第58話 応援演説

 楽々浦が生徒会長選挙を降りると言ってから二週間が経った。

 彼女の宣言通り、学校では彼女のポスターを見かけなくなった。


 それ以外彼女は特に変わった様子はない。

 強いて言うなら、自分から目立とうとしなくなった。


 彼女の行動のすべては、『特別になりたい』という原理に基づくと考えれば、今までのことは辻褄が合う。

 いや、誰もが思いがあって、そこから行動が生まれるのだとすれば、楽々浦も例外ではなかっただけの話かもしれない。


 俺は恵まれていた。

 渚紗にとって、俺は特別だったし、真白にとっても、俺はきっと特別なんだと思う。


 いつだって、誰かの特別である俺はきっと楽々浦の苦しみを真に理解することはできない。

 でも、想像は出来るんだ。


 もし、真白がいなかったら、俺は今のように再び人間らしさを取り戻すことはなかったのだろう。

 真白の特別な人であることが、俺に安心感を与えてくれる。


 そういう意味では、楽々浦はきっとずっと心細かったのだろう。

 自分の代わりはいる。そういう不安がきっと彼女の中で何度もあったはず。


 生徒会長にならなくていいなんてことはない。

 周りの人はともかく、きっと優秀じゃなくなったら楽々浦は平等に扱われることもなくなると思ってしまうだろう。


 だから、俺のやるべきことは一つだ。


「これより生徒会長選挙の応援演説ならびに立候補者の演説を始めます」


 体育館の壇上に立っている桜小路先輩はマイクを握って軽くチェックしたあと、本日のイベントの開始を宣言した。


 


「ありがとうございました。続いて立候補者、東雲凪の応援演説を行う栗花落真白さん、準備をお願いします」


 桜小路先輩に呼ばれて真白は立ち上がって、壇上へゆっくりと歩いていく。


 楽々浦だけでなく、俺以外のクラスのみんなは一斉に驚いて俺の方へ振り向く。

 無理もない。俺が生徒会長に立候補したのもそうだが、実はこの二週間、俺は路上演説を一度もしていない。


 二週間前、俺は保健室を抜け出して、生徒会室にいる桜小路先輩を訪ねた。

 そこで、俺は桜小路先輩に二つのお願いをした。


 その中の一つは、俺の立候補を認めてもらうことだ。


「あの……」


 俺への視線は真白が壇上に上がってマイクに向かって話した瞬間、彼女に集まった。


 真白には、二人きりになったときにこの計画を話した。

 彼女は「やはり凪くんは優しいね」と言って賛成してくれた。


 真白は気づいていないけど、人のことを優しいと感じる彼女こそ本当に優しいのだ。

 人の優しさに気づける人間は優しい心を持っていると思う。


「東雲凪くんの応援演説をさせて頂きます。栗花落真白です。よろしくお願いします」


 体育館のスピーカーから鈴を転がすような真白の声が響いて、正直かなり恥ずかしい。

 たぶん、古坂高校の中で俺と真白が付き合っていることを知らない人はいない。


 そんな彼女が彼氏の応援演説をするとなっては、色々を言われてしまいそうでむず痒い。

 それでも俺は楽々浦を助けたい。


 今度は、というわけではなく、から行動するんだ。


「実は私、応援演説の内容は考えていません」


 真白のカミングアウトに、体育館はざわつく。


「それは考えなくても、その人のいいところが言えるからです」


 惚気話と思われるその言葉の後、真白はこう続いた。


「楽々浦小夏さんは、いつも明るいです」


 今度はしーんと静まり返った。

 多分、誰でもこの事態を飲み込むのに精一杯なのだろう。


「一年生以外はきっと去年の文化祭を覚えていると思います。私にとっても忘れられない文化祭でした」


 息を飲んで、真白は続く。


「私のクラスの出し物は『ロミオとジュリエット』という演劇で、最初はほんとは乗り気じゃありませんでした」


 今度は俺が驚いた。

 そんなことは真白から聞いていない。


「いつもクラスで浮いてる私を、楽々浦さんは話しかけてくれました。『もしよかったら、文化祭で『ロミオとジュリエット』をやるから、ジュリエットの役を引き受けてくれないか』と誘ってくれました」

 

 楽々浦のやつ、あれだけみんなに案を出させておきながら、結局ハナからやりたいことが決まってたのか。


「もちろん、ジュリエット役を引き受けたら、知らない男の子が演じるロミオとペアになるから、嫌とは言いましたが、楽々浦さんに『分かってる、ロミオ役は東雲くんにするつもりだから、引き受けて欲しい』と言われました」


 どういうこと?

 俺の知らないところで、なにが起きていた?


「私は焦って『なんで知ってるんですか?』と聞きましたが、楽々浦さんは『そんなの見れば分かるよ』と笑って緊張を解してくれました。ほんとに嬉しかったです。楽々浦さんはこんな私でもちゃんと見てくれました」


 ほんとにすごいな、楽々浦は。

 案外大雑把に見えて、ほんとは繊細で、無鉄砲に見えて、実は面倒見がいい。


 そんな彼女だからこそ、真白も俺も彼女の友達になったのかもしれない。

 ほんとは気づいてるんだ、楽々浦はすごく優しい女の子だって。


 真白はここで区切ってから、再び口を開く。


「いいえ、きっと相手は誰でも楽々浦さんは見ています。直接ロミオに凪くんを指名してもらうのは恥ずかしいので、楽々浦さんに一芝居打って貰いました。『ベーカー』も私のお願いを聞いて凪くんと一緒に参加させてくれました。私、初めて学校に来て楽しいと思いました。その後も、凪くんにだけ違う台本を渡して、楽々浦さんと悪巧みしました」


 いつの間にか、涙が出た。

 それは真白の言葉には人の心を動かす力があったから。


 嗚咽しそうになって、急いで込み上げてくる感情を抑える。

 なぜか、この感情は言語化できなかった。


 すごく暖かくて優しい感情。

 なのに、笑顔ではなく、涙が自然と溢れる。


「凪くんが悪い人に襲われた時も、楽々浦さんがクラスのみんなをまとめて助けてくれました。みんなが楽々浦さんの言うことを聞くのは、きっと誰しも楽々浦さんに助けられたことがあったからだと思います」


 気づいたら、手で目を覆っていた。

 

「もし、楽々浦さんが生徒会長になったら、きっとすごく、すごく楽しい学校になります。そして、きっと困っている人を見かけたら救いの手を差し伸べてくれます。だから、どうか楽々浦さんに一票を投じてください」


 そう、俺が桜小路先輩に頼んだもう一つのことは、楽々浦が立候補を取り消しても、彼女に投票出来るようにしてほしいということだ。

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