第6話 黒騎士

 黒騎士の姿はリヒト本来の姿ではないが、彼のもう一つの姿とも言える。

 それにはリヒトの肉体に宿る二体の魔物の存在による影響が大きい。


 まず一体目はスチールランスホークだ。

 魔物が使える魔法とも言うべき特性によってその魔物は自身の肉体を“鋼化”することができる。


 その特性によって、リヒトの皮膚は黒く染まり鋼のように固くすることが可能だ。

 加えて、それはただ硬度を上げるだけではなく、それを維持したまま動けるというのもまた大きな特徴の一つである。


 つまり銅像が人間のように動き回って攻撃してくるということだ。

 これだけで人間にとっては十分な脅威と言えよう。

 しかし、それでリヒトの全身が鎧に覆われることは決してない。

 その全身の異様な変形を生み出したのがもう一体の魔物の存在だ。


 人間からは「伸縮するトカゲ」という意味を与えられたストレッチオオトカゲという魔物である。

 ストレッチオオトカゲの最大の特性は全身が伸びたり縮んだりすること。

 伸縮の幅は全長の三倍とも言われている。


 それを可能にしているのがその魔物が持つ柔軟な皮膚によるものだ。

 それは固い鱗で覆われながらゴムのような性質を持ち、それによってリヒトは全身を鎧に変形させている。


 ただし、その魔物が持つ特性はあくまで伸び縮みするということだけで、鎧のようにして維持する特性は持ち合わせていない。


 故に、その姿はリヒトの憧れと努力による賜物である。盾と剣も同様だ。

 ちなみに、リヒトの“人間及び外套以外の服”もとても似せただけで同様なものによる変化である。


 明らかに重そうなその鎧は少し踏み出しただけで床に凹みを入れていく。

 その明らかにをした姿に面食らったガルバンだったが、すぐに気を取り直すようにファイティングポーズをした。


 盾と剣に対して相手が無手。

 それがどこかフェアに感じなかったリヒトはガルバンに尋ねた。


「手に防具をつけなくていいのか?」


 ガルバンは軽くステップを踏み始めて答える。


「いらねぇさ。どうせ壊れちまうからな」


 相手がそれで戦いを続行したのならそれは互いに合意を得たも同じ。

 フェアな条件の勝負となる。


「お前の魔法がどんなんか知らんが俺の神代魔法たる所以を見せてやるよ!」


 ガルバンは素早く地面を蹴った。

 一気にリヒトまでの間合いをつけると大きく右手を振りかぶっていく。


 空間を照らす光がガルバンの影を大きくしていく。

 否、ガルバン自身がその影を大きく作り出しているのだ。

 ガルバンが振りかぶった右腕がどんどん大きくなっていく。

 それこそ大砲のような大きさまで膨れ上がった。

 これはガルバンの現象魔法「膨張」による効果だ。

 その魔法の効果は体の一部を魔力で巨大化させること。


 ガルバンのその大きくなった腕により負荷がかかっているであろう右肩にはいくつもの血管が浮き出るほどには力が集中しているようだ。


「これに俺の膂力が加われば正に敵う者無し!」


 ガルバンは思いっきり拳を振るっていく。

 リヒトの眼前にそれこそ彼の上半身ほどの大きさの拳が飛んでくる。

 その光景を見て「そうか」とリヒトは答えた。

 その声は何か答えに辿り着いてしまったようで寂しそうな声色だ。


 リヒトはそっと左手の盾を構える。

 直後、ガルバンの拳が盾に直撃して鋼化で重たくなったリヒトを軽々と吹き飛ばしていく。

 その拳はリヒトごと壁に叩きつけ、そのまま貫通した。

 ドゴンと壁を破壊する音ともに砂埃が舞っていく。


 貫通した穴から腕を引き戻したガルバンは拳から確かな感触を得ていることにほくそ笑む。

 殴った拳はめちゃくちゃ痛かったが。


「どうだ? これが俺の力で―――」


 ガシャンと音がした。

 その音にガルバンは驚き冷や汗をかき始め、どこかガルバンの勝利ムードであった空間を一気に冷めたものに変えていく。

 同時にアルナだけ異様に温度を上げていった。


 重たい鎧がガシャン、ガシャンと音を立てて近づいて来る。

 瞬間、突風が吹いた。

 穴が開いた壁から勢いよく何かが吹き出してきたように砂埃が再び舞っていく。


 その風に一瞬目を瞑った傍観している荒くれ者達は目を開けた時に勝負が終わっていたことを知った。


 黒い騎士が剣に変えた右腕をガルバンの首筋で寸止めしているのだ。

 その鎧には一切の傷がない。

 つまりガルバンの攻撃はリヒトを吹き飛ばしただけであったということだ。


 いや、この言葉も正確ではないだろう。

 なぜならリヒトが立っていた位置から穴が開いた壁に向けて二本の抉れた跡が残っているからだ。


 大きさ的には丁度リヒトの足幅と同じ。

 これが意味するのはリヒトはガルバンの攻撃を正面から受けて勢いに押されただけということだ。


 相手の攻撃を正面から受け止められその上で首筋に剣を当てられる。

 もはやこれ以上言い逃れようのない敗北はないだろう。


 リヒトは鎧を解いた。

 鎧は一気に収縮し人間モードのリヒトの姿へ早戻り、どこか悲しい顔をした彼はそっとガルバンの肩に手を置いた。


「あんたのそれは......神代魔法じゃねぇ。現象魔法、ありふれた魔法の一つだ」


 リヒトは心のどこかではわかっていた。

 神代魔法の情報がこんな荒野の荒くれ者達に転がってるはずがない、と。


 “神代魔法”とは文字通り神の如き力が使える魔法だ。

 その魔法を使う者はその力で巨万の富を得る王にもなれ、万夫不当の英雄になれるともされている。


 この世界で現存する魔法カテゴリーでその類は正しく伝説レジェンドであり、夢物語ともされている。


 それはそれだけ情報が少ないことを意味している。

 この世界において神代魔法の有無は本によってさまざまだ。

 だが、有るとされている本に載っている魔法陣は大抵パチモンである。

 根拠はすでに知っている。全てをリヒトが試したから。

 そんなあるかどうかも分からない魔法をリヒトは探している。 


 リヒトはガルバンは無知なる人間だと確信した。

 根拠は戦い開始時のガルバンの言葉だ。

 魔法はまずそれ自体がこの世界から大きく逸脱したもの。

 その現象の解明を科学的に証明できた者は誰一人としていない。


 知らないのは仕方ないのかもしれない。

 人間でも全てを知ってるわけではないのだから。

 ましてや荒野にあるこの街ではそういった知識の泉に触れる機会すらないだろうから。


 よって、ガルトバは無知故に肉体の一部の大きさが変化するという通常魔法のカテゴリーである現象魔法を神代魔法と勘違いしたのだろう。


 リヒトのどこか悲しそうな目にガルバンは自分の手を見て「そうか」と返していく。

 彼は肩から手を離すとアルナの近くによって外套を回収した。


「悪りぃな、部屋を荒らして」


「気にすんな。勝負に多少の破損はつきものだ。それより......悪かったな。せっかく勝ったてのに何も払えるものがなくて」


 ガルバンは勝負としてなんとも味気ない幕引きに上手く言葉を紡ぎだせない。

 しかし、その気持ちはリヒトに伝わったのか笑顔で答えた。


「それこそ気にすんな。いつものことだ。後、余計なことだが本気で女にモテたいならもう少し全うな生き方をすることだな。

 イマドキ決闘でやり取りするってのも流行んねぇよ」


 その言葉にガルバンは思わずギョッとする。

 そんな彼にリヒトは「ついでに言えば」と言葉を続けた。


「女は物じゃねぇ。賭けの対象にすんな。弱く見えるぜ」


 アルナはときめいた。

 いつもカッコいいリヒトが眩し過ぎて姿すら見えないほどに。

 思わず彼女は「私は物扱いでも大丈夫!」と抱きつく。


 それに対し、リヒトはため息を吐き「お嬢は特殊だから。大抵はそんなもんだ」とガルバンには忠告しておいた。


 聞きたい情報を聞いたと帰ろうとするリヒトであったが、壊れた壁の目の前で止まると「あ、そういえば」とガルバンに最後に聞く。


「なぁ、あんたらって女性を狙った窃盗事件とかやってねぇだろうな?」


「いっとき噂になってたやつのことか? だったら、俺達の仕業じゃねぇな。

 確かに俺達は女に飢えてることは否定しねぇが、食い物や金目の物には別に飢えてねぇしな」


「だよな。童貞のままだもんな」


「ど、童貞ちゃうわ!」


 ガルバンの抗議も虚しく「はいはい」と一蹴されて、リヒト達は壊れた壁から帰っていく。


 思わぬ道草を食ったがこれでリヒトが懸念していた窃盗事件が荒くれ者達によるという線は消えた。

 もし本当なら騎士として粛清していただろう。


 しかし、容疑が晴れたということは容疑者がいなくなったということだ。

 当然、ガルバンが管理しきれていない部下による仕業という線が無くなったわけではないが、ガルバン以外に天紋を持つ特有の人間の魔力を感じなかったので確率は低いだろう。


 窃盗事件の特徴としては女性であることと襲われた被害者の誰もが犯人の特徴が一致しないということにある。


 これで先ほど出した結論は三つ。

 一つは変装した複数の人間による犯行。

 二つは同じ変装であっても魔法で変身した人間による行動。

 三つめは使役した魔物による犯行。


 そのうち二つ目と三つ目は魔法による犯行であるからだ。

 可能性として残るのは一つ目であるが、これにおいては疑問が残る。

 それはなぜわざわざ変装する必要があったのかということだ。


 事件においての被害者の犯人像はけもくじゃらであったり、二メートルもの巨漢であったり、にょろにょろであったりとで、変装であっても顔バレさえ防げればこのような変装をする理由が出てこない。

 二メートルもの巨漢も荒くれ者達の中ではガルバン一人であった。


「残すはまだ俺達の知らない魔法が使える人物か、もしくは―――」


 決して大きい期待ではないが無視できない存在はいる。

 それをリヒトは良く知っている。むしろ、専門家とも言ってもいい。

 しかしながら、もし“それ”であるならば、この行動において大きな認識違いをしていることになる。


 リヒトは悩むように顎に手を触れながら考える。

 そんな彼の姿をアルナは心配しながらも同時にカッコいいと思いながら見ていた。


 ―――きゃあああ!


「「!?」」


 その時、すぐ近くから聞こえてきた叫び声。

 この声は子供によるものみたいだ。

 リヒトは「こっちだ」とアルナを連れて現場へ急行した。


 路地裏に入ると尻もちをついた子供がいて、遠くでは外套を纏った何者かが壁を巧みに蹴りながら障害物を避けて逃げ去っていく姿がある。


 リヒトはすぐに追いかけたい衝動に駆られたが一先ず子供の安全を優先することにした。

 駆け寄ると少女の目線に合わせるようにしゃがみ込み「大丈夫か?」と尋ねていく。

 その少女は泣きじゃくった様子でリヒトに抱きつくと盗まれた物を伝えた。


「本が......本が盗まれちゃった!」


 その言葉にリヒトとアルナは思わず目を合わせ思わず聞き返した。


「「本?」」

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