第9話 被害者はどちらか

 リヒトの視界が開けていく。

 グロウの状態異常魔法である<盲目>の効果が切れたのだ。

 窓から陽が沈み始めて茜色の光がひび割れた窓から差し込んでくる。

 しばらく暗い状態になっていたせいか少し眩しい。


 リヒトの目の前には壁に叩きつけられてその場で座り込んでいるグロウの姿がある。

 グロウの勝率は極端に低くなった。

 魔力切れで相手の視界を奪うというアドバンテージを失ったからだ。


 もともと魔力総量の少ないグロウの戦闘は相手を不利な状況に落とし込んだ短期決戦。

 しかし、いくら殴ろうとも蹴ろうともリヒトの防御を崩すことは出来なかった。

 それどころか反撃さえも食らった。


 最後の飛び蹴りはグロウにとって一番速度のある攻撃であったためにそれを利用して壁に叩きつけられたダメージは結構大きい。

 少なからずすぐには立てないほどには。


 グロウは肺に衝撃を受けたせいで呼吸が苦しくなっている。

 しかし、そんな状態にもかかわらず口を動かして聞いたのは「なぜ自分の攻撃がわかったのか」であった。

 その質問にリヒトは快く答えていく。


「そうだな、言うなれば風を掴んだって感じだな」


グロウは無い眉をひそめるように動かした。


「......どういう意味だ?」


「あんたが動いた時、かならずそこには風が生まれる。

 あんたが風を置き去りにしようとも風はあんたを追ってその方向に動いていく。

 となれば、その風を読めば少なからず相手の動く方向を読めるってわけだ。

 情報があれば推測が立つ。推測が立てば対処が出来る。それが成功したってだけだ」


 リヒトは「だから、実は真上からの蹴りは危なかったんだぜ?」と軽い感じで言うが、その言葉にグロウは冷や汗を隠しきれなかった。


 グロウの気持ちを一言で言えば“恐ろし過ぎる”であった。

 グロウの戦闘スタイルはステゴロによる殴打。

 <盲目>の魔法はその点では実に理にかなった魔法であった。


 しかし、この魔法にも弱点がある。

 それはエリアが限定的であるということ。

 グロウの魔法は相手に<盲目>の状態異常を与える魔法だが敵が多いほど一人当たりの盲目に出来る時間は短い。


 加えて、盲目状態にせずとも暗い空間を作り出すにはある程度の囲まれた空間が必要なのだ。

 つまりは建物の中。

 今回はその二つの条件は満たされた状態。

 グロウは本来圧倒的有利に立っている―――はずだった。


 しかし、いざ結果を見てみればふざけたような理由でグロウの十八番ともいえる戦法は完膚なきまで潰された。

 それも一人相手なら自分の魔力の続く限り<盲目>状態に出来るという力を使って。


 とはいえ、それは仕方ないことであるとも言えた。

 グロウは未だリヒトの存在には気づいてないが、彼はグロウ同様複合生物キメラである。


 リヒトの体の一部であるスチールランスホークは鳥の魔物であり、空を支配権に置く彼らは風は味方であり、情報の塊でもある。


 その特性を持つリヒトのグロウの質問に対する答えはそれを説明したものであったが、当然事実を知らないグロウには伝わるわけもなし。


「ふざけるな......!」


 グロウはギリッと口を歪め、拳を強く握る。

 戦意はさっきの言葉で喪失した。

 もとより戦うにはもう余力もない。


 しかし、グロウは立ち上がる。

 “恐怖”という二文字の言葉を頭の中で理解しようとも、もうこれ以上仲間を失うわけにはいかないから。


 震える足をバシンと叩き、せめてもの意地でリヒトを睨みつける。

 そして、残りの力で殴りかかろうとした時、一人の男の声が響いた。


「もうヤメよウ、グロウ。オれ達の負ケだ」


 拙い言葉であったがその言葉はグロウを止めた。

 止めたのはアルナの片腕を抱えていた猿の顔をした怪物であった。

 今はもうアルナは解放されているようだ。


 その言葉にグロウは「なぜだ! なぜ止める!」と怒った様子であったが、猿の顔物は悲しそうな目をして顔を横に振った。


 猿の魔物は拙い言葉で伝えた。

 グロウがリヒトと戦っている最中、掴んでる手から人間に怯えてることがバレたことを。

 そして、人質であるアルナにもう怯えなくても暮らせる場所があると教えられたことを。


 当然ながら、グロウは「ふざけるな!」と言い返した。人間の言葉など信用できない、と。

 しかし、グロウ以外の怪物達はその希望に縋っているような目で彼を見ていく。

 そのことにグロウは思わず歯噛みした。


「お嬢の言葉は本当だぜ。なんたって俺達が昔暮らしてた場所だからな」


 グロウと彼以外の怪物達の間で対立構造が見え始めた所でリヒトが割って入った。

 リヒトがチラッとアルナの姿を見ると彼女はコクリと頷く。

 その目はリヒトに協力を仰いでるようであった。

 お嬢様のわがままを聞くのも騎士の仕事。

 リヒトはグロウに「見てろ」と言うと黒騎士姿を解いていく。


 リヒトの体は最初に黒騎士になった時を逆再生しているように鎧は人間の姿になり、黒色は肌色へと変化していく。


 この光景を見てグロウ達の誰もが理解した。

 この変化は魔法による効果だとすればあまりにも異質過ぎる変化であると。

 グロウは衝撃を隠せていない表情でリヒトに尋ねる。


「お前......怪物どうほうなのか?」


 リヒトは「あぁ」と短く答えた。

 驚きで固まっているグロウ達にリヒトは「もう少し証拠を見せようか?」と尋ねるが、彼は「もう十分だ」と答えて戦闘態勢を解除していく。


 だが、そうなると疑問が湧いてくる。なぜこの男はそんな人間の姿をしているのか、と。

 今の姿も何らかの生物の特性を利用した姿なのだろう、とそれくらいはグロウにも推測が出来る。

 しかし、それ以上のことがわからない。人間の姿になって何がしたいのか?


「お前達に何があったか聞いていいか?」


 リヒトが考え込んでいるグロウに怯えてる理由を尋ねた。

 グロウは思わずチラッとアルナの姿を見る。

 多少の嫌悪感を抱いているようだが、リヒトと一緒にいるということで敵意はなくなった目であった。


「わかった。俺達にとっては思い出したくもない胸糞悪い話だが、戦いに負けたからには答えてやろう」


 そして、グロウは語り始めた。


 グロウ達は今でこそ数えられるほどの数だが、ここに来るまでは十人ちょっとの人数で行動していた。

 グロウ達の行動理由は一つ。生きること。


 とある研究所から人間を殺すために解き放たれた彼らであったが、逆に殺される結果になってしまった。


 それどころかグロウ達はもともと人間を殺す意志はなかった。

 なので、ほとんどが無抵抗で人間達に“怪物”という理由だけで殺されていく。

 戦った人間が特別強い相手であったのも相まって。


 グロウ達は知っていた。

 研究所から解き放たれたのは人間達を殺すためという大義名分にかこつけたただの粗悪品の処理であるということを。

 ひ弱な研究所職員には殺せないからプロにお願いしようと。


 グロウ達は少しずつ人数を減らしながらも生き続けた。

 バラバラにした死体を繋いだだけでどうして生きているかもわからないが、それでも生きているからには生き続けたかった。


 それでも限界がある。

 生き続けるには人間から逃げる回るだけでは足りない。食料も必要だ。

 しかし、本来怪物である彼らが食料に困ることはない。人間が食料だからだ。


 自分達より弱い人間がひしめき合ってる世界は彼らにとって羊の檻に入れられた狼のような気分にさせるはずなのだ。


 だが、それは人間を殺せる怪物だけだ。

 グロウ達にはそれが不可能であった。

 故に、グロウ達は研究所から食料も無しに解き放たれて人間達に命の危険を脅かされながら必死に移動し続けた。


 全く地理の無い彼らにとっては今どこにいるかもどこに向かっているかも何があるのかも全くわからない。


 そんな中、ただお腹が減る。減っても食べ物がない。

 本当に飢えた時は殺された仲間の死体を食べることもあった。

 それは彼らにとてつもない忌避感を感じさせた。

 本来怪物である彼らには正しい姿のはずなのに。


 お腹が減っていく。飢えが続く。

 しかし、人間は強い。怖い。

 何もしてなくても攻撃してくる。


 少しずつ仲間の数を減らしながらやっとたどり着いたのがこの街ベレットであった。

 もちろん、人間のひしめき合う街に行くのは彼らにとっては自殺願望にも等しい。

 それでもその街へ潜入することを決めたのがグロウであった。


 グロウは彼らの中でも特別頭が回る方だった。

 それは研究員の話し声だけで流暢に言葉を真似ることが出来るほどには。


 結果、グロウをリーダーとして彼らは人が少ないこの場所を拠点に決めて生活を始めた。

 最初は道端に落ちた踏みつけられたような食べ物であったが、それでも彼らにとってはごちそうであった。


 数週間が経過し、人の目さえ気をつければ襲われることのないこの場は彼らの楽園となった。

 そんなある時、一人の怪物が見たことない食べ物を持ってきた。ただの汚れてない果物だ。

 彼はそれを食べた時にこれまでにない多好感に包まれた。

 そして、その多好感は欲を生み、その食べ物をもっと欲させる。


 しかし、それは大抵人間が持っている。

 心の奥底までに刻まれた人間への恐怖は消えない。

 故に、盗むことにしたのだ。

 出来るだけ人目を忍んで出来るだけ戦闘力の低い女性に絞って。


「これが俺達の今までだ」


 グロウが語ったのは窃盗事件の真実であると同時に人間に抱く強い怒りと恐怖であった。

 生きるために躊躇してられなかった彼らの言葉はリヒトに痛いほど刺さっていく。

 人間でアルナも同情の目をグロウに向けた。

 その目に気付いたグロウは気まずそうに目を逸らしたが。


 その時、グロウは自分が語った話で何かに気付く。

 そして、リヒトの姿を今一度確認した。

 リヒトの今の姿は目つきの鋭い十六歳ほどの青年の姿をしている。

 その年齢の割には身長は百八十センチと高いが問題はそこではない。


 なぜ人間の姿をしているのか?


 グロウは今いる怪物達の中ではリヒトの次に頭の回る方だ。

 故に、その理由の答えに辿り着く。


「なぁ、もしかしてお前は人間になりたいのか?」

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