しーふーど

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話




 ――塩むすびを食べながら、耳元で小豆でも揺らしておけ。

 海に行きたいと言った僕に、父さんがくれた言葉だ。

 バカか、と思った。

 そんなことで海に行けるのなら、みんな塩むすびを齧りながらスピーカー機能がないくせにヘッドホンの形をした小豆入り耳当てがついてるカチューシャみたいなやつを頭につけて、シャララー、ザザザーってしながら歩くさ。

 僕は湘南に住んでいるユーちゃんの家に泊まりに行けば海を堪能できると考えたけれど、母さんは「迷惑だからダメです」とピシャリ。ユーちゃんは父さんの妹だから、母さんからは頼みにくいんだろう。それでいて、父さんは塩むすびと小豆でいいと思っているくらいだから、ユーちゃんに頼んでくれるでもない。

 あーあ。海がこっちに来ればいいのに。

 そう。海がこっちに来ればいいのにって、確かにそう考えた。その次の日に、テレビが叫んだ。

 ――津波警報。

 わずかな津波が到達するも、幸い海辺の街に大きな被害はなかったそうだ。

 被害がなかったことを喜びながら、けれど落胆もした。

 海はこっちにやってこない。

 ほら、やっぱり僕が海に行くしかない。

 海に行って、そこで塩むすびを食べながら小豆をザーザーって揺らしてやる。そうして、父さんに文句を言ってやる。

 海は塩むすびでも小豆でもないって。感覚だけじゃ行けないんだって。


 ユーちゃんの電話番号もメールアドレスも知らない。でも、我が家はいまだに年賀状のやり取りがあるから、ユーちゃんの住所は調べられる。

 思い出を振り返りたいから、と、それらしい理由を言って僕は、昔届いた年賀状の箱を漁った。

 父さんも母さんもファイルに入れたりしないから、束になっていたり雪崩を起こしたりしていた。

 むかーしむかし届いたものらしい黄ばんだ紙には、50の文字。50円で手紙が送れるとか、すご。でも、50円も払うならうまい棒食べたいかも。チロルチョコと一緒に。しょっぱい、甘い。サイコー。

 母さんは「家デンと手紙しかなかったのよ。メールを庶民が使うようになったのは近年の話よ」なんて遠い目をして言う。なんだかんだ一緒に年賀状を漁って、ケラケラ笑ったり、顔を真っ赤にして一枚隠したりした。

 ――たっくんだいすき♡

 初恋の子からの年賀状、なんでここに混じってるんだよ。気づいてよかった。ユーちゃんのおかげだ。

 そう、ユーちゃん!

 ガサガサ漁ってようやく見つけた、ユーちゃん!

 数字は62だから、最近のやつだ。

 僕は誰かの適当な年賀状に隠して、初恋とユーちゃんの年賀状を自分の部屋へ持って行った。

 そしてすぐに、手紙を書いた。


 海を見たいです。

 だから、ユーちゃん家に泊めてくれませんか?


 メールアドレスも書いて、封をして出した。

 今、切手がいくらだか分からなくって、コンビニの店員のおばちゃんに教えてもらって、買って貼って出した。

 返送されてこなかったから、ちゃんとユーちゃん家に届いたはずだ。


 何日かして、ユーちゃんからメールが来た。

 泊まりに来ていいよって言ってくれた。

 父さんは呆れていたし、母さんは頭を抱えていたけれど、ユーちゃんがいいって言うなら行ってこいと、バカみたいに大量のお土産を持たされて僕は旅に出た。

 ユーちゃん家に行ったことはあるけれど、遠い昔でよく覚えていなかった。たどり着いたその場所は、あまり海という感じがしなかった。街だった。

「がっかりした?」

 ユーちゃんが笑う。

「そんなことないです。お世話になります。あ、これ、お土産です」

「あら。気にしなくていいのに。って、パパとママに押し付けられたんでしょ?」

「まぁ、そんなところです」

「私からのお土産は後でお家に送りつけておくね。さぁさぁ、入ってゆっくりして」


 記憶の箱をひっくり返して雪崩を起こした記憶のフィルムを探れば、この家の画が必ず見つかる。だって、よく分からないけれど懐かしい。


 ジュースをもらって一息ついたら、ユーちゃんが海まで連れて行ってくれた。ユーちゃんの車はガタガタしていた。その揺れはなぜだかすごく、心地よかった。


 海だ。

 視界いっぱいに海と空。

 しょっぱい空気、甘い太陽。

 あぁ、そうだ。塩むすびを食べながら小豆をシャカシャカしようとしてたの、すっかり忘れてた。

「ユーちゃん、この辺にスーパーとか、ある?」

「ん? なんで?」

「塩むすびと小豆が欲しい」

 詳しく話をしてあげたら、ユーちゃんはお腹を抱えて笑った。父さんのことをよく知るユーちゃんだからこそ、懐かしさも混じる眩しい笑顔。

「塩と小豆なら、オススメあるよ」


 あんバターが挟まった塩パンロールを買うと、海に戻って齧りついた。

 しょっぱい、甘い。

 僕の海は、塩むすびと小豆じゃなくて、塩パンとあんバターだ。

 今、そう頭にインプットしたから。


「海って、味覚でも行けるところだったんだね」

「だろうよ」

 ユーちゃんのお土産を齧りながら、父さんが笑った。


 海を買いに立ち寄ったパン屋さん。

 トレーを置いたカウンターの向こう。

 店員さんが手を止めた。

「……たっくん?」

 初恋が、打ち寄せた。




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しーふーど 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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