第7話青空と魚
梅雨も明けて蒸し暑さが迫ってくる頃。
同じ研究室の同期サトルとユキタカさんと学食へ向かっていた。少し遅いお昼ご飯を食べに行く所だ。
昼から講義も無かった僕とサトルは、学生達で混み合う昼間の時間を避けて昼食を取ろうと話し合っていたのだが、研究室に遊びにきたユキタカさんも昼ご飯がまだだからとご一緒することになった。
目論見通り、時間をずらした食堂は利用する学生も少なく疎らになっている。シンクの掃除を始めていたおばちゃんに注文をして、僕とサトルは1番安いうどんを、ユキタカさんは焼き鮭定食を受け取って窓辺の適当な席へ移動した。
大学の食堂は、一面を埋める大きな窓ガラスが備え付けられていて、ガラス越しには向かい合うように佇む校舎と、日の当たる芝の敷かれた広場で読書をしている学生が見てとれた。
「ユキタカさん、この前のニュース見ました〜?」
静けさすら漂っている食堂で最初に声を響かせたのはサトルだった。
「海外で、凄い数の魚が空から降ってきたって話っすけど」
たまに聞く話ではあるが、謎が多くて都市伝説にもなる話題だ。
サトルにはユキタカさんが怖い話とか都市伝説とかが好きだと教えてあげていたので、事前に勉強してきていたのだろう。
本当は彼女の趣味を教えるつもりは無かったが、皆が羨む美人と遊んでいる事を自慢したくて我慢できなかった僕はコイツにだけ話してしまっていた。
サトルもユキタカさんと仲良くなる事を狙っているに違いない。僕は、過去の自分の口を抑えつけたい気持ちを一緒に飲み込むように、お茶を口にしてサトルの話に耳を傾ける。
「魚が空から降ってくるってちょくちょく発生している事件らしいっすよね。」
「原因は鳥が捕まえた後に落としたとか、輸送中の飛行機から落ちてきたとか竜巻によって巻き上げられたとか色々ありますけど、どう思います〜?」
「……ファフロツキーズ現象だね」
そう言いながらユキタカさんは定食の焼き鮭の骨を頑張って取り分けている。
空から本来降ってくる事がないものが降ってくる事件って、そういう現象名が付いていたのか。
「んー。色々言われてるけど、どの仮説も確証は無いよね。鳥説だと数百匹単位で降ってくるのは考え辛いし、輸送中の飛行機事故も発表されてない。」
「竜巻き説が最もらしいけど、周辺の水辺に生息してない種が落ちてきたり、魚なんかよりもっと重い物も降ってきたりしてて仮説の域を出ないって感じ」
1870年代にはワニが降ってきた事例もあるらしいねと呟きながら、ユキタカさんは鮭の乗った皿を僕の目の前へ放り出してきた。自分で骨を仕分けるのは諦めたらしい。
「じゃあ、空からおかしな物が降ってくる原因は判明してないんですか」
僕は鮭の骨を仕分けながら彼女へ問いかける。
「空飛ぶ島でもあるんじゃないっすか?ラピュタみたいな」
ユキタカさんが答える前に、サトルがうどんを食べながら割って入る。
空飛ぶ島って。僕は窓越しに空を見上げてみた。向かいの校舎の後ろには青空が広がっていて、夏を彷彿とさせる入道雲が浮かび始めている。
そんな空模様を見ていると、入道雲の塊の中から孤島がひょっこりと顔を出して、孤島に佇む城から誰かが魚を空へ捨てている光景が見えた気がした。
「空飛ぶ島か。それはロマンチックでいいね……あ、それくらいでいいよ」
そう言って、ありがとうと呟く彼女に定食を返した。サトルが羨ましそうにこちらを見ている。鮭の骨を取る仲になるにはまだ早いぞ。
「原因は分からないけど、その時の魚の気持ちはどんな気持ちなんだろうと考えたことはある」
「魚の気持ちですか?」
ユキタカさんの言ってる意味が分からなくて、僕はそのまま聞き返す。
「そう。魚って水の中でしか生きられないでしょう?」
「暗い水の中しか知らなかったのに、急に雲の上まで運ばれてさ。気がついたら目の前には青空がいっぱい広がってるんだよ」
「初めてみる景色って輝いて見えるじゃない?それも相まって、魚の見る青空は凄い綺麗に見えるんだろうなって」
そう言って、彼女は箸で掴んだ鮭の切り身を持ち上げる。
切り身はまるで空を飛ぶように箸で運ばれながら、ユキタカさんの口へと入っていった。
僕には、彼女が食事しているだけのそんな光景もキラキラと輝いて見えて、目を奪われていた。
「あ、その話で思い出した。行ってみたい所があるんだけど、週末空いてる?」
鮭をもぐもぐしながら、ユキタカさんはこちらを見て首を傾げている。
「空いてます。また遠出するんですか?」
「あ、週末なら俺も空いて……」
「よし、じゃあ2人で行こう。目的地はお楽しみで」
便乗しようと身を乗り出したサトルが話を聞いてもらえず、がっくしとこうべを垂れている。
そんなサトルには目も暮れずに彼女は笑っているので、僕も深くは聞かず、期待だけしておくことにした。きっと、いつものように僕の知らない世界へ連れていってくれるのだろう。
僕にとって彼女と見るその景色は、魚の見る青空に負けないくらい輝いてみえるはずだ。
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