ミーティング

増田朋美

ミーティング

春が間近のその日、影浦医院に設置されている会議室で、鬱や神経症、摂食障害などを発症した人のための、グループミーティングが行われていた。もちろん、治療を受けるのはその人一人一人違うと思うけど、精神障害の場合は、何人かで集まって治療することも多い。一人ぼっちにさせないためではなく、家族の人たちに息抜きをしてもらうためにも、こういう集まりには、患者さんに参加してもらうようにしている。

「こんにちは。それでは本日もミーティングを始めましょうか。今日の参加者は3名ですね。まずはじめに、今日初めて参加される方もいらっしゃいますので、自己紹介をお願いします。それでは、加藤さんから話してもらおうかな。では、ご自身の名前と、病歴を簡単にお話してみてください。」

医師の影浦千代吉がそういうと、加藤さんと言われた男性は、ハイと言って、こう話し始めた。

「はじめまして、加藤と申します。私は、うつ病なんですが、職場でひどいことを平気で言う上司がいまして、それに耐えられずうつ病を発症しました。今は、投薬治療で少しやる気が出てきて、家の近所を散歩する程度なら、ようやくできるようになってきた感じです。まだ、仕事をするのは大変なところもあるので、仕事は探していませんが、それも少しずつ変えていきたいと思います。」

加藤さんは、にこやかにそこまでを話した。影浦が、右隣に座っている女性にどうぞと声をかけると、

「はじめまして。岩瀬明子と申します。私の病気は過食症で、いつの間にか食べすぎてしまうくせが着いていました。特にダイエットのし過ぎというわけではなかったんですけど、食べすぎて気持ち悪くなるまで食べて、それでひどく落ち込んだりして、それを解消して自分を罰するために、下剤を大量に飲んだりして、そんな毎日を過ごしております。家族で食事をすることも全然なくて、それなのに冷蔵庫の中をあさっていたり。明らかに病気ですよね。でもやめられなくて。そんな生活です。」

と、彼女は言った。影浦が、加藤さんの左隣に座っている女性に自己紹介してくださいというと、

「はじめまして。小野田伸子と申します。私は、今回始めて参加させてもらいました。まだ、20歳になっていないので未成年なんですが、学校には行っていません。病名は、自分ではよくわからないんですけど、私は学校にはどうしても馴染めなかった。それで、消しゴムとか食べてしまう症状があって、汚いと言われていじめられました。どうしてそんなものを食べてしまうのか、私にはわかりません。友達も全くいないし、いつも一人ぼっちです。今日は、家族に勧められて、こさせてもらいました。家族が、同じ障害を持っている人であれば、わかってもらえるかもしれないって行ってくれたんです。だから今日はこさせてもらいました。」

と、彼女は小さい声で言った。

「わかりました。今日は、初めて参加される方もいるようですので、今日のテーマは、私のストレス解消法というテーマで話してみましょうか。それでは、思い思いで良いですから、加藤さんから、どんなストレス解消法があるか、話してみてください。」

影浦がそう言うと、加藤さんが少し考えて、こう話し始めた。

「普段は鬱なので、どうしても暗いというか、考えが悪い方に言ってしまうものですから、まずはじめに、なにか感じたら、すぐに誰かに話すようにしています。そうすると、自分が本心で話しているのか、それとも病気が言わせているのか、それを自分で自覚できるので大変助かっています。」

確かに、加藤さんが言う通り、自分の感情を文章にして見ることは大変重要なことでもあった。それは、家族も精神疾患を理解してもらうための第一歩だった。

「私は、ちょっと加藤さんと似たような言葉になってしまいますが、嫌なことがあると、大量に食べてしまうことが多かったのです。私の場合、寂しいのを食べ物で紛らわしていたんだと思います。だから、なにか新しいことを始めようと思って、今、革細工のレッスンを受けようかと考えています。そうやって新しいことを始めることも大事ですよね。過去にやっていたことではなくて、新しいことを始めるために、病気をしたと考えれば、それもそう悪いものではないと、私は、言われたことがありました。家族は、ちょっと変だと思っているようですが、でも、そういう新しいことを始めてくれた私を、喜んで迎えてくれたようです。」

岩瀬さんが加藤さんに続けて発言した。

「ありがとうございます。じゃあ、小野田伸子さんにも、話していただきましょう。」

影浦がそう言うと、

「はい。そうですね。私は、、、何をしていたんでしょう。よくわかりません。今は、楽しんではいけないと言われていますし、自分のやりたいことをやるのではなくて、我慢するときでは無いかなと思うんですね。だから、私は、よくわかりません。ストレスが、かかったときは、どうしたら良いのかなんて何も言えません。」

と、伸子さんは小さい声でそういった。

「そうですか、それだって立派な答えになりますよ。何も無いというのは、新しいことを取り入れられるということですからね。それは何も問題はありません。どうかお気になさらず。」

影浦が優しくそう言うと、

「ごめんなさい。」

と、伸子さんは申し訳無さそうに言った。

「大丈夫よ。みんなあなたと同じような気持ちを経験していますから。まずはじめに、あなたの気持ちを聞いてくれる人を見つけましょう。そうすれば、食べてしまうことも減るかもしれない。今は、インターネットで、カウンセリングとか、そういう人のホームページも公開されているし、実際に、病気になった人が、こうすれば楽になれると提言してくれることだってあります。だから、情報を集めることも大事ですよ。こういうところに来られて良かったわね。それだけでもあなたに取っては第一歩だったのよ。今日は、自分をうんと褒めてやってください。」

岩瀬さんが、優しそうにそういうことを言った。もしかしたら、こういう言葉をかけてあげられるのは、当事者でなければ言えないのではないかと思われるセリフだった。

「なにか、楽しいことというか、自分の好きなものは無いのですか。それを、少しずつ始めていけば、またなにか違うかもしれないです。」

加藤さんも加藤さんにそう言ってくれたのであるが、伸子さんの反応はこうなってしまうのだった。

「でも私は、働いてないし、学校にも行ってないし、それでは、何もしてはいけないと思うのですが。私がなにかしてしまったら、みんなに迷惑をかけてしまうだけだし。私にできるのは、逃げることと、黙ることしかできないですよ。私がなにか発言したら、みんな困ってしまうでしょうし。私は、いてはいけない存在なんだって、今の家族を見ればわかりますよ。だから、私は何もしてはいけないんです。」

「じゃあ、小野田さんにお尋ねしますが、その言葉は誰が言ったのでしょう?お父様ですか、それともお母様ですか?」

影浦は、伸子さんにそういった。

「それは、、、わかりません。でも、家の中の雰囲気がそうなっているので、私はそうするしか無いと思っています。」

「では、具体的に誰が言ったのかははっきりしていないのですね。それなら、僕の上司みたいに、実際に存在する人では無いのかもしれないですね。」

加藤さんがそんなことを言い出した。

「具体的に誰が言ったのかはっきりしていないのだったら、それは何も意味がありません。そういうことに、しがみついているのではなく、現実に口に出して言ってることを信じましょう。僕は上司に直にひどいことを言われたので、鬱になりましたが、小野田さんの場合は、言った人が誰なのかわからないということなので、そういうことは、存在していないことを、存在していると思い込んでしまっていると思います。」

「はい、そうですね。加藤さんの今言っていることは、妄想という症状に当たるんです。小野田さんは、妄想という症状があります。足が痛いとか、そういうことと同じことですから、それは、薬で抑えることが必要です。」

影浦は、加藤さんが言ったことを代弁してそういったのであるが、小野田さんはそうなんでしょうかといった。

「でも、学校の先生も、家の人達も、みんな私の事を働いていないということで、もう私に消えてほしいと思っているんです。だから私は、死んで閉まっても良いのではないかと考えています。」

「そうかも知れないけど、あなたにこのサークルに参加して見ろといったのは誰だったの?」

岩瀬さんが、年上の女性らしくそう聞いた。

「はい。私の母です。でも、みんな私の事なんて、いらないんだと言っています。」

伸子さんはそう答えた。

「それは誰が言ったの?みんなって誰?ご家族?それとも学校の先生?よく思い出してみて。」

岩瀬さんがそう言うと伸子さんは、

「わかりません。でも、テレビのニュースなんか見れば、一目瞭然ではないですか。何処のチャンネルも、働いていない人を称賛するチャンネルは無いし、皆働いていない人は死んでしまえと言っています。家族が言わなくても社会がそうなんです。それは、何処の世界でもそうですよね。だから、働いていない私は、何も価値もありません。早く死んでしまいたい。そういう人間は、犯罪者にしかなれないと言われたこともありました。だから、早く死んでしまいたいと思います。」

というのだった。それを、変な顔もしないで、そうなんだねと聞き続けていられるのは、岩瀬さんや、加藤さんなどの人たちなのかもしれなかった。

「それは、実際に働いてない人は死ねという言葉を誰かが言ったの?あなたに声として聞こえてきたの?」

岩瀬さんがそう聞いた。

「はい。聞こえてきました。」

「誰の声ですか?」

伸子さんが答えを出すと、加藤さんがすぐに言った。

「もう一度、その言葉を言った人を思い出してください。誰がそれを口にしましたか?あなたのご家族ですか?それとも、先生とか、そういう人たちですか?」

「はい。社会から聞こえてくるんです。テレビとか新聞とか、雑誌とか、インターネットとか。そういうものは私のことを、悪い人間だと報道し、働かない人間は、早く死んで社会のためになれと言ってくるんです。私の家族も実際に口に出したことは無いけど、みんなそう思っているはずです。だから死んだほうが絶対に良い。もう、楽しいことも無いし、生きている必要もありません。そういうわけだから、早く死んでしまおうと考えています。」

伸子さんはそう答えた。

「そうですか。わかりました。それは、もしかしたら、幻聴という症状なのかもしれません。具体的に悪口を言っている声が聞こえてくる人もいますが、そうではなくて、こういっているのではないかと思い込んでしまうこともある意味では同じだと思います。ココロというのはね、ものごとに対して、喜びや悲しみを感じ取ったり、それに基づく行動を起こすための起爆剤のようなものですが、あなたはそこがうまく作用できていないために、認識の仕方が他の人と違って見えてしまうのでしょう。そういうのを症状として見てるんです。僕達医者はね。そういうところは、薬で落ち着けて止めることもできますし、他の治療法、例えば催眠療法などが有効であることもありますよ。まずはじめに、そのような症状があるのだと自覚することから始めましょう。」

影浦が医者らしく、医学用語を使用しないで精神疾患のことを説明してくれたのであるが、伸子さんに伝わったのは、こういうところだった。

「いいえ、私は間違ってません。それは、学校の先生が言ってました。一番犯罪に走りやすいのは仕事をしていないことだと。だからそうさせないようにするためには、まわりの人たちと自分は同順位ではないことを、知る必要があるんです。私は、学校をやめてから犯罪に走らなかったのは、これをずっとやってきたからだという自負心があります。それを病気だと思って消してしまったら、私は犯罪者になりますよね。だって、学校の先生は、誰かに食べさせてもらうことは十分に犯罪だと言っていたんです。」

「はあ、、、なるほどね。」

岩瀬さんが、伸子さんのことを可哀想な人だという表情で見た。

「学校の先生は、そういうでたらめなことを平気で言うのねえ。私も、学校の先生と話していて、中には変な先生もいるなと思ったことあるけど、そんな事いう教師がいるとは、信じられないわ。」

「それでも、彼女はそういうことを真実だと信じ込んでしまったんだ。これを、直していくのは、すごい難しいよ。では、聞きますが、その犯罪に走りやすいのはというセリフを言ったのは、どんなときだったのか覚えていらっしゃいますか?もう、忘れてしまっていて、それも思い出せないかな?」

加藤さんが、伸子さんにそう聞いた。

「ええ、覚えています。私が行ったのは、昔はいい学校だと知られていたのですが、今は、授業を聞かないのは当たり前だと言われるくらいひどいところになっていて、よく大声で喋っている生徒さんに、無理やり黒板の方を向かせるため、先生が怒鳴ったり机を蹴ったりしていました。私は、そのような学校には居たくないと言いましたが、みんな昔はいい学校だったからと言って信じてくれませんでした。」

学校の教育体制も困ったものだ。それに、順位の高い学校であれば何も問題はないと信じ込んでしまっている大人も、困ったものである。もし、伸子さんが、誰かに学校が荒れていて辛いのだと話せる環境があったなら、精神疾患にはかからなかったに違いない。

「なるほど、言われたときのことは覚えていらっしゃるんですね。でもそれを、正しいと思ってしまうのではなくて、他の思想に触れて、この先生が言っていることは間違いだったと、言ってくれる人やものがあると良かったですね。きっと、学校に馴染めなかったというよりか、一生懸命勉強しすぎたんじゃないかなあ。それも必要なのかもしれないけど、学生時代に勉強したことなんて、ほとんど社会に出たら、役にたちはしないですよ。」

と、加藤さんが言った。

「これからは、色んな思想に触れて、一つの考えに縛られない生き方をするようにしましょう。精神が病んでしまうということは、生き方を変えろというサインでもあります。」

影浦がそう言うと、伸子さんは涙をこぼして泣き出してしまった。

「では、では、どんなふうにすればよかったのでしょうか。私のしたことはすべて間違いだったということでしょうか。私は、人生もう完全にだめにしてしまったのでしょうか。そういうことなら、死んだほうが良かったのではないでしょうか?」

「確かに、あなたがしたことは、間違ってたわ。でも、あなたは、人間が間違いを修正するのがいかに難しいのかを知っているはずよ。だって、あなたを病気にした教師も、家族も、みんな自分が正しいと思い込んでいることでしょうよ。そして、あなたがそうなって、今とても苦しんでいることだって知らないはずよ。そしてあなたは、そうやって苦しめられたことで、教師や家族が言ってることは、間違いだったって、知っているでしょ。なら、そういう人たちを是正する役目に回れると良いわね。ああ、もちろん直接てにかけるとかそういうことじゃないわよ。そうではなくて、あなたのような被害者をこれ以上増やさないために、活動していくことでは無いかしら?」

泣き出してしまった伸子さんに、岩瀬さんがにこやかに笑って言った。

「そうですよ。逆に言えば、世の中に正しいことなんて無いのかもしれないですよね。みんな自分が正しいと思ったことなんて、自分に都合のいいことを拾い上げて、それを自分で取り入れているだけのことですよ。それは、みんな同じ考えをしていないことでよく分かるじゃないですか。だからこの人は自分にあっているかいないかの判断はちゃんとしなければだめです。伸子さんのした失敗はそこなんじゃないかな。ああ、それが行けないとか、悪いとかそういうことを言っているわけではありません。それしかできなかったのですから、それを責めちゃだめです。それよりこれからは、色んな人の意見を取り入れて、一概に正しいと決めつけたりしない人間になれるといいですね。それは僕もうつになってよく知ったことです。相田みつをさんの言葉に、柔らかい心という言葉がありましたが、まずはじめにそれが一番大事なんですよ。どんな人の考えに左右されず、自分に都合良いことだけ拾い上げて、あとは無視していくことも、大事なんじゃないかな。これからは、人になにか言われたら、自分だけで噛み砕いてしまわずに、誰かに確認するようにして生きていったらいかがですか?」

加藤さんは、伸子さんの話を聞いて、昔の自分を思い出したのだろうか、なんだか自分に言い聞かせるように言った。

「すごいわねえ加藤さんは。そういうことまで考えられるんなんて。私は、、、まだまだだわ。」

岩瀬さんが、加藤さんの発言にそう言っている。ということは彼女も、まだ自分のしでかしたことを把握できていないのだろう。精神疾患の人たちは、それを知るために苦しめられているのかもしれなかった。そう考えると、このつらい気持ちも、悪いことでは無いのかもしれなかった。

「大丈夫ですよ。妄想の症状が出ていますけど、それは、医学的に言ったら、薬によって落ち着かせることは可能です。ただねえ、医学的には、そういうことはできたかもしれないけど、根本的に何とかするには、人との出会いしか、治療法は無いんですよね。先程の加藤さんが発言してくれたことは、正しく名言なんですけど、なかなかそういうことを言ってくれる人物は、、、いませんよね。」

と、影浦も加藤さんの発言に感動してしまったらしく、そういった。

「僕は、症状を止めることしかできませんが、患者さんというのは、そういう教訓的なことを教えてくれます。だから、そういうことを語り合える仲間の存在というのは何よりの薬です。」

まだ泣いている伸子さんに、岩瀬さんが、そっと自分のハンカチを渡してくれた。影浦は、もう時間なのでミーティングは終了だと言おうと思ったが、伸子さんが泣き止むのを待ってから、それを言うことにした。



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ミーティング 増田朋美 @masubuchi4996

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