第20話 ロミオとジュリエットの添い寝

「自主練しませんか?」

「自主練?」

「仮にも主役なので、向上心は持って欲しいです」

「人を毎日自堕落な生活を送ってるみたいに言うな……」


 来年の春、一緒に花見をしようと約束した桜並木を通り、見慣れた鉛白色えんぱくしょくの住宅街に入ると、しばらく歩いたら人形姫の家の前に着いた。

 家に入ると、人形姫はリビングのほうに目もくれず、俺の手を引いて足早に自分の部屋に向かった。二人して寝間着に着替えたあと、彼女は急にそんな提案を口にする。


 一瞬はっとして、人形姫に分かってしまったのではと焦った。向上心という言葉が胸に刺さって、やれやれとため息を吐いて動揺を隠す。


「それなら、とてもとても頑張り屋さんの東雲くんは当然自主練付き合ってくれるでしょう?」


 にやにやしながら、見蕩れるくらいの艶かしい悪戯っぱい表情をたたえて、人形姫はどっしりと俺の目を見つめた。

 その琥珀色の双眸そうぼうは獲物をリーチに捉えて、確実に仕留められる自信が秘められていた。


「よせ……頑張り屋は照れる」

「ふふっ、もっと照れてくださいな」


 俺の旗色が悪いと見るや、攻めの姿勢を強める人形姫にたじたじしながら、後ずさってバタンとベッドに倒れ込む。


「やはりサボるんですか!?」

「被害者に言うセリフか!?」


 まるでライオンに首を噛みちぎられて倒れ込んだ鹿に、ライオンが「貴様、命がかかってるこんな時になんで平気で寝てるんだ!?」と理不尽に怒られたような気分だ。

 そう言われたら、絶対成仏できない自信がある。多分百年くらいは草葉の陰でライオンの愚痴をこぼし続けるだろう。


「被害って……大丈夫ですか!? 倒れた時に怪我したんですか!?」

「あっ、成仏できないくらい怪我したと思うよ」

「大怪我じゃないですか!?」


 俺の言ってることの意味を正確に理解していないようで、慌ててそばに駆けつけてくる人形姫はいきなり額を俺のおでこにぴたりとくっつけた。


「いや……ベッドにぶつかって熱出す人いないと思うけど……」

「特異体質かもしれないじゃないですか!?」

「勝手に人を人外みたいにいうな!!」


 示しあわせていないのに、どちらからともなくクスクスと笑い声がこぼれた。

 天然なのか、それとも計算され尽くしたものなのか、どちらにせよ、人形姫は可愛らしく感じられた。


「東雲くんは、超能力者だと思いますけどね」

「いきなりバトル漫画に突入するな!!」

「もう! 今いいこと言おうとしてるのに!」

「ごめん。栗花落があんまりいいこと言ったことがないからつい……」

「私いいことが言えない悲しい女だと思われてるんですか!?」

「女性の価値をそんなもんで決めんな!!」


 「……東雲くんのばか」と口に空気を極限に含んで、ひまわりの種を頬張るアフリカイワネズミのように、人形姫の頬はふわふわとした感じになっている。

 アフリカイワネズミはひまわりの種を食べるかどうかは分からないけど。


「ちゃんと言わせて?」


 いつの間にか、ベッドに倒れ込んだ俺の真正面から覆い被さるように顔を近づけてくる人形姫に、心臓が否応なしに反応してしまう。

 フローラルとシフォンケーキの香りが、鼻の中にある細胞を支配していく。

 心臓の上を、うさぎがぴょんぴよんと跳ねているようなくすぐったさともどかしさを覚えて、意識が人形姫の端正な顔に集中してしまう。


「東雲くんはね、超能力者みたいに、ほかの人では感じられないような安心感を、私に与えてくれるの……」


 君が安心しているかたわら、俺は死にそうなくらい胸が締め付けられているけどね、という言葉をかろうじて飲み込む。


「だから、超能力者なの」

「……ありがとう」


 ひまわりのような笑顔を浮かべて、「どういたしまして」と俺のお礼の言葉に応えてくれた。

 こんなことを言われると、さすがに俺でもいたたまれなくなる。


 とりあえず滑るように、人形姫の下から抜け出して、ベッドの壁際の俺の定位置に収まる。

 すると、今度は人形姫が俺を後ろから抱きしめて、体をくっつけてきた。


 触れられたところがほんのりと暖かく、人形姫の息が首筋をくすぐる。

 栗色の髪が何筋か俺の顔にかかって、フローラルの香りを運んでくる。


「……自主練はしないの?」

「……横になっていてもできるだろう?」

「じゃ、する?」

「うん」


 しばらく沈黙が続いてから、ゆっくりと人形姫は自分のセリフを綴った。


「たった一つの恋が、こんなふうに生まれるなんて……」


 少し間を空けてから、人形姫は続ける。


「あなたのことを知らないまま出会ってしまって、知ったあとにはもう遅かった」


 人形姫はさらに言葉に力を入れる。


「この恋が恨めしい……」


 それは台本に書かれたものとは少し違うものだった。

 人形姫に背を向けている俺には、彼女が今どんな顔をしているのかが分からない。


 彼女のを、まだ知り合ってたった一ヶ月と少しの俺が理解出来るものではない。

 人形姫の気持ちを知りたいけど、俺にとってはそれがなことなんだ……。


「……次は東雲くんの番ですよ?」


 俺がずっと黙っているからか、人形姫は少し切ない声色で促してきた。


「君の小鳥になりたい……君のそばで君が笑っている姿が見たい……君が君らしく生きるのを助けたい……でも、人間の伴侶に俺のような小鳥は務まらない……」

「……東雲くん、後半は台本にありませんよ? さては学校にいたとき、真面目に練習していなかったのですね! 私の青春を返して!!」

「お前の青春重すぎるわ!!」


 また、どちらからともなく、俺と人形姫はくすくすと笑った。

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