「長いっ!長いっ!長いわっ!貴様っ!僕が奥様と話す時間が!なくなる!」
緑色の『小人』が丁寧で古風で難しい言葉で自己紹介をしていたが、
横にいた羽根の生えた毛玉がクチバシで突いて話を妨害した。
「小人さんと……え〜っと?」
リリアンが『小人』の横の羽が生えた毛玉を見て首を傾げた。
「小鳥とお呼びくださいっ!」
羽の生えた毛玉———『小鳥』が早口で手短に自身の呼び名をリリアンに伝えた。
「小鳥さんね!二人ともよろしくね。お友達が急にこんなにできるなんてとってもとっても嬉しい」
「私のような醜悪なものがお友達などと名乗ってもよろしいのですか…?」
『小人』が黄色い目で恐る恐るリリアンの顔を覗き込んだ。
「どうして?あなたも可愛い顔をしてるじゃない。服は今度作ってあげたほうがいいかもしれないけど、お友達になれたら嬉しい」
「我々も奥様とのお目通りが叶い大慶至極でございます。聞き及んでいたより遥かに奥様は…」
「ねぇ…あのね、奥様って呼び方変えられる?」
リリアンは頬杖をつきながら『小人』の腹を指でツンツン押しながら不満を言った。
「これは失礼致しました…。知らずの間に高慢無礼な態度を取ってしまいましたか?」
「ううん、そんな大袈裟なものじゃないの。ただね、私はアルデバラン伯爵夫人としてじゃなくてリリアンとしてあなたのお友達になりたいなぁって」
「そういうことでしたか…!これは私の浅慮浅謀をお許しください。では、お姫様などいかがでしょうか?」
「却下します!この国でそんなこと他人に聞かれたら不敬罪になっちゃう」
「他の人間様に聞かれる恐れなど焦心苦慮する必要などありませんのに…。そうですね、では…御嬢様というのはいかがでしょうか?」
『小人』は顎に手を置いて悩んだあと、両手を広げてリリアンに提案をした。
「ふふ、私もう二十四よ?御嬢様だなんて呼んでくれるの?ありがたく受け取っちゃおうかな?」
リリアンが『小人』にそうやって笑いかけると、
横にいたネズミのライアンが急に短い手を天に向かって掲げて
「こ、このライアンは宜しければ今まで通りリリアン様とお呼びしたく思うのですが…」
「それもすごくすごく嬉しい」
そう言ってリリアンは三本の指でライアンの頭を撫でた。
———ライアンたち三人の妖精はひとしきりの自己紹介を終えて、おもてなしの茶菓子を食べると、突然一列に並んで片膝をついた。
そして重苦しい雰囲気を醸し出して、意を決して話し始めた。
「この度は…失礼かと思いましたが、このライアン一同…リリアン様の旦那様…アルデバラン伯ヘロン•キャンベル様のお仕事場である行政執務室へと忍び込んで参りました」
突然の報告にリリアンの頭はガツンと殴られたような衝撃を受けた。
「え?どうして? 私…そんなことしなくていいって言ったでしょ?」
戸惑い声を震わせながら語りかけるリリアンを見てライアンも黒い瞳を潤ませてネズミの尻尾をプルプル震わせた。
「わ、分かっております…し、しかしこのライアン…このお名前をいただいたことにどうしても…恩義をお返ししたく…!ど、どうしても許して頂けないのであれば…このライアン…お、おな、お名前をお返しします…!」
ライアンにとって、貰った名前というのは大層重たいもののようで、返すと言った途端にポロポロ泣き始めてしまった。
「もぉ、だからライアンは大袈裟だよ。ちょっとだけ…ちょっとだけびっくりしちゃっただけだよ」
そう言いながらライアンの目から溢れる涙を指で拭き取った。
「あ、ありがとうございます」
リリアンの返事を聞いたライアンは安心したようで、
また灰色の毛玉みたいに丸くなってお礼を言った。
「ライアンは泣き虫の妖精さんだなぁ。妖精さんってみんなそうなの?」
「御嬢様っ!こいつは昔っから弱っちいんですっ!」
「そして此度は行政執務室への移動手段として小鳥の翼が、文字を読むために私の知識が必要であるが故、ネズミへと助力した次第にございます」
『小鳥』と『小人』が泣いて丸くなったライアンを押し退けてずいっと前に出て話し始めた。
「そういうことだったのね。どうだった? 旦那様は…ちゃんとお仕事してた?」
「アルデバラン伯様は確かに業務をなさっておりました。それこそ一心不乱に。しかしながら…時折手を止めては業務以外のこともなされておるご様子」
「…業務…お仕事以外の…ことってなんだろう…」
———『小人』の言葉を聞いて、リリアンの胸は不安で痛いほど強く鼓動を立てた。
この先の言葉を聞きたくない、聞いてはいけない…そんな気がした。
「それはそれは情熱的に恋文のようなものをお書きになっておられました。まさにあれは愛屋及烏の域…」
「ふふ…恋文…か。そっか…。そうだよね」
———心臓の強い鼓動は頭まで響き渡り、首筋に冷たい汗が流れるのがわかった。
しかし、意外と頭は冷静さを取り戻して言った。
三年間碌に夫婦らしいこともしていないんだから当然だ…。
この後、実家に戻されるのだろうか…。
それとも形だけの妻としてこの家にとどめ置かれるのだろうか…そんなことばかり考えていた。
「御嬢様っ!手紙の内容でしたら小人が暗記してきましたっ!こいつ!それだけはできるのでっ!」
「…いいの…聞きたくない…。」
「御嬢様…そうは言わずに。『君の靡く髪は極寒の冬にも春風を僕の魂まで運んでくる。君の瞳を見つめれば空より高い場所へ僕の魂を運んでくれる。君の天使の声は僕の魂を…』」
「もうやめてっ!」
———雄弁に語られるヘロンの言葉を聞き、自分には「あぁ」としか声をかけてくれなかったことが強く思い出されて、小人の言葉を聞いていられるなくなった。
まだ、悲しみが大きくて怒りすら覚えられなかった。
自分は旦那様のことを愛さないように、と思っていたけれどこんなに悲しいってことはやっぱり愛してしまっていたんだろう。
無口に響く「あぁ」という返事も、サラサラした金髪も、冷徹な薄紫の瞳にも好意を持ってしまったんだろう。
なんて馬鹿だったんだろう。
そんなリリアンの思いも言葉も無視して『小人』は暗記して来たヘロンの恋文を読み続けた。
「『君の天使の声は僕の魂をそこに巣食う全ての汚濁から解き放ってくれる。リリアン、君はどうしてそうまで魅力的に僕の隣で微笑んでくれるのだろう』…これがアルデバラン伯ヘロン•キャンベル様の恋文でございます」
「え…? 今…なんて?なんて言ったの?」
「『君の靡く髪は極寒の冬にも…』」
「そこじゃなくてっ!名前のところ!」
「『リリアン、君はどうして…』でございます」
「嘘つき。だって、旦那様は私の名前を呼んでくれたことだってないのよ!?そんなはず…」
———とてもじゃないけれど信じられない。だってそんなわけがない。
そうよ、そんなわけないの。
「他の恋文も拝見させて頂いたところ、アルデバラン伯様は、どうやら照れて上手く話し出せないことを悩んでおられるご様子でした」
「リリアン様…旦那様は、ヘロン様はリリアン様を愛しておいでですよ!」
「嘘嘘嘘!そんなわけない!」
———そう、そんなわけない。
「御嬢様っ!妖精は嘘をつきませんっ!」
『小鳥』が必死になって早口で弁明した。
そんな『小鳥』の前に緑色の短い手を出して制止してから『小人』がリリアンに向かって頭を下げた。
「陽も完全に落ちてしまいましたのでまた明日…アルデバラン伯様の続報をお持ちいたします。その際には、我々からも御嬢様へ忌憚のないことではございますが少々お願いがございますので…では」
そういうと妖精たちは壁の隙間を器用に抜けて消えていってしまった。
リリアンは妖精たちの残していった衝撃にまだ頭がふらふらしていた。
旦那様が自分に恋文を書いているなんてあり得るのだろうか…そんなもの貰ったことないんだからきっと妖精の嘘に決まってる。
でも私の質問なんかにボロを出しちゃう妖精たちがわざわざそんな手の込んだ嘘がつけるんだろうか。
———本当だったら、本当に本当に本当だったらそれは夢みたいなことかもしれないけど。
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