第57話 楽々浦という女の子
「気がついたか?」
「東雲くん……真白ちゃん? そうか、あたし倒れたんだ……」
学校の保健室のベッドで寝ていた楽々浦が目を覚ました。
微かに漂う薬の匂いと白いカーテンが、さっきの校舎の喧騒とは違う穏やかな空間を作り出す。
「かけるくんが楽々浦を運んできてくれたんだから、あとでお礼を言ってあげてね」
「うん……」
やはり、気のせいじゃなかった。
保健室の先生は楽々浦が倒れた原因は恐らく心労だと言った。
体に異常はないから、保健室のベッドでゆっくり休ませてあげるように言われたが、俺と真白は心配だからずっと隣にいた。
もっとも、楽々浦が倒れた時、一番心配してたのは俺でも真白でもない。かけるくんだ。
そんなかけるくんだからこそ、授業に行くように説得した。
俺だから分かる。
大切な人の辛い顔は見たくない。
だから、楽々浦が元気になったらすぐ教室に戻るっていうふうにかけるくんを宥めた。
友達には辛い思いをしてほしくない。俺が無感情だった時から友達になってくれた人だからこそ、今はちゃんと気を配ってあげないと。
恐らく、かけるくんは……。
「東雲くん、ごめんね?」
「いいよ、別に」
「違う、そういうことじゃないんだ……」
いつも明るい楽々浦とは違って、今の彼女は目に見えて憔悴している。
それがなにが原因なのか、俺には分からない。
何度か探りを入れようとは思ったが、真白を介するのはよくないと思ったから辞めた。
それが正解なのか、今の楽々浦を見て自信をなくした。
「あたし、生徒会長選挙を降りようと思う」
「……」
唐突な告白だから、なんて返していいか分からなかった。
正直、今でも迷ってる。
俺が楽々浦の心に踏み込んでいいのかって。
でも、真白もいる。
二人ならきっと優しく楽々浦の心に触れられると思うんだ。
なによりも、俺は友達である楽々浦を、俺と真白が付き合うきっかけを作ってくれたこの大事な女友達をほっとけないんだ。
「なにがあったか、教えてくれるか?」
俺の葛藤を察してくれたのか、真白は俺の手を握ってくれた。
それは、俺ならきっと土足で人の心に踏み込むことはないという無言の信頼とも取れた。
渚紗を失ってから、人と関わるのが怖くなって
なにより、俺はもう大切な人が辛いのになにも出来ないのが嫌だ。
「桜小路望愛の名前は楽々浦望愛だったんだ……」
ここから、楽々浦は自分が抱えていることを俺と真白に教えてくれた。
少女は優秀だった。
勉強もスポーツも、何をとっても優秀だった。
成績は常にクラスの上位に位置し、スポーツだって県大会の50メートル走で優勝したことはある。
クラスではたくさんの友達に囲まれていて、いつもクラスの中心にいた。
でも、その姉もまた、優秀だ。
成績はもちろん、少女が達成した県大会優勝も、その姉が通り過ぎた道でしかない。
皮肉なことに、少女とその姉に優劣はない。
どちらも等しく優秀である。
だから、クラスの中心ではあったが、学校の中だと少女は常に姉と一緒に扱われる。
「二人は本当に優秀だね」
学校の先生はもちろん、両親まで平等に扱ってくれる。
親の愛は平等にも少女とその姉に注がれていた。
どっちも優秀、ゆえにどっちも特別ではない。
両親が離婚した時も、片方ずつが引き取られた。
どちら一方がより愛されることはなかった。
少女が自分の中に芽生えた『特別になりたい』という思いに気づいてからは、力の限り頑張った。
姉と同じ高校に入って、姉より目立とうと気を張った。自分のことだって『あたし』と言うようにした。
生徒会長である姉に負けないように、どんな行事も学校中の人間の印象に残るように立ち回った。
そして、姉と同じポジション―――生徒会長をも目指した。
でも、少女は気付いた。
気づいてしまった。
生徒会長になっても、自分は特別にはなれない。
なぜならその姉もまた生徒会長だったからだ。
平等な道のりを歩いたら、誰も特別にならない。
でも、少女は生徒会長以外で学校で特別になる方法は思いつかなかった。
それはまたしても姉と同じになることを意味する。特別になれるようでなれない。
等しく優秀。
だからこそ、少女は自分のことを特別だとは思えない。
それが分かっているからこそ、どうしても生徒会長にならないといけない理由があると言う人間に出会った時に、生徒会長になる理由があいまいな自分がそんな人間の邪魔をしていいのだろうかと少女は考えた……。
「あたしはずるい女の子だよ……東雲くんに応援演説して貰おうとしたのも、東雲くんがあたしのことをみんなの前で話してくれたら特別になれるかもと思ったからだよ……『ベーカー』の時に東雲くんの言葉を聞いて、この人なら、この人があたしについてなにかを語ってくれたら、あたしも特別になれるんじゃないかなと思ったんだ。ずるいだろう? あたし……」
思ってることを全部話したようで、楽々浦は破顔した。
それが強がりにも見えた。
「だから、もういいんだ……生徒会長選挙から降りるよ。それでお姉ちゃんと違うから……特別なんだろうし……」
楽々浦の瞳がやたら寂しそうに見えた。
多分、彼女の言う特別はきっとこんなものではない。
お姉ちゃんの通った道を通らなかったら特別だなんて楽々浦はきっと思っていない。
だからこそどこか諦めたような目をしているのだろう。
ずっとうるさい、どこにでも首を突っ込むと思っていた楽々浦はどんな気持ちで空元気で頑張っていたのか、俺には分からない。
でも、きっと孤独だった。辛かったし、しんどかった。
もう、これ以上彼女を頑張らせてはいけない。
ここからは俺の番だ。
人の悩みは人それぞれだ。
等しく優秀だから、平等に扱われる。
そんな中できっと息苦しかったのだろう。
人は誰かの特別になりたい生き物だ。
なんで、誰も気づいてやれなかったのか……。
「分かった」
「凪くん?」
椅子から立ち上がった俺を真白はきょとんとした顔で見つめる。
「喉乾いたから、ジュース買ってくる」
もちろん、これは言い訳だ。
保健室を出た後、俺はまっすぐに生徒会室に向かった。
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