第16話 少女の正体

 翌日、リヒトはカマタの家を訪ねていた。

 その目的はカマタの家にあるという数少ない本を読むためだ。

 それに気づいたのは子供が日陰で読んでいた姿を見つけたから。

 本の虫である彼からすればこれを逃す手はない。


「それにしてもびっくりした。いきなり『本を読ませてくれ!』なんて」


「悪いな、色々知識を深めたくてな。いろんな本を少しでも読みたいんだ」


 リヒトは笑って答えた。

 そんな彼を見てカマタは物好きがいるもんだと思って断る理由もないので家にある本を紹介していく。


 カマタが「大したものはないぞ」と言って紹介したのは主に農業や狩猟に関する本であった。

 どうやら村を発展させるために通りすがりの商人から買ったらしい。


 リヒトはその本をいくつか借りると早速軒下に設置されていた背もたれの無い木のベンチに座って読み始めた。


 彼の速読術は凄まじく、本当に読んでいるのか? と疑うぐらいには早く数秒でペラペラと捲っていく。

 当然、その内容は彼の頭の中にしっかりと記憶されていく。


 長年の習慣による影響か脳にある記憶の引き出しが自在になり、一度でも目を通せば大抵のことは忘れることはなくなった。

 それは例え長い説明文だったとしても。


「なーに読んでるんですか?」


 しばらくすると、ターリエがリヒトの横にちょこんと座り話しかけていく。

 大抵本を集中して呼んでる人に話しかけると不機嫌になる場合が多いが、リヒトに限っては話しをすることも立派な人間観察なので全く気にすることなく答えた。

 別に話しながらでも読めるし。


「今は農業に関する本だ。昔は雨が少ない土地に住んでたからな。

 その土地にあった本は水資源をどうにかって内容が多かったが、こっちでは天候の変わりが全く違うから内容も違って面白い」


「へぇ~、私そういうの見ても全然わからないです。

 ま、ハッキリ言えば音楽以外興味がないともいいますけど」


「ハハッ、確かにそいつはハッキリしてるな。

 だが、もしお前達が音楽を引退して田舎で暮らしたいという時は必要になる知識だぞ?」


「大丈夫です。私は死ぬまで音楽一筋なんで。あ、でも結婚はしたいかも。

 そして、子供を作ってその子供とまた一緒に本学をやって......ふふっ、これは夢が広がりますなぁ」


 グへへと一人で妄想して楽しそうなターリエを横目に見ながらリヒトは「子供か」と昨日の夜に会った赤いワンピースを着た緑髪の少女を思い出した。


 リヒトは今手に持っている農業の本を読み終えてパタンと閉じるとそれを端に置いて新たに狩猟に関する本を開き始めた。

 その時、目次に狩猟の際の危険な魔物の紹介のページがあり開いていく。


「そういえば、リヒトさんてアルナちゃんのことをずっと『お嬢』と呼んでるんですがどうしてなんですか?」


「そいつは俺が騎士であるからだ。ま、見習いどころか自称で目指してる最中だけどな。

 そして、俺が騎士の誓いとして立てた相手がお嬢だったからそう呼び始めただけだ。

 せめて形だけでも作りたかったんだ」


「へぇ、そうだったんですか。それじゃ、ついでに聞きますけどお二人は恋人同士なんですか?」


 ターリエは思い切って質問してみた。

 その言葉にリヒトはチラッと彼女を見ると答える。


「人間同士のつがいのことか? そういう意味ではそうじゃねぇな。

 どちらかというと兄妹に近い。実際俺の方が一歳上だしな」


 ターリエは「恋人じゃないんだぁ」と思いながらも、それはそれとして否定されたことになんとなく納得していない様子だった。

 なら、あの時の馬車でのイチャイチャした雰囲気はなんだったのか、と。


 しかし、思い出してみれば確かにベタベタしてたのはアルナだけであり、彼女の一方的な愛情表現ともいえるかもしれない。

 兄に構って欲しい妹と思えば納得できる。


 仮にリヒトがアルナに誓いを立てたために約束を守る影響で彼女への好意が鈍くなってるのであれば、これはもしかしたらワンチャンあるのでは?


 少なからず、魔物の窮地から救ってくれた恩人として、さらに音楽が出来る相手として結構なほど好感を持っているし。


「じゃあ―――」


 音楽について少し話しませんか? と声をかけようとしたところでにゅるっと嫉妬で般若の顔になったアルナが遮る。


「『じゃあ』何かな?」


「ひっ!」


 ターリエは突然背後から声をかけられてビクッと反応する。

 その場に固まった。怖くて後ろ向けない。というか、向いたら殺される!


「ねぇ、何を話してたの? 私にも教えてよ。私に言えない話なの?

 そういえば、さっきどうしてリーちゃんに私達が恋人同士かどうか聞いたの?

 その質問にどんな意味があるの? 教えてくれる?」


「た、ただ気になったから聞いただけです! 他意はありません! 私はここで失礼しますー!」


 ターリエは結局アルナに一度も顔を合わせることなく立ち上がるとスタコラサッサとその場を離れていってしまった。


 そんな後ろ姿を見ながらアルナは腕を組んで大きな声で「塩を撒け!」と叫ぶ。

 その声にリヒトは「撒かねぇよ」と返答した。

 依然読んだままの状態で。


 無事にリヒトの隣を奪還したアルナはターリエにいた場所に座ると遠慮なく彼の腕に抱きついていく。

 その際、彼の読んでいるページをなんとなく眺めた。


 そのページには森に住む危険な魔物という紹介で「レイス」という魔物が紹介されていて、チラッとリヒトの顔を見てみれば食い入るようにそのページの内容をしっかりと読み込んでいる。


 その真剣な目に思わずアルナはうっとり。

 こんな風に真剣な目で愛を語ってくれる日は一体いつになるのやら。


 アルナが一人でにゴロゴロと喉を鳴らすような甘える態勢に入っている一方で、リヒトは何かを理解したように「そういうことか」と呟いて本を閉じた。


「何かわかったの?」


 アルナがそう聞いてみればリヒトはじりじりと照らしている輝く外を眺めながら答えた。


「あぁ、昨日の夜に俺達が会った少女の正体がな。あの少女はやはり魔力思念体だったみたいだ」


 アルナはその聞き慣れない言葉に思わず首を傾げる。

 そんなアルナを横目に見てそっと丁度いい位置にあった頭に手を置いて撫でながら説明を始めた。


 魔力思念体とは人や動物が死後何らかの要因で現世に宿していた魔力が残った状態のことを指す。

 簡単に言えば幽霊だ。

 その要因は大抵本人の感情面に関すること、つまり未練だ。


 例えば、ある男が死ぬ前にやり残したことがありそれを悔いたとする。

 その悔いた想いが強いとその想いは魔力に宿り、その人が死んだ後も魔力のそれはやり残したことを果たそうと行動を始める。


 その魔力は後悔による思念を宿し、魔力で生前の肉体を作り、目的を果たすまで彷徨い続ける。

 故に、魔力思念体。


 その説明を聞いたアルナは昨晩の少女のことを想い出し、リヒトに尋ねていく。


「それじゃあ、あの女の子は何かしら果たしたい目的があるということ?」


「そういうことになるな。それが何かはわからないが」


 アルナは昨日のリヒトの様子がおかしかったのを思い出した。

 これがもし理由であるのなら納得である。

 とはいえ、それでもまた少し気になるところはある様子だ。


「リーちゃんはいつ気付いたの?」


「まず音やニオイに敏感な俺がお嬢より先に少女を見つけることが疑問に思った。

 最初は意識が外に向いてたからと思ったが、廃屋に入っても全く変わらなかったから人じゃない可能性が浮かんだ。極めつけは影だな」


「影?」


「あの子が俺達に遊びを提案してきた時、あの子は廃屋の外にいた。

 外には月明かりがあり、ドアの無い廃屋から光が差し込んでいたにも関わらず、その少女から伸びる影は何もなかった。

 だから、俺はその少女がこの世に存在していないのに存在してる何かと思ったんだ」


「それが魔力思念体......」


 アルナの気になる点の一つ目が解消された。

 次はその後の行動についてである。


「じゃあ、その時点で私に教えてくれても良かったんじゃない?」


「悪いな、その時には気になったことがあってあえてそういう対応をさせてもらった」


 魔力思念体には二つの存在がある。

 それは“人に害をなす存在”かそうでないかだ。

 それが出来るのは大抵負の感情が作用しているとされている。

 その感情は後悔や悲しみだけではないもっと強い悪意や殺意なんかも含まれる。


 時折、強い感情は魔力に作用するということがある。

 その強い想いは本人の願いによるものが多いが、もっとも一般的かつ早く強く作り出せる感情は人を憎む気持ちだ。


 悪意に染まった強い想いは魔力へと干渉し、本来魔力だけでは何もできないはずなのにその不可能を可能にしてしまう存在がいる―――レイスだ。


 レイスとは強い負の気持ちによって出来た魔力思念体であり、この世にいる生き物に対して攻撃が出来てしまう。

 通常の魔力思念体との決定的な差異はここにある。


 昨晩、リヒトは少女からその可能性を疑った。

 レイスの中では狡猾に人を騙す存在も目撃されているのだ。

 見た目が子供だからといって騙されてはいけない。


 故に、リヒトはこちらが勘ぐっていることを悟られないようにボロが出やすいアルナに伝えることはしなかったのだ。

 しかし、結果から言えばその疑いは杞憂であった。


「考えれば当たり前だった。

 確かにその魔力思念体にはその本人が宿した想いがある。

 だが、精神はないんだ。考える能力もない。

 ただ質問に対して与えられた返答を返してるだけだ」


 精神と肉体は直結している。

 どちらも無くてはこの世で生きることは出来ない。

 しかし、肉体がない魔力思念体には人間が様々な形で受け取る感情を精神によって作り出すことが無いのだ。


 故に、魔力思念体は初めから魔力思念体として、レイスはレイスとして生まれてくるはずだ。

 その魔力思念体が受け答えするのは予めプログラミングされた機械的な行動を取っているだけに過ぎない。


 相手の取った行動に対して一番適した言動をする。

 優秀なAIが搭載されてるようなものだ。

 精神が無い故の仕様とも言うべきか。

 加えて、その行動の先には魔力思念体が果たすべき目的がある。


 リヒトは先ほどの狩猟の本の魔物項目でレイスについて記載されている内容を見て改めて考え直しそういう結論に至った。

 同時に残酷な真実にも。


「俺はあの時あの子は遊び盛りの子供だから遊ぶことが目的だと思った。

 それが解消されれば問題は解決すると。

 しかし、あの子は消えることはなかった。

 つまり違ったんだ。あの子の目的は遊ぶことじゃない」


 リヒトは気づいた。

 子供が忙しなく走り回り、村の人達が往来する中で家と家の間に一人寂しそうに立っている赤い服の少女がいることを。


「俺達は解決してやらなければいけない。あの子がこの世界から解放されるための目的を」

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