第10話 死体

「っ、ハンさん!!」


 横から吹き抜けた風は、ハンさんが走り出した時の風だったみたい。目の前で地面に座り、ガタガタと体を震わせている人と、前には光のつるぎを煙管で受け止めているハンさんの姿。


 一瞬すぎて、何が起きたのかわからない。なんだ、何が……。


『何の真似だ』

「少しばかり待ってほしくてのぉ。この男にはまだ死んでもらってはいけん。童が責任をもってこの男に罰を下さそう。じゃから、こんな怖いもんは直ぐに戻してもらっても良いかのぉ」


 上から振り下ろされる、ハンさんの身体より大きい光の剣。それを簡単に煙管で受け止めているハンさん。自分より大きいのに、余裕で受け止めている。


 ハンさん、本当に何者なんだ。ただの鬼ではないことは確かだ。


『そなたの言葉は信じられぬ』

「酷いのぉ。童は真実しか口にしておらんのに。嘘などついてはおらんし、信じられぬ要素など存在しないんじゃがのぉ」


 その言葉こそ嘘八百じゃねぇか、信じられないのは俺も同意だ。

 って、同意している場合ではない。なんか、二人知り合いのような距離感な気がするんだけど。


 アース様が何故か口元を歪ませ、剣を受け止めているハンさんを睨みつけている。もしかして、現状余裕ないのってハンさんじゃなくてアース様なのでは? 

 ハンさんを憎んでいるような瞳だし、因縁の仲的な…………?


「まぁ待て、もう少しだけ、本当に。後もう少しで、の神が揃う。その時を楽しみに待っていようではないか」

『なんだと?』


 含みのある笑みを浮かべるハンさんは、煙管で剣を押し返す。空中に投げ出された剣は、一回転してアース様の横に止まった。

 苦虫を潰したような顔を浮かべ、アース様は両手の拳を強く握り、楽し気に笑いながら煙管を吹かしているハンさんを睨みつける。


 神を怒らせるなんて、何を考えているんだ。


「ひ、ひぃぃぃぃいいいいいい!!!」

「あ、待て!!!」


 地面に座って震えていた人が、奇声と共に立ち上がり、ふらつく足取りで走り出した。俺の隣を通り抜け、森から脱出を試みようとしているみたい。

 そんなことさせる訳には――別に逃がしてもいいのか。あの人は特に深追いする必要はない。


「何を逃がしておるんじゃ阿保」

「え」



 ―――――ギャァァァァァァァァアアアア



 森の中から男性の悲鳴?! 


「断末魔……、何かしたの? ハンさん…………」

「捧げ物をどこでどうやって手に入れたんか。なぜ、この世界を征服しようとしたのか、どうやって神と干渉する事が出来るという情報を手に入れたのか。聞きたい事が盛りだくさんなんじゃよ。ここで逃がしてなるものか。少々罠を張らせてもらった。それに引っかかったのじゃろう」

「何をしたんですか…………」

「気にすることはない。上手く避ける事が出来れば擦り傷程度で済む可愛い罠じゃよ」

「うまくいかなければ?」

「腕の一本や二本は無くなるんじゃないかのぉ」

「やばいでしょう!?」


 なに平然と言い放っているんだよ、ふざけるな。さすがにそれは危ないだろ、死んでしまうかもしれないじゃないか。


 そういえば、捧げ物。一体何を捧げようとしていたのか。アース様はなぜか最初から怒っていたし。

 何か、捧げ物で気分を害してしまったのではないか?


 祭壇に向かい、置かれている箱に手を伸ばす。蓋を簡単に開ける事が出来た。さて、中に入っている物は一体なんだ――……


「―――――うっ」


 な、酷い匂い。なんだこれ、腐敗臭?? 気持ち悪い、吐き気が込み上げてくる。苦い味が口の中に広がり、今すぐにでも吐き出したい衝動に駆られた。


「見てしまったか…………」

「あの、ハンさん。これって…………」


 中を覗き見ると、赤い液体の中に浮かぶ人の指のような物や目玉。まだ形が残っている手や耳までもある。どれも人の物。


 この赤い液体は、確実に人の血。


 これは、人の死体が詰め込まれた箱。体全部を入れたわけではないみたいだけれど……。

 何人かの体の一部をこんな赤い液体にいれ、保管していたのか。


 ここに集められている人達が殺してこの箱に入れたのか? 何人の魂がこの中に入っているんだ。


 ……あ、町で出会ったあの武士。あの二人がこの捧げ物を捕まえる担当だったのではないか? 


 俺がすれ違った際に懐へと隠していたのは、人の一部か殺した道具。それだと、色々辻褄が合う。掲示板の件も、体の一部が欠損と書かれていた。つまり、捧げ物のために切り取り、あの武士二人が持ち帰っていた。


「それが、神様への捧げ物らしいぞ。こんなもん、もらってどうしろというのかわからぬがな」


 俺の隣に膝を付き、箱の中を覗き込むハンさん。先ほどまで笑っていた口元は歪み、手に持っている煙管を弄ぶ。


 これを知っていたのか? それで、俺がこの箱を取る際にこの中身が見えてしまう可能性も配慮し、失敗してもいいと言ったのだろうか。


「仕方がない、こればかりは童も知らん。今の童では手を届かせることが出来んかったんじゃ」


 哀し気な言葉を零し、ゆっくりと立ち上がる。


「ここにはもう人はいないようじゃのぉ。これで、ゆっくりと話す事が出来る。さぁ、童の力を返してもらうぞ、世界の神よ」

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