第10話
何かに足を引っ張られる夢を見た、夢を見るのは久しぶりだった。
片足だけをやたら引っ張られているような、なんとも寝心地の悪い夢。
意識が少しだけ覚醒する、うっすら目を開けると、これは夢ではなく、現実だと認識する。いかにもホームレスの格好をしたおじさんが、僕の右足、正確には僕の靴を脱がそうとしていた。
目覚めのドッキリには少し刺激が強すぎるようなシチュエーションで人間は本当にびっくりした時、アホみたいな言葉しか出てこないのだ。
僕の場合は「うわ、なんやねんおっさん」だった。
その時僕はナイキのハイカットのスニーカーを履いていた、上まで紐を結んでいたので中々脱がせなかったのだろう。
僕が目覚めた事で靴を脱がすのを諦めたホームレスは何かボソボソと言っている。
「何?」
シンプルにその言葉しか出てこなかった。
ホームレスはギリギリ聞き取れるくらいの声で「片っぽだけ靴無いからお前の盗ろうとしてん、ごめんな」確かにホームレスはボロボロの原型もわからないような靴を履いていた、右足は真っ黒になり裸足だった。よく見てみると髪の毛はドレッドのようになり髭もかなり伸びていた。
これが本当のホームレスなんだとこんな至近距離で目の当たりにすると怖かった。
こんな客が店に来たら真っ先に帰ってもらう。そんな汚い見た目だった。
物怖じして靴を渡してしまいそうになったが、僕だってこの靴しか持っていない、絶対に渡せない。
「おじさん、ごめん靴盗らんといてくれる?俺もこの靴しか持ってないねん」
「ほな靴は諦める、だから何か食べ物くれや」
どこまでも厚かましく、プライドも無くなってしまった人間の最終形態だろう。
思い切って殴ってやろうと思ったが、そんな気力も湧かなかった。
携帯を見ると朝の4時前だった、僕はこんな早朝になぜ小汚いおっさんと向かい合っているのだろう?
餌を与えたらきっとまたたかりに来る、そこら辺の野良犬と一緒だ。
「おじさん、僕は何も与えません。自分で頑張って、残飯漁るなり、缶でも集めて金にしてください、靴もごみ箱から見つけてください、それがあなたが選んだ道やし生活です、周りの人に迷惑かけんといて下さい」
こんな話が伝わったのかどうかはわからないが本物のホームレスのおじさんは、「お前、最近この街の路地で寝てるの見るぞ、お前まだ若そうやのに人生諦めるなよ」とごもっともな言葉を残してダルそうに何処かへ歩いて行った。
本物にそう言われると言葉の重みがあった、酔った上司の薄っぺらなそういう言葉よりも圧倒的に重みというか圧があった。
それと同時に僕は何日間か街のホームレスから見られているのだろうか?
今日から新しい寝床に変えなくては。もっと人目につかない隠れた場所へ。
始発まで1時間程あったので僕は今日眠る場所を探そうとうろうろと徘徊した。
朝の東通りは本当に酷い。誰かが吐いたゲロやそこらへんで立ちションするおっさん。疲れ切ったこの世の終わりみたいな顔の風俗嬢。そんな人が入り浸る街に安全な場所などないのかもしれない、しいて言えば亮太郎の店で酒を飲んでいる時が一番安全だろう。
特にいい寝床も決まらずに、そろそろ始発の時間が近くなってきた。今日はよく体を洗おう、1番いい匂いのシャンプーでゴシゴシ洗おう、なんとなくホームレスのおじさんの臭いが体に染み付いているように思えた。あとは少しでいいから仮眠を取りたかったか。
店に着いて体を念入りに洗う、また床をびしょびしょにして。
まだ6時前だったので7時半にアラームをして仮眠をとった。
アラームより先に電話が鳴った。うるさいなと思いながら画面を見ると聖子からだった。
昨日の今日で何なんだと思ったし、眠かったのでイラっともしたし、無視しようかと思った。でもこんな時間に電話しをかけて来るような奴ではないし、出なくてはいけないような気がした。
「朝から何?」
第一声は不機嫌に聞こえただろう。
聖子も、寝起きだったのかもごもごとしている。
「いや起きてるかなと思って、今大丈夫?」
「今店で寝てた、こんな朝からどしたん?」
「いや、いちおう言うとこうかなと思って、メールより電話の方が早そうやし」
何となく察しは着いたし、いい報告でもないのだろうなという声のトーンだった。
「昨日私、家帰ってすぐ寝てん。そしたら夜中に真希からメールきてたんよ、真希さ新しい家見つけたらしいわ、だから今日か明日には今の家出るってさ」
あぁ、そんなことだろうと思った。
「どうせ新しい男の家転がり込む感じやろ?」
「何でわかったん?傷つけんように言わんかったのに」
真希の性格上誰かがいないと無理だ、誰かというよりは相手がいないといけない、女性ではなく男という生き物が近くにいないと無理なのだ。
「いや。なんかそんな気がしただけ、悪いな朝からこんな電話さして」
「いや、私はいいけど慧悟死んだりするなよ」
「誰が死ぬねん、もう未練ないし、あいつ出て行くんやったら家解約せなな、空家賃勿体無いし、電話ありがとう」
「まぁへこむなよ、来週からの休みまた会おう、焼肉奢っててあげるよ」
「焼肉はええわ、普通に飯食いに行こう。ほなまた連絡する。
電話を切った後足に力が入らなかった。未練などないと言ったが、きっと本心は離したくなかったのだろうたとえそれが依存だと解っていても、その時はもとに戻れるし。またやり直せると思っていたのかもしれない。素直に謝ればやり直せたかもしれない。でも僕はそれを拒み逃げ出した。そして真希は新しい相手を見つけた、それが今突きつけられた現実だった。
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