第38話 風邪より怖いもの

「めっちゃ濡れたね」

たなんて言わないでください!! てませんから……」

「どう見てもびしょびしょじゃないか!?」

「全然じゃありません!! 凪くん見てないでしょう!!」

「いや、見えてるし」

「……!!」


 花見を始めて一時間経った頃、天気予報になかった大雨が降り出した。

 俺と真白は急いでレジャーシートを片付けて、二人して俺が着ていたジャケットを傘代わりにして、家まで走った。


 ずぶ濡れになった真白を見た感想だが、彼女は自分は濡れていないと言い張るのだ。

 さらに、服とか髪が濡れてるのがちゃんと見えてると言ったら、急にぷるぷると震えて顔を両手で隠してしまった。


 真白は朝からずっとおかしい。


「真白、とりあえず風呂に入ってきて」

「今から始めるんですか……?」

「何をだよ!? そのままだと風邪引くよ?」

「凪くんこそ、そのままだと風邪引くから、風呂に入ってきてください!」


 お互いのことを心配して、しばらく玄関で無意味な時間を過ごしてしまった。


「真白、風呂は一つしかないんだよ? 俺は大切な彼女に風邪引いて欲しくないんだ」

「私だって凪くんに風邪引いてほしくないです! 逆に私が風邪引いたら、看病してもらえますから」

「人工的に風邪を養殖するな!!」

「いいじゃないですか!? 可愛い彼女の看病!! むしろご褒美だよ!!」

「そうなったらどちらかというとご褒美の代名詞であるプリンを真白が食べることになるだろうが!!」

「凪くんの……食いしん坊!!」


 会話を続けても結局平行線のまま。

 お互いを愛するがために起きる争いもあると実感した瞬間である。いや、後半はどちらかと言うと、冷蔵庫に一個しか入っていないカスタードプリンを巡る争奪戦になってるのだが……。


 もともと帰りにコンビニに寄って、争いの元になるプリンを補充するつもりだったけど、急に土砂降りの雨に降られたらそれもかなうまい。

 プリンには栄養素とタンパク質が沢山含まれていて、風邪に良いらしいから、昔風邪引いたらお母さんがよく食べさせてくれた。


 というわけで、もし真白が風邪を引いたら、俺は断腸の思いで最後のプリンを彼女に捧げることになるだろう。

 だって、大好きな女の子だから。


 そもそも、夜中に冷蔵庫の中にある二つのプリンの中の一つが行方不明になったのが全ての始まりだ。

 俺が犯人じゃないとすると、残りは……。どっちが食いしん坊なんだか。


 それを言及も追及もしない俺の優しさはもっと褒められてもいいような気がする。


 いや、今はプリンなどどうでもいい……どうしたら真白に先に風呂に入ってもらえるかだな。

 そうこう逡巡している間に、真白がおずおずと口を開く。


「風呂なら二人まで入ると思いますよ……?」


 彼女の言わんとすることを瞬時に理解した俺は、自分の顔の温度が上昇していくのが分かった。

 冷えきった体で、一つの場所だけ熱くなったら、そりゃ自覚しないほうが難しい。


「……どうしても先に入らないのか?」

「……はい、凪くんが一緒なら入りますが」


 再び訪れる沈黙。

 いたたまれなくなったので、俺はゆっくり頷いた。




「脱いだ服と下着を渡してくたさいね」

「こっち見るな」

「彼女に隠し事ですか!?」

「そこは隠させて!?」


 脱衣場で背を向け合って、服を脱いでたら、背中越しに真白が話しかけてきた。

 ちらっと振り返ったら、彼女はまじまじとこっちを見つめている。


 うん、かなり恥ずかしい。


「パンツまでびしょびしょになったな……」

になってません!!」

「いや、ほら、やはりジャケットじゃ雨は防げないから、かなり濡れてて、真白に渡すの恥ずかしい……」

てません!!」


 俺に手渡された下着を握りしめて、またしてもぷるぷると小刻みに震えている真白。その顔は紅色に染め上げて、微かに上気している。

 やはり雨に打たれて、体が冷えているのだろう。二人で風呂に入るのは恥ずかしいけど、真白に風邪を引かれるのはもっと嫌だから、ここは彼女の要求を素直に飲むことにした。




「タオル巻きました」

「……あっ、うん」


 真白に言われて、彼女に向き直す。

 その瞬間、俺の目は真白に釘付けになっていた。


 水気を多めに含んだ栗色の髪は、ぴたりと彼女の肢体したいに張り付いていて、新雪のような白い肌は所々桃色を染み込ませている。

 すらりとした長い脚をタオルで隠し切ることが難しく、逆にその曲線美を強調することになった。小さな足は可憐という言葉が相応しく、その指先は可愛らしい丸みをはらんでいる。

 タオル越しでも分かる真白の胸の形がとても扇情的で、先端の位置が分かるくらいにはタオルの厚さが心許こころもとなかった。


「……凪くん」

「なに?」

「……見すぎ」

「あっ、ごめん」


 いつも見せびらかすように際どい部屋着やらを着ている真白でも、さすがに裸は恥ずかしいのだろう。

 意識的に彼女の体を眺めようというより、思わず真白に見とれていて思考がフリーズしていたから、声をかけられてはっと我に返った。


 お湯を張る音だけが聞こえる静寂に包まれて、俺と真白は順番に浴室に入っていく。


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