第37話 君と桜の区別が付かない

「これじゃ、どっちが桜か分からないね」

「あら、それは私の美貌への賞賛ですか?」

「いや、真白の服装への感想だけど」

「それは私の美的センスを褒めたたえているのですか?」


 鉛白色の住宅街を出ると、川沿いの桜並木が視界を覆う。

 

 真白は白いワンピースに薄手の桜色のカーディガンを羽織っていて、桜吹雪の中で、彼女の境界線があいまいになっていく。

 新雪のような白い肌は、白みのかかった桜の花びらと溶け合って、真白の美しさを儚さに昇華させる。


 そんな幻想的な光景に対しての発言だったが、真白は悪魔のようなにんまりとした笑顔で俺の横顔を見つめて、嬉しそうに返してくる。


 付き合ってからの真白は、押しが強い。

 三ヶ月も彼女から純潔を守れたことを誇りに思えるくらい、真白の押しは強かった。


 昨晩、ほんとに自分が男だと思い出させられたし、今朝はやはり自分が男なんだと思い知らされた。

 俺がヘタレ? いくじなし? いやいや、俺はただ真白を大切にしたいんだ。


 肌を重ねなくても―――真白を抱きしめて寝ていることを除いて―――俺は彼女を愛しく思っている。

 彼女の少し天然の入ったところ、案外独占欲が強いところ、温かくて優しいところ、いたずらっぽいところ、そして、俺だけにひまわりのような笑顔を見せるところ全部含めて、俺は栗花落真白という人間が好きだ。


 俺が真白に手を出していないほんとの理由は、怖いからだ。

 もし、彼女に手を出してしまったら、自分の想いが変わってしまうのではないかと、考えたら怖くなった。


 それがすべて性欲に塗りつぶされたら、俺は自分を嫌いになるだろう。

 それほど、自分の想いを守りたい。


 もう二度と、渚紗への想いに気づかないまま、他の女の子のことを考えてしまうような自分が許せなくなることをしたくない。

 今度は、ちゃんと自分の想いに気づいたからこそ、それを絶対に自分の手で壊したくはない。他の人に壊させる気もない。




 一際大きな桜の木の下に、真白は牛乳をうっかりこぼしてしまったようなホワイトとピンクが溶け合っているような色のレジャーシートを広げて、二人して座った。

 シートの色合いも相まって、ほんとに自分の周りはすべて桜になったような不思議な感覚に包まれる。


「真白、お腹空いたー」

「ふふっ、凪くんにはこのたこさんウィンナーをあげますね♡」

「愛する彼氏に悪意をむき出しにするな!!」


 真白が弁当箱を広げると、食欲をそそる献立に俺は抵抗することなく求めたが、真白は慈しみを含んだ声色で毒づいてきた。


 渡されたたこさんウィンナーを口に含むと、芳味ほうみが口いっぱい広がっていく。

 だが、真白の宣言通り、とてつもなく冷めている……。


 俺の分の弁当箱を冷凍庫に入れると言ったのは冗談じゃなかったんだと今気づいてしまった。

 有言実行はいいことだが、時と場合によってそれは残酷なことにもなりうる。それを実感させられた瞬間であった。


「美味しい?」

「うーん、ソーセージ味のアイスって感じかな」

「タコの味じゃないんだー」

「ウィンナーって自分でも言ったんだろうが!!」


 俺のわめきを聞いて、くすくすと笑っている真白。なぜだか、トゲがあるような気がするのは気のせいだろうか。


「綺麗だな」

「今日やたらと褒めてくれるんですね♡」

「桜のことだよ」

「燃やしましょうか?」

「それ弁当を温めようって意味だよね!!」


 「うふふ」とどっちとも取れるような笑い声を漏らして、真白も桜を見上げた。

 『人形姫』ではなくなって、一人の普通の女の子になったものの、真白は美しいままだ。


 今日は空が晴れ渡っている。

 俺がここを初めて通った昨年の四月の曇天とはまったく違った。


 あの時、悲しみの色を纏った、俺に手向けしているような桜は、今はとても美しく見えた。

 なぜだか、渚紗の最期の安からな寝顔を思い出して、それは微笑んでいるようにも思えた。


「真白」

「どうしたの? 凪くん」


 ふと真白の名前を無性に呼びたくなって呼んでみたが、特に話したいことはなかった。


「呼んでみただけだよ」

「そうやってピンポンダッシュみたいなことするんですね!?」

「彼女の名前を呼ぶのはそんなに悪質なことなのか!?」

「はい、ちゃんとなにか言ってくれないとだめです」


 ため息をついて、ゆっくりと口を開く。


「ありがとうね、真白」

「こちらこそ」


 俺が今桜を美しく思えたのはどう考えても真白のおかげだから、とりあえずお礼だけは伝えたいと思った。

 そんな俺に対して、真白はひまわりのような笑顔を向けてくる。


 春休みとはいえ、それは学生の特権である。

 平日なので、花見客はそれほど多くはない。


 川を流れる青い水流の音が聞こえてきて、風でたなびく桜の花びらはゆっくりと、着地する。


「動かないで」


 手を伸ばして、真白の栗色の髪に付いた一枚の花びらを取って、彼女に見せた。

 すると、真白の頬も桜色に変わって、ますます彼女と桜吹雪の区別が付かなくなる。


 四ヶ月前に交わした約束が、こうやってちゃんと果たされたことに対して、感動にも似たような感情が込み上げてきて、胸がじーんとなる。


「……襲われると思いました」

「家でもしてないよ!!」


 人が少ないとはいえ、公衆の面前でそういうことをいたす露出癖は俺にはない。

 第一、真白のそういう姿は俺以外の誰にも見せない。


 これからも真白と、彼女のひまわりのような笑顔を独り占めするつもりだ。

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