第64話 家庭教師

「ほら、ここに『つまり』があるだろう。それは言い換えと言って、前の文と後ろの文の意味が同じということだ」

「なるほど、つまり凪くんは若い女の子が好きということですね」

「なんで生徒でもない真白が答えてるんだよ!!」

「知りません」


 俺の提案は乙羽に受け入れられた。


 早速だが、翌日からこうやって真白と乙羽の家にお邪魔して勉強を教えている。

 渚紗が亡くなってから、俺は世界をより言葉で捉えるようになっていた。


 色んな感情を経験して、自分の思考を客観視できるようになったのかもしれない。

 それは自分の感情や周りの世界を言語化していく。


 深く考える時が増えて、自分の感情の正体を突き止めようと足掻いた結果なのだろう。

 言語に敏感になり、言葉をより知覚するようになった。


 そのためか、俺は文章を理解するのがわりと得意になった。

 そういうわけで、俺は乙羽に国語を教えている。


 それ以外の科目は真白の担当だ。

 今更だが、真白は成績がかなりいい。


 俺との会話でも分かるように真白は頭の回転が早い。

 ただ、あまりにも回転が早すぎるから、こうやって授業中に不意に真白から流れ弾を喰らってしまうこともある。


「そういえば、水無瀬はなんで来たの?」

「酷くない!? 今の酷くない、先輩!? わたしだって役に立ってますよ!」

「たとえば?」

「ほら、わたしは葉月ちゃんと先輩たちの応援をしてるよぉ!」


 なるほど、水無瀬も付いてきてるから、彼女も何かを教えられるのかと思ったら、どうやらただの応援団らしい。

 丸い机を四人で囲んで、会話混じりに授業が進んでいく。


「先輩教えるのすごく上手いです。文章の意味がだいぶ分かってきました」

「それはどうも」

「凪くんはやはり若い女の子が好きなのですね!」

「真白と乙羽は一個しか変わらないだろう!!」

「でも、私よりは若い、違いますか?」


 なんだろう。

 真白はまた悪魔のようなにんまりとした笑顔を浮かべた。


 しかも机の下で足を俺の足にくっつけてくる。

 そのおかげで、心も体もくすぐったい。


「俺は……」

「俺は?」

「真白が好きだよ……」

「よく言えました♡」


 よくよく考えたら、告白の時以外、俺は真白に好きと伝えたことがない。

 彼女の行動はひとえに俺の『好き』が聞きたいからだとすれば、こんなにも可愛らしいことはない。


「先輩と栗花落さんが来てから勉強するのが楽しくなりました。いつもは一人で黙々してたので、正直辛かったです」

「葉月ちゃん! わたしはぁ!?」

「雪葉ちゃんも来てくれてありがとうね」

「えっへん!」


 俺は勉強する時は適度な会話を挟んだ方がいいと思っている。

 人間って集中力に限界があるし、まして一人でずっと勉強していたら退屈してしまう。


 受験生でもない乙羽が毎日部活で青春を謳歌することなく、ずっとお母さんを安心させるためにひたすら勉強してきたのはきっと耐え難いことだと思う。

 なぜかは分からないけど、真白がそれを理解しているように思えた。


 だから、いつも真面目な真白はこまめに会話を挟んでいる。

 それは真白の優しさだと気づいて誇りに思った。


 真白の全てが愛しい。


 付き合ってから、電車を降りて家に着くまでの間に俺に差し出した手も、それを握りしめたら彼女から溢れた天使のような笑顔も全部愛しい。

 彼女への気持ちを認められなかった時に避けていた言葉が、今は思うだけで心が温かくなっていく。


「あっ、もうこんな時間。先輩と栗花落さんは食べていきますか? 私ご飯作ります」


 春の終わりとはいえ、六時にもなると黒の帳が降りてくる。

 それを見て乙羽は提案してきた。


「乙羽さん、もしよかったら私が作りましょうか?」

「え、そんなの申し訳ないです。せっかく先輩と栗花落さんに勉強を教えて貰ってるのに、ご飯まで作ってもらうのは……」

「大丈夫ですよ、乙羽さんは勉強凄い頑張ったから、ここはキッチンを借りてもいいなら私が料理を振る舞いますね」


 そこで、真白はゆっくり立ち上がって乙羽に微笑みかける。

 それが乙羽の心を開かせたのか、「それなら、お願いします」と言って頭を下げた。


「俺たちも休憩するか」

「分かりました」

「やったー!」

「お前はなにもやってないだろう」

「先輩さっきから酷いですぅ!」


 俺も立ち上がって、真白のいるキッチンの方に向かう。


「凪くんは待っててもいいのに」

「真白と一緒に料理作りたいなって」

「あら、凪くんにしては殊勝な心がけですね」

「それはどうも」


 ふふっと笑って、真白は野菜を手渡してきた。

 それを受け取り、水で洗っていく。


 その隙に、真白は米を研いでいた。

 ほんとに地味な作業だけど、真白と一緒にやると心がふわすわするような感覚に包まれる。


 真白はよく料理を作るから、彼女は慣れた手つきで淡々とこなしている。

 それは俺からしたらすごく美しく見えた。


 なんのこともない。

 ほんとに些細なこと。


 それなのに、真白と付き合っている実感が湧いてきて少しくすぐったい。

 

 俺は真白と結婚するつもりだ。

 いまの真白を見てその決意はさらに揺るがないものになった。


 こういうなんともない時間が、きっと俺と真白の宝物になっていくのだろう。

 なんともない時間を積み重ねていくうちに、それはいつか愛と呼べるものに変わるだろう。


 もちろん、俺はすでに真白を愛している。それもどうしようもないくらいに。

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