第26話 目指すべき夢へ

 リヒト達の演奏が一段落した所でルタはツタを自在に使って半壊した廃屋の二階部分から地上へと降りてきた。


 相変わらず全身を纏う黒々とした根っこから感じる禍々しさは感じるが、最初に敵意を向けられていた頃と比べれば幾分かマシである。


 ルタが地上に来たことに気付くとリヒトは声をかけながら近づいていく。


「ルタ、聞いてくれてありがとな。ちゃんと話せたか?」


 演奏中、リヒトはルタがほぼ消えかけのレナと話していることに気付いていた。

 故に、そのような質問をするとルタは少し寂しそうにしながらも笑顔で返答する。


「うん、レナちゃんに伝えたからもう大丈夫って。それに色んな話を聞かせるって約束もしたから。これから僕はしっかりと生きていくよ」


 しかし、すぐに弱気になって「といっても、どこに行けばいいのかわからないけど」と呟くルタにリヒトはニヤッと笑って一枚の紙を書いた住所を取り出した。


「それについては問題ない。ここに行けば必ず匿ってくれるはずだ」


「ここは?」


「俺とお嬢が育った場所だ。そこはばかりだから偏見な目で見られることはない」


 ルタは住所の場所を見ながら「そうなんだ」と返答した。

 助けてくれたリヒトの言葉を素直に信じてくれる様子だ。

 しかし、すぐに首を傾げていく。地図が分からないのだ。

 彼はまだ子供で村から出たことすらないから。


 そのことにリヒトが少し考えるとハッと方法を思いついて「大丈夫だ」とルタに返答した。

 そして、リヒトはアルナに治療してもらいながらついに知りたかったことについて質問していく。


「ルタ、少し聞きたいことがあるんだが―――その容姿はもとからってわけじゃないよな?」


「ううん、違うよ」


 その質問に首を横に振ったルタは自分が経験した過去を話し始めた。


 ルタがレナを失って森へと逃げ込んだ間もない頃、彼は深く絶望していた。

 自分のせいで大切な人が次々と死んでいく。

 魔物に襲われれば皆と同じ苦しみを味わえる。味わえなくてはいけない。


 そう思っていたルタであったが、死を望む思考に反して体は自然と近くに見つけた廃屋へと向かっていた。


 楽になりたい気持ちと目の前で大切な人達の死にゆく姿を見て恐怖する気持ちとが混在していたためだ。


 腐って所々が軋む床、いたるところに張り巡らされた蜘蛛の巣、細かい色んな虫が徘徊するその廃屋の二階に上がると唯一日差しが当たってた場所に座り込んでここで静かに餓死することをルタは選んだ。


 しかし、たった一日で餓死するわけではない。

 そのことを知らない彼は鳴りやまない腹の音を聞きながらただ無限に続くような日々を過ごしていた。


 三日後、体がほとんど動かず空腹と水分不足で意識が朦朧として来た時にこの場所に向かってくる足音が聞こえた。


 軋んだ音を響かせる階段は確かに二階に上がってきていることを感じさせ、その音を魔物のものだと思ったルタはようやくこの苦しみから解放されると安堵した。


 だが、この部屋に現れた存在から聞こえたのは魔物のものではなかった。


「おや、上質な負の感情を感じると思ったらお前だったか」


 年齢感の感じる落ち着いた声でありながらどこか圧を感じる重たい声。

 朦朧としたルタが僅かな力で目線を合わせればぼやけた視界の中にオールバックをした白髪で黒いコートに身を包んだ老人が立っていた。


 その老人はルタに聞く―――こんな所で何をしている? と。

 その質問にルタはまるで神に罪を懺悔するように自分の行いを話し始めた。

 きっと正常のルタだったらしなかっただろう。

 ただ、罪の意識と彼の朦朧とした意識がそうさせたのだ。


 その話を静かに聞いていた老人は「そうか」と呟くと近くの壊れた窓に近づいてそこから森の景色を眺め始めた。


「人間とは哀れな存在だ。この世界は“天”のものであり、その存在に従属しながら生きている。

 そして、平穏という偽りの空気に飲まれて自らに植え付けられた本能を拒絶している」


 老人はルタへと視線を向けると「少し難しい話をしてしまったな」と言いながら彼の前へと戻ってきた。


「つまり人間はもっと傲慢で強欲なのだよ。それが今の人間にはない。だから、意識を変える必要がある。

 人はそれを“神”に牙をむく行為というだろう。だが、それが人間の本質であるならば、その禁忌すらも犯してしまうのが我々だ」


 老人は懐から注射器を取り出した。その中には赤黒い液体が入っている。


「これは祝福だ。人間が人間らしくなるためのな」


 老人はルタが無抵抗でしかいられないことを良い事にその注射器を無理やり肌にさして血管の中に赤黒い液体を入れていった。

 直後、ルタはドクンという内側からの大きな衝撃に襲われると胸を押さえて苦しみだした。


 そんなルタの姿を見て老人は言った。


「とはいえ、これは完成したものではない。実験サンプル―――データを取るためのものでしかない。

 すまないな、少年。言うのが遅れてしまった。しかし、どうせ天涯孤独の身なら少しは人の役に立てた方が心穏やかになれるだろう?」


 その言葉を最後にルタの意識は途切れた。


「―――で、目覚めた時にはこんな風に変化してた。食事も全く取ってないのに生きてる」


「最高にイカれてんな、その老人」


 ルタの身に起きた出来事にリヒトはギリッと歯を食いしばる。

 どうしてこの子ばかりがこんな不幸な目に遭うのか。

 それにこの禍々しい容姿にしたのはまさか他の施設の研究者か?


 リヒトは「十中八九そうだ」と思った。あいつらなら人体実験すらやりかねない。

 その時、アルナがくいっと裾を引いたのでそっちへ視線を動かすとまるで「笑顔で」と教えるように両手の人差し指で口角を上げていた。


 その仕草にリヒトはハッとしてルタを見ると不安そうな顔を浮かべている。

 今のルタにとって一番頼りになる存在は助けてくれたリヒトなのだ。

 だから、彼が暗い感情を見せれば当然暗く感じる。

 リヒトはルタの頭に手を置いていくと優しい声で言葉を伝えた。


「ルタ、大丈夫だ。必ずその体を治す方法を見つけてやる。だから、俺を信じて待っててくれ」


「わかった」


 リヒトの言葉にルタは一瞬不安な表情を浮かべながらもすぐに頭を振ってその感情を拭い、強い眼差しで彼に返答した。もうこれ以上弱気にならないとでも言うように。


 それから、リヒト達は村に戻らずこのままここで一晩過ごすことにした。

 時間にしてもうすっかり陽が傾いてしまったこともそうだが、このままルタとお別れというのも味気ない感じがしたのだ。


 即席で作った薪にリヒトがフゥーと息を吹いて口から出した炎で焚火を作っていく。

 そこに村の方から食材を取ってきたアルナ、メットル、ターリエの三人が戻ってきて、アルナとターリエが二人で食事の準備をし始めた。


 出来上がった夕食を全員で一緒に取っていく。

 そんな久々に温かな食事を取ったことにルタは思わず涙をこぼした。


 食事も済んだところで、リヒトはルタにお願いされて本来の複合生物型キメラの姿になるとあぐらをかいた彼の上にルタが乗ってきた。

 そして、その周りには三人の好奇心旺盛の男女が囲っている。


「リーちゃんの......久々のリーちゃんモフモフタイムだ~!」


「わぁ、下半身こっちは本当に鳥の毛って感じるのに、逆に上半身こっちは犬の毛だ!」


 リヒトに抱きつくアルナに下半身と上半身で違う毛質を手触りで確かめていくターリエ。

 そんな興奮気味の二人にメットルが近づいていく。


「なぁ、俺にも触らせて―――」


「「あっち行ってて!」」


「えぇ......」


 しかし、アルナとターリエが近づけさせてくれない。なので、仕方なくリヒトは彼を手招きすると手を差し出した。

 その優しさにメットルは思わず涙が出る。だけど、出来れば爬虫類の鱗じゃなく毛並みの方が良かった!


 そんなわちゃわちゃが多少あったところで、いつの間にかリヒトに寄りかかってアルナ、ターリエ、ルタの三人が眠ってしまっていた。

 今起きているのは向かい合うように座るメットルとリヒトの二人のみ。


 すぐ周りを真っ暗な闇が囲う中、パチパチと音を鳴らす明るい焚火を二人でぼんやりと見つめていると突然メットルが声をかけてきた。


「ありがとな、妹を助けてくれて」


 その言葉にリヒトが顔を上げてメットルを見れば彼も顔を上げてニコッと笑う。


「大したことじゃない。俺にとっては当たり前のことだ」


「当たり前、か。そいつはスゲーな。それが(天紋を)持つべきものの矜持ってやつか?」


「いや、これはただの俺の信条だ。俺は絵本の騎士に憧れた。人間の騎士にだ。

 そいつのようになりたくてそいつだったら取るような行動を真似ているだけさ」


「怪物が騎士になるか。スゲー夢だな。俺達の夢なんかよりも何倍もデカい」


 メットルのその言葉にリヒトは首を横に振っていく。


「夢に大きいも小さいもねぇよ。その夢の大きさは掲げた本人にしかわからねぇんだから。

 そんなことよりも、俺は笑わないでいてくれたことの方が嬉しかった」


 普通は怪物が人間の騎士になるなど笑い話も良いところだ。

 怪物は人間の敵であり、存在そのものが悪というものだ。

 それが人間側に立つなどありえない。

 それがこの世界での人間の常識。


 リヒトの夢はその考えと明らかに反している。

 つまりは今の状況だけで言えば人間の敵でも怪物の敵でもあるのだ。

 そんな彼の考えをすんなりと受け入れてくれる人は少ない......そう思っていた。


「別に笑いやしねぇよ。リヒトさんは俺達の夢を聞いても笑わなかった。

 普通なら俺達田舎者が随分と出しゃばったことを言ってるってのに」


 メットルはぼんやりと焚火を見ながら答える。燃えた灰が折れて崩れた。


「なら、お互い叶えられるように頑張ろうぜ」


「......そうだな」


 リヒトが手を伸ばすとメットルも手を伸ばした。

 リヒトの大きなトカゲの手が人間の手のように動き、メットルの小さな手と握手を交わしていく。


 互いに手を放していくとメットルはつかぬことを聞いた。


「そういえば、これからの旅はどうするんだ? 俺達は馬車を使ってこの村の先にある街へ向かうつもりだが」


「俺達はのんびり行くとするさ。色んなものを見ながらな」


「なら、ここでお別れってことになるのか。寂しくなるな」


 そして、メットルはこれで最後とわかるとリヒトと他愛のない会話を続けていった。

 夜はさらに更けていく。

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