第63話 事情

「こんばんは」


 インターホンを押して、しばらくすると一人の女の子がドアを開けた。

 それに対して、真白は穏やかな笑顔を浮かべて挨拶をした。


「栗花落さん?」


 水無瀬は電話で俺らも来ることを話していなかったのか、目の前の女の子は少し驚いた反応をした。

 ただ、さすがは真白というべきか、初対面の相手にもその名前は知られていた。

 

「急に押しかけてごめんなさいね」


 深く頭を下げて真白は言う。

 それに釣られて相手の女の子も頭を下げた。


葉月はづきちゃん、紹介するね! こちらは先輩と栗花落先輩だよ!」

「水無瀬、それは紹介とは言えないよ」

「あっ、先輩と栗花落さんのことは知ってます……」


 目の前の大人しそうな女の子は俺にもゆっくりと一礼する。

 どうやら、有名人である真白だけでなく俺のことも知られているらしい。


 『ベーカー』の時もそうだが、生徒会長選挙の時はかなり目立っていた。

 それで俺のことを知っていてもおかしくはないか。


「こっちは乙羽おとわ葉月はづきちゃんだよ!」

「こんばんは」


 水無瀬が紹介すると、俺も頭を下げて挨拶をした。




 乙羽の家のリビングで、四人が机を囲んで座布団に座っていた。

 出されたお茶を遠慮がちに飲むと、乙羽はホッとしたように胸を撫で下ろした。


「それで、生徒会への要望について……」


 それから、俺は本題を切り出した。


 生徒会への要望は、一言で言えば奨学金を設けてほしいというものだった。


 乙羽の話によると、彼女の両親は離婚しており、今はお母さんに引き取られている。

 そのため、お父さんから養育費が振り込まれているとはいえ、家計はとてもよろしいものではなかった。


 お母さんが学費のために夜遅くまで働いているのを見て、乙羽はすごく心配していた。

 せめて、自分は勉学に励もうと、部活に参加せずこうして放課後はいつもまっすぐ家に帰って勉強していた。


 古坂高校の運営は生徒会に一任されているから、もし生徒会長になれば、友達の苦しい状況を変えられるのではないかと、水無瀬が選挙に立候補した。

 彼女なりに、乙羽のことを心配していたのだろう。


 水無瀬の演説は素晴らしいものだった。

 苦しい中で足掻いてるものは報われてもいいと、彼女はそう訴えていた。


 まだこの学校に入って二ヶ月しか経っていないから、当然支持されることはない。

 水無瀬はそれを知っていてもなお、友達のために立ち上がって、その姿はまるで……。


「奨学金を設けるには、各部の部費を減らす必要があるからな」

「やはり難しいですよね……」

 

 つい溢れてしまった独り言を聞いて乙羽は不安そうにしている。


「大丈夫ですよ、乙羽さん、凪くんは絶対なんとかしてくれます」


 そんな乙羽の不安を察するように、真白はゆっくり乙羽の手を取った。

 みるみる乙羽の目から不安の色が消え去る。


 ほんと、俺はいつも真白に助けられている。

 あれだけ不安にさせないようにと思っていたのに、目の前の一年生の女の子を心配させてしまった。

 

 もちろん、不安な気持ちが消えたのは乙羽だけではない。

 真白から寄せられている信頼は彼女の言葉から自然と読み取れた。


 それはプレッシャーでもあるのだが、なにより嬉しかったのだ。

 恋人は『好き』という気持ちで結ばれるが、そこに常に『信頼』があるとは限らない。


 そういう意味では、俺は幸運だった。

 愛する彼女に絶対的な信頼を寄せられているのはありがたく、幸せなことだ。


 それだけで胸は熱くなる。

 暖かくなる……。


「まずは部長たちを納得させる必要があるんだね」


 事情も聞いたし、ここからは作戦を考えるだけだ。


「ありがとうございます……」


 気づいたら乙羽の目が潤んでいた。


「凪くんはほんとに照れ屋さんだね」


 さすがに頭に手を置いて慰められる関係じゃないから、俺は乙羽から視線を外して気づいていないフリをする。

 ただ、真白は許してくれない。


「ありがとうございます」


 乙羽の口から同じ言葉が出てきたが、今回は笑顔で元気な感じで言ってきたのだ。


「先輩、ありがとうね?」

「お前までしおらしくなられたら調子狂うよ」

「わたしはいつでも淑女だよぉ!」


 水無瀬のボケにみんなは笑顔になっていく。


「それで部長たちを納得させるだけの材料が必要ということですね」


 間を置いて、真白は話を戻した。

 しかも、的確の分析を加えて。


「うちの高校って期末テストの順位を貼り出されるから、そこでだ。乙羽に上位に入ってもらって、それを材料にする」

「葉月ちゃんは中間13位だったよ!」

「お前がドヤるな!」

「てへっ!」


 水無瀬が自慢するように乙羽の中間テストの順位を伝えてきたから、ツッコミを入れたのだが、彼女はまたマリーゴールドのような笑顔を浮かべた。


 13位か。

 決して悪くない順位だが、よくもない。


 それでみんなは納得しない。

 奨学金制度は決して乙羽一人のためのものではない。


 これからも古坂高校の生徒になる人々にとって、きっと有益なものになる。

 だから通す必要はある。


 青春を謳歌するべき高校で何かの理由で笑えない人達がいるのは俺はよく知っている。

 俺自身もその一人だった。


 でも、真白がいた。

 楽々浦やかけるくんたちがいた。


 人に助けられて俺は人間らしさを少しづつ取り戻し青春ともいえる日常を送れるようになった。

 今度は俺の番だ。


「俺達が乙羽の家庭教師をやってもいい?」


 だから、そう提案したのだ。

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