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数年前に亡くなった友人から手紙が届いた。少しばかりの嬉しさと寂しさが混沌として逆に凪いだ心持ちでいた。仕事帰りにたまたま立ち寄ったカフェの店主がなぜか私宛の手紙を持っていた。これほど奇妙なことはなかった。でもそれもすべて仕組まれた事のような気がしてふわふわとした気分になる。
手紙はシンプルなデザインの封筒につつまれてやってきた。カフェの端の席に座った私のもとに注文を取りに来た店主がそっと机の上に差し出したものがこれだった。クラフト紙の上に踊る、もはや汚く見える達筆な文字が友人の姿を彷彿とさせる。天国では元気にやっているだろうか、勝手に先に逝きやがったあいつは。
ここに来るまでもあいつのことを思い出しているところだった。今日の天気と空気はどうも、あいつが死んだ日に似ていた。不思議なほどに晴れ渡った青空が。夏にしては珍しい涼しい空気が。しばらく思い出していなかったがたまに思い出すのもいいものだと思う。きっとあいつも、そう言うと思う。変な話、あいつは今を楽しんでいるのだと思う。
空の色が黒く闇に染まっていく。ブルーアワーを通り越した空は誰も写さぬ夜になっていく。最近の夜は短くて暑くて本当に嫌になる。昔心を躍らせた八月は、今となっては何でもないただの日々の延長線。だからこそ、昔の記憶が美化されて舞い戻ってくるのだろう。あの頃は美しいだなんて思っちゃいなかったのに。思い出というもののそういうところが私は嫌いで、あいつは好きだった。
「思い出って美化されるから面白いと思うんだよね。そのままではいてくれないところが。」
そう笑ったあいつの姿が一瞬見えたような気がした。
「ご注文のアフォガートです。アイスが溶けてしまうので是非お早めに召し上がってください。」
店員さんはにこやかにそう言って私の前にアフォガートを置いた。知らないデザートだったから頼んでみたのだが、随分おしゃれな食べ物だったようだ。おいしそう。
『ねえ、なんで手紙読んでくれないの?』
ふと、あいつの声が聞こえたような気がした。拗ねてやけに子供っぽいあの話し方が。あいつ、拗ねたら面倒だったなあと思いつつ私は手紙を開いた。もう仕方ないなあと言うように。
元気にしていますか?
僕はとっても元気です。
え?元気にしてないと思ってたって?
意外と楽しいんだよね、ここ。
でもね、宙空には来てほしくないや。
宙空の活躍をずっと見れることがここの一番いいところだからね。
だから来ないでね。
僕はずっと見守ってるからね。
でも宙空に僕のこと忘れてほしくなくて今日は手紙を書いてみることにしたんだ。
ポストを見つけたんだよね。
そっちの世界に届くポスト。
面白くない?
あんなの生きてる人たちの想像なんだと思ってたよ。
生きてる人が悲しみから救われるためだけにある作り話。
でもさ、もしかしたら死んだ人にとっても救われるためのものなのかもしれないね。
ここらで終わりにしようかなぁ。
最近の宙空から笑顔が消えてたからこれは僕からのささやかなエールだよ。
幸せになってね。
「笑顔が消えてる」かぁ。正直に言うと心当たりしかなかった。嫌なこと続きで人生ってなんでこんなにクソなんだろうとか思っていた。多分、晴が言いたかったのはこういうことだろう。
「柄でもない」
確かにね。柄でもないわ。ただね、晴だって柄でもない死に方したじゃん。自殺なんて似合わないよ。もっと長生きしてよ。一緒に色んなところ行こうって話してたじゃん。
不意に歪んだ視界の奥にアフォガートが見えた。さっき店員さんに言われたことが頭に浮かんだ。食べよう。見てるんだったらこんなおしゃれで美味しそうなもの食べている私を見て晴に後悔してもらおう。そう思った。カップに入ったバニラアイスクリームに珈琲を回しかけていく。アイスが少しだけ溶けるのを見て私は思った。もしかしたらこれを頼んだのは晴からの天啓のようなものだったのかもしれない、と。あまりにも似ていたのだ。晴が私の頑なな気持ちをほぐしたのと、珈琲がアイスを溶かしたのが。アイスが私で珈琲が晴。なんだかしてやられたような気持ちになって思わず笑ってしまった。
「負けたよ晴。私ずっとどこかで晴のことを大切に思ってたのかもしれない。」
口に運んだアフォガートはそっと溶けてなく
なってしまった。でも幸せが心に居座って、
妙に満たされていた。
レジに行くとさっきの店員さんがにこやか
に話しかけてきた。
「アフォガート、よかったですか?」
「はい。幸せの味がしましたよ」
少し微笑んでそう言うと彼女は目を輝かせて、
「よかったですっ!」
と笑った。私もこんな風に笑顔が素敵な人に
なれるよう頑張ろうと少しだけ、思っていた。
外に出て空を見上げる。もうすっかり夜だ。
夏ってやつも少しはいいかもしれない。嫌い
なことも嫌なことも見方を変えればまぁ、ま
しなのかもしれないよな、晴。
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