第56話 異変

「真白?」

「……」


 いつの間にか、真白は俺の制服の裾を掴んでいた。

 まだ春の気配を感じさせる日差しが、真白の新雪のように白い腕を照らす。


「伸びちゃうよ?」

「カップ麺じゃないですか!?」


 真白は案外力強いから、割と真面目に制服の心配をしていたのだが、その気持ちは彼女に伝わらなかったみたい。


 共感性羞恥というべきか、人前でこんなことをされると、かなり照れてしまう。

 多分、俺の顔も赤くなっているのかもしれない。


「あの……」

「うん?」


 水無瀬がなにか言いたげだったから、彼女のほうに振り向く。


「お二人はいつもこんなにイチャイチャしてるの?」

「違っ……くはな……」


 水無瀬の唐突な質問を否定しようとした瞬間、楽々浦とかけるくんの無言の圧力を肌で感じたから、しぶしぶ肯定しようともしたが、最後までは恥ずかしくて言いきれなかった。


「さすがはベストカップルだね!」


 水無瀬の言うベストカップルは『ベーカー』のことなのだろう。

 

 実は、去年の『ベーカー』の優勝カップルは俺と真白だった。

 そのときの俺の気持ちは当然周りに知られることもなく、見ている人からしたら壇上の二人が愛を囁きあっているにしか見えなかったのだろう。


 だから、そのときの俺の決断とは裏腹に、俺は真白と付き合っていなかったにもかかわらず、ベストカップルと認められた。

 ただ、まさか今年の一年生にも浸透しているとは、改めて真白のとてつもない存在感を認識した。


「あっ、挨拶が遅れました、楽々浦先輩。わたしは一年の水無瀬雪葉です」

「ふむ、苦しゅうない」


 俺と真白に気を取られて、水無瀬は話に夢中だったが、今は丁寧に楽々浦に挨拶をした。

 かけるくんは「俺は? 俺は?」と自分を指さしているが、別に誰でも一年生に知られてるわけじゃないから、そこは諦めよう。


 それは置いといてだ。


「なぜ楽々浦には敬語なんだよ」

「尊敬すべき人には敬語を使いますよ?」

「それは暗に俺のことは尊敬していないと?」

「先輩と出会ったのはまだ私がここに入学する前の時だったからねぇ」


 つまり、俺と出会った時は先輩後輩じゃなかったから、そのままの話し方ってことか……うん、腑に落ちない。


「ねえ、東雲くん」

「どうした? 楽々浦」

「この子、めっちゃいい子だね」

「ドヤ顔しながら言ってくるんじゃない!!」


 さすがというべきか、楽々浦はすぐさまこの一連の流れを理解できてしまった。

 その結果が今のニヤニヤしたドヤ顔である。


「水無瀬さんも生徒会長選挙に立候補してるの?」


 ただ、そのドヤ顔も長くは続かなかった。

 楽々浦の関心は水無瀬に移っていった。


「はい! わたしにはどうしても生徒会長にならなくちゃならない理由があります!」

「そうか……」


 そう言って楽々浦は考え込んだ。

 忘れもしない、今の楽々浦はと同じ表情をしている。


「でも、入学してまもないし、選挙手伝ってくれる人もいなくて、そこで先輩に目をつけたんですよぉ」

「なるほど、東雲くんはモテるんだね」

「どこをどう解釈したらそのような結論に至るわけ!?」


 やはり、気のせいだろうか、楽々浦はいつもの調子でからかってくる。


「違いますよ? あくまで人手として先輩を欲しがっているわけですので!」

「それは酷くない……痛っ!!」


 水無瀬の弁明を聞いて、反射的に軽口を叩こうとした瞬間、いや、軽口を叩いたや否や、右足を激しく踏まれたそんな感覚がした。

 その方向に振り向くと、真白が頬を膨らませて睨みつけてきている。


 


「凪くんは色んな女子からモテないと気が済まないのですね!」

「いや……ごめんなさい」

「謝るってことは認めたってことですよね!」


 なんだろう。真白が嫉妬してくれるのは嬉しいが、ちょっと面倒くさくもある。

 でも、やはり嬉しいのが大部分を占めるが。


 愛する人に愛されているという実感は、案外嫉妬されている時に湧いてくるのかもしれない。


「栗花落先輩、大丈夫ですよ! わたしはお二人がラブラブなところ見るのが好きです!」

「……ッ!」


 気づいたら、真白は水無瀬を抱きしめていた。

 いきなりのことだから、水無瀬も思考が追いついてないみたい。


「どうしたんですか? 栗花落先輩」

「あっ、ごめんなさい……」


 嬉しかったからと言って、どうも

 どうしても今の真白の行動に違和感が拭えない。


 真白は俺以外にスキンシップなんてしない。

 いや、彼氏以外の男にそんなことしないのは当たり前だが、女子同士特有の軽いタッチなども俺が見てきた限りでは、真白は極端に避けている。


 なのに、今真白が初対面の水無瀬にハグをするなんて、普段の真白からは想像できない行為だ。


「大丈夫ですよ、嬉しかったので」


 水無瀬がフォローすると、真白が顔を綻ばせた。


 校舎には楽々浦の選挙の手伝いをしに来たのに、真面目に仕事しているのは案外佐藤と三宮さんの二人だけかも。

 一番可哀想なのは間違いなくかけるくんだ。さっきから空気と化している。


 そう思っている時だった。


「おい、楽々浦っ! 大丈夫かっ!? 楽々浦っ!」


 楽々浦は突然、倒れてしまった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る