第21話

 店に着いてからはもうルーティーンと化した入浴と洗濯を済ませた。乾燥機に洗濯物を入れたころで、もの凄い眠気に襲われた。

アラームを7時30分にセットして少し眠ろうと思った。昨日ではなく今日の深夜だ色んなことがあった。眠りが浅いから最近は昨日と今日の区別がつかなくなっている。中々人生で経験できない事があったのだ、少しくらい眠ってもいいだろう。

 急に肩を揺らされる感覚があった。

ビクッとしたと同時にしまったと思ったがまさか自分がと思いながら目を開けた。

肩を揺らしたのは日野だった。携帯を見ると8時前だった。アラームにも気づかないくらい眠っていたのか、働いている店のセット面はガラス張りで、よほど熟睡していたのかよだれを垂らしていた。

「前田さん、大丈夫ですか?顔色悪いですよ?しんどいんですか?」

起きてすぐ質問攻めにされた。

「いや、ちょっと昨日飲み過ぎただけや、全然大丈夫」

そう言いながら、そっと自分の垂らしたよだれを拭いた。

情けないと思うと同時に、おそらく日野は何かに勘づいているだろう、日野が何も言ってこなかった事が1番の救いだった、乾燥機の中には自分の服が入ったおりおそらくそれも気づかれているだろうし、よだれを垂らして朝から眠っている先輩を見て確実に何か思っているはずだ。おそらく触れてはいけないと思ってくれたのか何事もなかったように接してくれた。

「今日はちょっと予約ゆっくりしてましすね。前田さん終わったらレッスン見てくれません?」

「はよ終わりそうやし、いいよ。終わったら一緒にしようか」

言葉を発した時にはっとした、今日は仕事が終わればあやに電話をする予定だった。だが冷静に考えて本当に本人が出るかもわからない冷やかしかもしれない事を予定というのも少し変だと思い始めたので、優先順位は日野でいいと自分に言い聞かせた。

乾燥機の中の服を鞄に詰め込んだ後ぞろぞろと他のスタッフが出勤してきた。

 一番最初に来てくれたのが日野で良かったと本当に思った。もしそうでなければ全て終わっていたかもしれない。

「今日も前田早く来てたんか?調子良さそうやから今日も頑張ろか」

どう見ても顔色はもよくないし、疲弊しているだろと思いながら全く人の中身が見えないバカな店長と中身の無い話をしている。

とても無駄な時間だがこれも仕事のうちかと思えるようになった。

 夜の街で生活しだして昨日のあやもそうだし亮太郎も客のしんどい話や、中身のない話を聞いて笑ったり、相槌を打ったりしているそれは仕事だからだと言っていた。つまらない客でも愛想を振りまくのだろう。彼らはいつ本当の自分を出しているのだろう、亮太郎は本当の自分を僕に見せてくれているのだろうか?ふと疑問に思ったが、自分以外の人間の心の中なんて一生わからない。こんなことこそ考えるのは無駄だ。


 美容師の仕事もそうだ、来てくれてるお客さんの心の中なんて一生わからない。だから最高のパフォーマンスで迎え綺麗にして帰ってもらう、けれど再来や指名に繋がらないこともある。

自分も営業中は本当の自分では無いのかもしれない、愛想はあまり無いが、嘘の自分を演出している。自分が心から素でいる時間は1日どれくらいなのだろう?

夜の仕事も自分のやっている仕事もさほど大差が無いように思えた。


 今日はそんなに忙しい日ではなかったので営業中にカルテの記入を終わらし、早めに掃除を始めた。定刻の19時に営業は終了した。

朝に日野と約束していたので煙草を吸ってくるからその間にレッスンの準備をしておいてと伝え喫煙所に向かった。

煙草を吸いながら、あやに電話をらかけようかと思ったが、今では無いなと思い火を消して店に戻った。


日野はワゴンにクランプをさしウィッグを置いて準備万端だった。

「今日もよろしくお願いします」

「そんなかしこまらんでええから、始めよか」

「はい!」

フレンドリーな先輩を演じているが後輩からしたら、中々越えられない壁があるのだろう、自分も先輩に対してそうだったからあまり気にはしていない。

日野はやっとカットレッスンに入ったのだが最初の課題のワンレングスのボブが中々越えられない。いつも左右の長さが違うしタイムにも入らない。スタイルを作る過程で左右の長さを同じにするというのはカットの基本で絶対に抑えなければいけないのでしっかり見て彼女の癖や粗探しをして伝えなければならない。

日野が切り始めて少し経ったくらいに店長が話かけてきた。

「自分ら本間に仲ええなー、でもうちの会社社内恋愛禁止やからなー」


何を言うのかと思えばしょうもない事を言う。今集中している子にかける言葉でもないし、何ならお前は他店のスタイリストと付き合っているだろうが。秘密にしているようだが全てのスタッフが知っている。

大きな声で言ってやりたかったが「今、ちょっと黙ってくれますか?」と反抗的に聞こえるように返事をした。

この返答に腹がたったのか、ここに居ても相手にされないと思ったのか、そそくさと帰る支度をし、「お疲れー」と言い残し帰って行った。

本当にこの男は何がしたかったのだろうか?

「出来ました」と日野から伝えられ、タイムを見ると32分かかっていた。テストでは30分以内に切り終え、仕上げなければならない。

タイムに入らなかった事を申し訳なさそうにしていたが、それよりもまずは仕上がりを2人で確認した。

今回は左右の長さもあっているし仕上がりのスタイルとしてはさほど問題なかった。ただ見ていて無駄な動作が多かったり、切り直しに時間がかかっていた。少し辛口だが要点をまとめたメモを渡し明日の課題を与えた。

日野は気も効くし、頑張り屋さんだ。絶対にスタイリストにしなければと、何か使命感のようなものを自分の中に抱いていた。

改善点を2人で話し合い、ここをこうすればもっと良くなるなどと話していた。

時計を見ると21時を回っていた。

「遅くまで、ありがとうございました」

「いやまだ早いやろ、いつももっと遅くまでやってるやん」

店には僕と日野の2人きりだったので朝のことを突っ込まれるかと思った。突っ込まれたら、もう素直に全てを話そうと決めていた。

だが全くそこには触れずに、2人とも帰りの支度を始めた。この子なりの優しさなのだろうか、そっとしておいてくれた。

「じゃあ、今日もありがとうございました。また明日もお願いします」

そう言うと日野は地下鉄の方に歩いて行った。

日野を見送った後僕は弁天町の環状線の改札の前で立ち止まっていた。遅くなったがあやに電話んかけてみようかと思った。

貰った紙ナプキンをら広げ書かれていた数字を押していく。2コール目くらいで繋がったような音がした。

「あ、もしもし・・・」

言葉に詰まっている間に向こうが喋って来た。

「慧悟?遅いよー、お腹すいたんやけど。美容師って終わるんこんなに遅いん?」

まぎれもなくあやの声だった。電話の様子だと本当に何も食べずに待っていたようだった。

「あーごめん。遅なったわ、お腹すいてるよな?なんか食べに行こうか」

「本間にお腹すいたわ、家の近所にうどん屋さんあるから、うどんにしよ」

「わかった。で、俺は何処に行けばいいの?」















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