第31話 私の初恋の男の子

 物心が付いてから、両親の仲が悪かった。


 最初は喧嘩が多かったが、次第に二人とも家に帰ってこなくなり、私だけが家に置き去りにされて、一人ぼっちでいるのが当たり前のようになった。

 なんで離婚しないのかとも思ったが、多分、それについて話し合う気もないのでしょう。


 寂しさで胸が押しつぶされそうになる。

 お母さんから引き継がれた容姿はいつの間にか学校では『人形姫』と揶揄やゆされることになった。


 どうしようもないことだよね……だって、私はもう笑えなくなったもの。

 小学校高学年になってから、授業を受けている時も、集団行動の時も、昼休みや放課後も、私は表情を顔に出すことができなくなった。


 だって、私は『無』だもの。

 親から与えられるはずの愛情を受けずに育ってきたから、私はきっと他の人より感情が乏しいのでしょう。


 一人でいると、なにかしようという気が起きない。コンビニやスーパーで見かける美味しそうなお菓子やアイスを買う気にもならない。

 一人で食べるものの味気なさを、私は十分に知っているから。


 映画館や遊園地には興味がある。水族館だって行ってみたい。

 でも、一人で行く気にはなれない……私みたいなと一緒に行動したい人なんていないから。


 家のリビングは嫌い。

 広い割に、誰もいない。


 ご飯は自分で作らないといけないから、頑張った。

 出来たものを自分の部屋に持ち込んで、呼吸するように黙々と食べていた。


 味なんて分からなかった。

 美味しいかどうかの基準は私の主観でしか分からないし、私の主観も壊れていたから。


 他人から切り離されて、自分しか存在しない世界に取り残されたような孤独感は私の感情のすべてだった。

 こんな私に、人間味がないというのは、自覚している。


 男子から告白されることはよくあったが、彼らに私の世界を変えてくれるようなものを感じ取ることはなかったから、全部断った。

 恋というものを知らない。これからも多分知ることはないと


 私はこの世界で一人ぼっちなんだ。




 中学校は父の母校に通わされた。家から少し離れているところにあって、直通の電車もないから、徒歩で登校するしかない。

 歩いて20分から30分のところだから、苦にはならなかった。


 今思えば、これもお父さんがお母さんにマウントを取るための行動なのでしょう。

 娘はお前ではなく、俺の意思で動いているという嫌がらせかも。


 でも、皮肉なことに、私の人生はこれで変わってしまった。


 通学路で、私と同じく徒歩で登校している生徒はよく見かける。

 その中でも、私の目を奪った二人がいた。


 少ししか交わっていない通学路、毎朝少ししか見ることが出来ない二人の様子。

 そんな二人がとてつもなく眩しく見えた。


 男の子はいつも女の子の頭を優しく撫でている。

 女の子はいつも幸せそうな顔をしていた。


 羨ましいと思った。

 私もその男の子に頭を撫でられて、彼の笑顔を独り占めしたい。

 

 今まで感じたことのない、この男の子なら私を、これまでの閉じられた一人ぼっちの世界から連れ出してくれるような浮き足立つ感覚が込み上げてくる。

 だって、あの女の子の笑顔はとてもとても幸せそうだもん。


 あの女の子はどれだけ、あの男の子から愛情をもらっているのでしょう。そう考えると、胸が苦しくなった。

 気づいたら中学生になってから二年間もの間、私はあの二人の姿を目で追い続けた。


 同じ中学ではないことにすごくがっかりした。

 だって、そんな眩しすぎる笑顔を浮かべている二人なら、すぐに見つけられる自信がある。第一、制服自体が違うし……。


 もし、近所の中学校に進学していたら、私の通学路が彼らの通学路と交わることがなかったのかと思うと、お父さんに感謝の気持ちが芽生えた。

 それほど、あの二人の笑顔は、私の宝物……宝石のような私だけの宝物。


 でも、中学二年の冬から、女の子は見かけなくなった。

 引越したのでしょうか。




 高校の入学式の日に、私は一目でその男の子に気づいた。

 三年間ずっと彼を見ていたのに、知らなかった彼の名前をついに知ることができた―――東雲凪という。


 すごく嬉しかった。でも同時に戸惑った。

 同じクラスだから、通学路で遠くから眺めていた時より、彼を近くで見ることが出来たからこそ分かるのだけど……彼はいつも暗い表情を浮かべて、私と同じような目をしている。


 どこか諦めきった、絶望した顔だった……。


 私がずっと眩しいと思っていた彼の姿はもういない。

 そんな彼に対して、今の私は何を感じているのか自分でも分からない。


 部活をする気にはなれない。今更笑顔を作ることも出来ないから、私がどこかの部活に入っても、きっとその人たちにとっては不協和音ふきょうわおんでしかないでしょう。

 放課後はいつもすぐ電車に乗って、家に帰るようにしている。


 特に理由はないが、他にすることもなかったから。

 部屋にこもって、寂しさに苛まれて、眠れない日々に耐えながら、また明日を迎える。


 安心感が欲しい。愛されたい。そう思って、夜はいつも誰かに期待するように、携帯に手を伸ばしては、通知がないことを確認してそっと枕の隣に置く。

 誰かに、私のそばにいて、私と楽しいこと、今まで一人ではしなかった、出来なかったことを一緒にしてほしいと願った。


 東雲くん……三年間名前を知らなかった彼は、私と同じ電車に乗って通学している。

 彼は私のことなんて見てはくれない。


 そりゃそうかと思った。私は一方的に東雲くんとあの女の子を見ていただけで、幸せなあの二人が私に目を向ける理由なんてなかったから。

 そう考えると、気づいちゃった。私、嫉妬してるんだ、あの女の子に。私だって東雲くんに撫でてもらいたいし、あんなにも優しい笑顔を向けられたい。


 やっと気づいた。

 東雲くんは変わったけど、私の気持ちは変わらなかった。


 私は東雲くんのことが好き……たぶん、いや、きっと初恋なの……。

 だから、半年間何もしなかったのに、私は今日行動したんだ……。


 彼と同じ車両に移動して、寝ている東雲くんの隣の席の人が立ち上がった瞬間、迷わず腰をかけた。

 彼の頭に自分の頭をくっつけたら、今まで知らなかった、私の想像しているそれよりも何倍も心地よい安心感が胸を満たしていく。


 今なら分かる。あの女の子の笑顔の理由。

 この男の子のそばにいると、こんなにも暖かくて優しい気持ちになれるんだもの……。


 手放したくない、離れたくない、この安心感を、東雲くんをずっと独り占めしたい。彼のそばで眠っていたい。

 だって、私はずっと




 私は下車する東雲くんの後を追って、意を決してこの気持ちを口にした。


「これからも、私と添い寝してくれませんか……?」

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