第29話 栗花落、俺は

 教室に入って、すぐに目を奪われた。


 新雪のような白い肌に、胸までの栗色の髪。華奢な体に端正な顔立ち。そんな女の子がいた。


 栗花落真白―――彼女に、俺は初めて会った時から惹かれてしまった。

 だから、必要以上に彼女に接触するのを避けていた。


 半年間、彼女と同じ教室で過ごしていたが、会話することはなかった。

 達成感のようなものが込み上げてきて、渚紗への愛を守れた誇らしさが胸を満たす。


 なぜなら、栗花落に抱いた感情は、今まで渚紗の女の子に抱いたことのなかったものだった。


 彼女からしたら、ただのクラスメイトが自分と会話していない程度のことに思われるかもしれないが、俺にとっては心地よい自己満足だった。


 学校帰りの電車で栗花落の姿を見たことはあるが、いつも彼女を見かけたら、避けて離れた場所に陣取るようにしている。

 彼女も俺と同じ帰宅部のようで、放課後はすぐ電車に乗っていた。


 ただ、神様は意地悪だ。


 あの日、電車の座席で仮眠を取っていたら、起きた時に左半身に不思議の感覚がした。

 温かくて優しい感触。その時に直感で思ったのはこれだった。


 栗花落が自分の頭を俺の頭にぴたりとくっつけて気持ちよさそうに寝ている。

 思わずその頭を撫でたくなったが、彼女は渚紗じゃない。


 栗花落は渚紗と似ても似つかない。容姿も性格も、おまけに胸のサイズも。

 少なくとも俺の腕に感じた柔らかく弾力のある感触は渚紗では再現できない。触ったことはないから、想像でしかないのだが。


 教室で見ていた限り、栗花落は表情が乏しく寡黙な女の子だった。俺の隣をうろついて、チャンスさえあれば、げっ歯類と花言葉を布教してくる渚紗とは全然違うタイプの女の子。

 

 顔立ちも、栗花落は大人びた感じで、渚紗はあどけなかった。髪の色も、栗花落は落ち着いた栗色で、渚紗は明るいオレンジ色だった。

 だから、栗花落を渚紗に重ねて見るようなことはない。


 栗花落の寝顔を壊したくなくて、そのまま肩を貸していたら、やがて彼女は目覚めた。

 栗花落を見つめていると、彼女はすごく慌てていた。そりゃ、ただのクラスメイトの男子の肩に、頭を載せて寝ていたら、色々と思うことがあるだろう。


 だから、栗花落を安心させたくて、向こうに恩を着せるような、やましいような感情がないことを証明するために、次の駅に着いた時、足早に電車を降りた。

 彼女とは関わりを持ってはいけない。まあ、彼女のような美少女が自ら俺に関わってくることはないと思うが、一応念の為。


 だが、まさか、栗花落は俺の後を追いかけてきた。


 ――あの……これからも私と添い寝してくれませんか?


 と提案してきた。


 正直、最初はビッチだと思った。

 それはただのクラスメイトの男子にするような誘いではない。

 思春期男女の添い寝は添い寝のままで終わるはずがない。彼女もそれを知らないわけがない。


 でも、栗花落はどこか緊張した感じだった。彼女はほんとにビッチなのかとしばらく思案することになる。

 その言葉を俺に投げかけたあとの彼女の痛ましげな顔を思い出して、一つの仮説にたどり着く。彼女も俺と同じように訳ありなんじゃないかと。


 だから、『お互いの際どいところを触らない』という条件付きで、俺は彼女の提案を承諾した。

 なぜか彼女を放っておけなかった。また、彼女を傷つけたくないとも思った。


 男の性欲で彼女をけがしたくないって、そんな想いが胸を支配する。

 

 彼女のお腹に手を回して、後ろから抱きしめると、安心感が膨れ上がる。彼女の体温が心地よくて、栗色の髪から漂っているフローラルの香りはリラックスさせてくれた。

 自分に言い聞かせるように、『お前は俺の抱き枕だ』と彼女に後で悶えるようなセリフを投げた。


 彼女を一人の女として意識してはだめだ。関わってしまったなら、避ける以外の手段が必要になってくる。

 だからたまに突き放したし、彼女の言葉をかわしたりもした。


 理由は分からないが、どうやら栗花落は俺に好意を抱いてるようだ。

 ただ、俺は彼女の好意を受け止めることが出来ない。


 栗花落は無防備に誘うような言葉を俺にくれるが、彼女を大切にしたい俺の思いはそれを跳ね除ける。

 大切な彼女と肌を重ねて心を満たされたいという欲望はあるが、その時はもう彼女に抱いてる感情から目を背けることができなくなる予感はしていた。


 彼女は学校では相変わらず無表情だが、俺と二人きりの時はいつもを向けてくる。

 そう感じたのは、彼女の笑顔の意味がひまわりの花言葉に似ていると思ったからだ。


 それを嬉しくも悲しいと思ってしまった。

 俺の前で、少し天然が入っている甘えん坊で、ちゃんと拗ねったり笑ったりもできる彼女が、学校で『人形姫』と呼ばれるのは嫌だった。


 その嫌な気持ちを忘れないために、俺は内心で栗花落のことを『人形姫』と呼び続けた。


 独り占めしたいが、学校でもどこでも素のままの彼女でいてほしい。普通の女の子みたいに毎日をおもしろおかしく過ごして欲しい。

 だから、文化祭で俺と栗花落が『ベーカー』に出場することが決まった時、文化祭を通して、彼女の輝きをみんなに知らせることにした。


 これで、彼女は二度と痛ましげな顔をすることがなくなったら、俺はそれでいいんだ。たとえ、俺だけに向けていたひまわりのような笑顔が他人に向けられることになるとしても。

 そう思うと少し寂しくて悲しかった。でも、栗花落はもっと寂しい思いをしていたはず。だから俺の独占欲で彼女の幸せを奪ってはいけないと思った。


 たとえ、彼女が学校でたくさんの友達が出来て、もう俺と添い寝することがなくなっても、俺への好意が自然消滅しても、それでいいんだ。

 彼女に恋することはできない。もしそれをしてしまったら、俺は渚紗への申し訳なさで果てしなく苦しくなるだろう。


 しかし、想像していなかった。彼女は『ベーカー』で、みんなの前で、俺に告白してくるなんて。

 そんなふうに言われたら、もうごまかせないじゃないか……俺も栗花落、お前のことが好きだ……。

 

 そう気づいたら、もう離れるしかない。栗花落から離れて、彼女のことを忘れるしかない。両思いになったら必ず結ばれるほど、人間は単純な生き物じゃない。

 

 苦しい……栗花落のいない日々が苦しい……。

 俺は栗花落のことを……。


 そう考えかけて、一色先輩が現れた。

 実にいいタイミングだ。


 あのまま、最後まで答えを出してしまったら、もう後戻りができない。

 一色先輩に感謝しているくらいだ。


 これで渚紗に会いに行けると思った。

 ただ、もう一度栗花落に会いたいという思いが胸にこびり付いて、離れてくれない……。

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