『栗花落真白と東雲凪』編
第26話 栗花落のいない帰り道
文化祭から二週間が経ち、その間俺は栗花落をずっと無視していた。
学校では、彼女のこと気づかぬふりして、話しかけられても避けるように、教室を出ていく。
もちろん、放課後で彼女の家に
栗花落から来たRINEは全部未読のまま、放置している。トークルームで表示された彼女の最後の文章は『お願い……私を見て』だった。
それが目に入ると、体は悲しみに支配され、心は張り裂けそうになる。
彼女からのRINEをついブロックすることが出来なかった。
俺の心がそれを許さない。だから、辛い。まるで、洞窟に閉じ込められて、前にも後ろにも道が塞がっているような閉塞感に息が止まりそうになる。
それでも、俺は彼女から離れるしかなかったんだ……こうするしかなかったんだ……。
苦しい……栗花落の笑顔を思い浮かべるだけで、彼女の体温と香りを思い出すだけで、彼女との会話が脳裏をよぎるだけで、狂ってしまいそうになる。
たった二ヶ月弱の付き合いなのに、俺は栗花落という女の子をこれ以上ないくらいに知ってしまった。
これ以上ないほど、愛しいと思ってしまった。
だから、だめなんだ……俺は彼女と一緒に居てはいけない。
校舎を出ると、12月の凍りつくような空気が鼻腔を刺激する。
曇り空のせいか、世界が灰色に見えてしまった。
電車に乗っても、隣で話しかけてくる女の子はもういない。
自分の家の最寄り駅の二つ前の駅で降車することもなくなった。
一緒に川沿いの道を歩いて、見慣れた鉛白色の住宅街に足を踏み入れることはもうとうの昔の出来事のように思える。
心が破裂しそうな気持ちを抱えながら、俺は自宅の最寄り駅で電車を降りた。
駅から自宅までの道のほうが、俺はずっとたくさん歩いてきたのに、なぜか今は懐かしく感じる。
コンビニの駐車場を右に曲がると、静寂な道が一軒家の群れに包まれながら広がっている。
ここからあと五分くらい歩いたところに、俺の家がある。
「おい、てめぇ」
だが、後ろからした声に、俺はこのまま家に帰れないことを悟った。
振り返ると、一色先輩と四人の男子の姿があった。
薄々予感はしていた。なぜなら、一色先輩に俺と
違いを挙げるとすれば、俺のは愛で、彼のは憎しみ。どっちも
「やっと来たんですか? 待ちくたびれましたよ?」
「おお、待たせたなぁ。お前の家を調べて、警察が巡回しない時間帯と人通りの少ない道を特定して、こうやってサッカー部の後輩を連れ出しても怪しまれないテスト期間を選んだからな」
「ストーカーもドン引きですね」
「別に構わんさ、俺を怒らせた代償をきっちり払ってもらえるならそんなもんどうでもいいんだよ!!」
一色先輩とやり取りしている間に、彼のサッカー部の後輩と思しき四人の男子が、つかつかと俺の方に近づいてくる。
おかしなことに、心はすごく穏やかだ。あの時偶然一色先輩が栗花落に告白しているところを目撃して、彼の歪んだ性格に気づくことができたおかげで、一色先輩の執念を俺に向けることが出来た。こうして囲まれてるのは栗花落じゃなくて、俺だということに安心感すら覚える。
そう思うと、ほっとして、報われた気持ちになった。
良かった……俺は栗花落を守ることが出来たんだな……。
「なに悟った顔してんだよ!! もっと慌てろ!! 土下座して俺に謝罪しろ!! 命乞いしろや!!」
「そんなことしたら許してくれるんですか?」
「なわけないだろう!!」
「じゃ、最初から
「てめぇ……」
一色先輩が唸ったかと思ったら、後頭部に鈍い痛みが走る。
「誰もこれで全員とは言ってないんだよ」
どうやら、誰かを俺の後ろに潜ませて、金属バットかなにかで殴らせたらしい。
実に陰険で危うい男だ……。
気づいたら、目に液体のようなものが流れ込み、視界が赤く染まる。
意識が朦朧として、体が上手く動かせない。
「いいねぇ、お前のその顔……今まで俺に
返事することもできず、地面に倒れ込む。
俺に近づいたサッカー部の四人が俺の腹に蹴りを入れたり、頭を踏んだりしている。
ただ、痛みはあんまり感じなかった。後頭部を鈍器で殴られたから、感覚が麻痺しているのだろう。
冷血という言葉が相応しい、残酷で非情な蹂躙劇。
だんだんと意識が闇に飲み込まれていくような脱力感を覚えて、周りの声が聞こえなくなってくる。
闇の真ん中に、微かに光ってるなにかが現れて、まるで俺を迎えに来たような温かさを感じさせてくれる。
この瞬間、再び思った。
俺のあのときの決断は間違いじゃなかった……。
俺は、栗花落を守ることができた……。
ああ、そうだな、俺は、栗花落、お前のことが好きなんだ……。
これで永遠の別れだ。君にこのことを伝えられなくてごめん……
目の前の闇の中にある光がどんどん、俺に近づいてくる。なぜか懐かしい気持ちになった。
俺はあの日から、ずっと、ずっと夢を見ていたんだ……終わりのない夢を。
でも、もうすぐこの夢も終わるだろう。
今、会いに行くよ……
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