第11話 怪物は怪物であり、怪物でない

 リヒトは一人部屋の中で頭の後ろに手を組みながら寝そべっていた。

 何かに耽るようにぼんやり天井を見つめるばかりでいつものように読書に没頭することもない。

 ただリヒトは考えていた―――グロウとのやり取りを。


 ガチャっとドアが開くと先ほどまで一階の食堂で店主のおばさんと会話してきたアルナが戻ってきた。

 アルナは今日の疲れを癒すかのように素早くリヒトに近づくと寝そべる彼の上にいそいそと乗っていく。


「リーちゃん、どうしたの? 何か考え事?」


「あぁ、ちょっとな」


 そう返答したリヒトはどこか上の空。

 しかし、アルナはそのことを追求することなく帰りの出来事について話し始めた。


「そういえば、ちゃんと無事に本返せてあげて良かったよね。あの子も凄く嬉しそうにしてたし」


「そうだな。やっぱり自分の大切なものは手元にないのは悲しいもんなんだよ。

 だから、無事に取り戻せたのは喜ばしいことだ」


「だよね~。ま、私はいなくならないから安心しなよ」


 自信満々に言ってのけるアルナ。

 そんな彼女にリヒトは「そうだな」と返していく。

 その時、リヒトはふとアルナがグロウの仲間達に捕らえられたことを思い出した。

 あの時は突然のことで焦ってしまったが今考えてみれば......。


「お嬢、あの時わざと捕まったろ?」


 そう聞いた瞬間、アルナの体がピクっと反応した。

 リヒトのジト目に対して目を逸らしている。

 アルナはゆっくりとリヒトの体から降りるとベッドに座った。


「どうしてそう思うの?」


「単純なことだ。お嬢があの連中らの行動に

 それに力だってそうだ。そう考えればわざと捕まったと思うのが自然だろ?」


 リヒトの言葉にアルナは一呼吸置くとゆっくり話し始めた。


「あのトカゲさんの態度を見て思ったの、昔のリーちゃんに似てるなって。

 もちろん、あそこまで過激じゃなかったけど、それでも人間を信じたくても中々信じていいのかわからないって感じが、ね。

 他の怪物ミセリアさん達の顔を見ても同じ感じだったから。

 人間である私は抵抗であっても攻撃したくないなって」


 リヒトは「そういうことか」と返答して一息吐いた。

 しかし、それでも心配した身にもなって欲しいとも感じた。


 その一方で、アルナは内心大きく安堵していた。

 なぜなら、アルナが捕まったのはそれが正式な理由ではなく、単純に一度怪物ミセリア達の一斉攻撃から守ってくれたリヒトに惚れ惚れしてる最中に捕まっただけである。

 つまりは“危機感の欠落”による結果なのであった。


 しかし、これを純粋に伝えるとリヒトにもの凄く怒られることをアルナは知っている。

 怒った時に彼は怖いのだ。

 お母さんのように細々と日頃の生活態度まで引き合いに出されることもザラにある。

 なので、彼女の脳裏がその記憶を思い出して咄嗟に嘘をついてしまったのだ。


 とはいえ、全部が全部嘘というわけではない。

 チラチラとアルナを見てくる怪物ミセリア達の態度を見て彼女も「人間じぶんが怖いのかな」と思ったのも事実。

 その確信はアルナを捕まえていた怪物ミセリア達の手の震えで得た。


「リーちゃん、たまにはマッサージしてあげるよ。うつ伏せになって」


 けれども、それはそれであり、これはこれである。

 アルナは大好きなリヒトに嘘をついたことに罪悪感を感じて謝罪の意を込めたご奉仕を勝手に始めた。


 それを知らないリヒトはアルナの行動を珍しく思いながらも深く考えることもせずうつ伏せになっていく。


 リヒトの体の向きが変わったことを確認するとアルナは靴を脱ぎ始め素足になって彼の背中に乗った。

 こうでもして体重をかけないとリヒトの体はほぐせない。意外とカッチカチなのだ。


 アルナはリヒトに「苦しくない?」と聞きながらかかとの部分で背中をグリグリ。

 リヒトはリラックスした様子で「大丈夫だ」と返していく。


 しばらく、アルナがリヒトの背中の上で自己満足謝罪マッサージをしていると突然リヒトが口を開き始めた。


「なぁ、俺って人間に対して嘘ついてんのかな?」


 その質問にアルナは当然ながら何のとこかわからず「どうしたの?」と返答していく。

 すると、リヒトはその質問に至った経緯を話し始めた。


「ほら、あの時グロウアイツが言ってただろ?『そもそもお前はその姿で人間社会に溶け込んでいるようだがその嘘をいつまで続けるつもりだ?』ってな。

 それを聞いた時、そうかもしれないって共感しちまったんだ」


 アルナは部屋に入ってきた時のリヒトが耽っていた理由が分かった。

 彼は普段気丈に振舞って誰に対しても人当たりの良いように笑顔でいることが多いが、あんな見た目でも繊細なのだ。

 もっともあの見た目にしたのは自分だけど。


「リーちゃんは、人間その姿でいることが人間に対して嘘をついてると思ってるの?」


「かもな。こうでもしないと人間の輪に入れそうにないからそうしているが、それが嘘をついてることになるってんならそうなのかもなって」


「まぁ、私のように特殊な人ばっかりじゃないしね~」


 アルナはしみじみと言った。

 過去の彼女は自分を助けてくれる人なら誰でも良かっただけだ。

 それがたまたま怪物ミセリアであっただけ。

 それだけの話。


 眼下に見えるリヒトの横顔に悲しみの色が広がってる気がする。

 なら、支え合うだけ。それが私達。


「別にいいんじゃない? 嘘ついたって」


 アルナはリヒトの背中から降りると床に座った。

 ベッドに体を預けるように寄りかかると正面の彼に微笑みかける。


「だってさ、人間同士だって嘘をつくんだよ?

 誰にも言えない嘘を抱えてる。怪物ミセリアだけはダメなんてことはない。

 リーちゃんは人間に対して誠実にありたいという姿勢はわかってるし応援したい。

 だけど、嘘を抱えてるだけでリーちゃんは怪物ミセリアなの?」


 アルナは「私はそんなことないって断言するよ」と自信満々に言ってのける。

 そんな彼女の明るい表情に、不遜な態度にリヒトは気持ちが軽くなるような気がして思わず笑えてきた。


「ハハハ、そうかもな。人間であるアルナが言うんだったらそうなのかもしれない」


「そうだろーそうだろー。ま、例え全世界の人がその言葉を否定しようとも私はリーちゃんの言葉を肯定するけどね」


 アルナは体を起こすとドヤァとした表情で言った。


「なんたって私はリーちゃん全肯定戦友兼恋人兼花嫁兼妻だからね!」


「はいはい」


「あー! 私の一世一代の言葉をサラッと流すなー!」


 リヒトの冷たい態度にアルナはぷんぷんになって頬を膨らませる。

 立ち上がって冷たい騎士に怒りの鉄槌を食らわす......かと思いきや、力任せに自分より大きいリヒトをひっくり返すとベッドメイキングするように彼の体の向きを整えて最後に片腕だけ横に伸ばせば完成。

 好きな人の腕枕!


 魔力式ランプを消せば部屋に差し込んでくるは月明かりのみ。

 そして、寝そべればミッションコンプリート。


「もうリーちゃんのおざなりな態度に怒ってるからね!」


「人の腕を枕にしてる奴が言うとこれほどまでに説得力無くなるのか。勉強になるぜ」


「また一つ賢くなったね!」


 今のは小馬鹿にしたんだが、と思ったリヒトであるが口に出すことは止めた。

 どうせ何言っても言い返す割にはこの体勢から絶対に動かないだろうから。

 少しすると怒るのに飽きたのかアルナが顔を横に向けてきた。

 リヒトとの顔の距離は十数センチほどしかない。

 しかし、彼が照れる様子は全くない。


 アルナはそれを不満に感じながらもいつもの事なので怒りすら感じない。

 なので、彼女は自分の欲を優先させていく。


「ねぇ、リーちゃん。たまには姿になってみない?」


「ダメだ。お嬢が離れなくなるから」


「モフりたい~」


「嫌だ」


 二度もハッキリと拒絶するリヒトにアルナは「ケチ」と言うが、彼の表情はどこ吹く風といった感じで変わらない。

 むしろ、腕枕で譲歩してやってるじゃねぇか、と言わんばかりのため息まで吐かれた。


 不満が溜まっていくアルナ。

 このまま欲求不満で爆発したらどう責任取るつもりだ。

 .......ふむ、それもありかもしれない。


「お嬢、変なこと考えてないよな?」


「な、無いよ! あるわけないじゃん!」


 アルナは若干声が上ずってしまった。妙に勘が鋭い。

 仕方なくその気持ちを心の奥にしまっておくとなんとなくグロウの最後の質問を思い出した。


 もう夜も深い。

 誰もが寝静まっているのか二人の会話が少しだけ響く。

 しかし、二人とも思ったより眠くなく冴えた目でぼーっと天井を眺めている。

 アルナがそっと口を開いた。


「リーちゃん、リーちゃんが背負う咎は私も背負うよ」


 リヒトが目を閉じながら答える。


「......それは頼もしいな」


 再びアルナが口を開いた。


「また今日この世界からね」


「......そうだな」


 だんだんと睡魔が襲ってきたのか瞼が重く感じてきた。

 しかしその時、パチッとリヒトの目が開く。


「あ、汗流してねぇ」


「明日の朝で良いじゃん」


「しゃねぇ、そうすっか」


 ******


 翌日、身支度を済ませた二人は最初に訪れた店「旅の出会い」に向かっていた。

 カランカランとドアベルに歓迎されながら自分が修理したドアを開くとそこにはいつものようにコップを磨いているマスターの姿があった。


 マスターは二人の荷物多さからすぐに状況を察していく。


「出るのか? この街を」


「あぁ、もともと長居するつもりは無かったからな。

 そんで世話になった人には一応挨拶をと思って」


「俺は何もしてねぇがな」


 リヒトは首を横に振る。


「いや、俺達に提供してくれた宿はあんたのおかげで安く済んだ。

 それに夜道に女性が襲われる事件があるって忠告もしてくれたしな」


「そうか。なら、その感謝は素直に受け取っておくことにするよ。

 それじゃ、お前達の旅に素敵な出会いがあることを願ってる」


「ハハ、良いこと言うな」


「それがうちだからな」


 リヒトは「世話になった」と言ってアルナと一緒に頭を下げていく。

 そんな二人をマスターは律儀な奴、と思った。


 二人は店を出るとベレット街の入ってきた方向とは反対側の門へと移動していく。

 門を出るとベレット街が小さくなっていった。

 リヒトは軽く振り返ってその街見ながらアルナに尋ねる。


「写真撮らなくていいのか?」


 アルナはそっと首を横に振った。


「今は写真よりも目に焼き付けておきたいかな」

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